村内まごころ商法 & 剛毅の経営

昭和53年に出版された本と、ホームリビングに掲載された記事でたどる、村内道昌一代記

重要なテナントの役割

2007年05月18日 | Weblog
ホームセンターは単なる家具店ではない。だから売れるものは何でも売るというのが村内の基本的な考え方である。モデルルーム以外のスペースで外車も売れば電気器具も売る。飛行機やヘリコプターも売ったことがあるが、これは客寄せのために購入したもめに買手がついたというだけである。

ルームアクセサリー的なものは、一風変わった商品でも取扱っていく。たとえば昭和四十八年に八王子店と府中店で売った岩手県の水車。もちろん本物だがインテリアとしてまもなく売れた。ブナの巨木の根を八十五万円で売ったこともある。

これらは民芸品としてまとめて扱った商品のひとつである。また、インテリアではないが仏壇や神棚といったものも住まいの必需品としてよく売れている。一セット四百八十五万円という、イタリア製手づくり応接セットを売って評判になったこともあった。

ホームセンターは住まいに関係あるものは何でも扱うのがたてまえである。しかし限界もある。家具専門店のスタッフが電気製品を扱ったり、楽器を扱うのは不可能に近い。これらはやはり専門家の手で売らなければ経営は成りたたないし、アフターサービスの技術がないとお客に迷惑をかける結果になる。

そこで、ホームセンターのオープンに先立って、私は高度の専門技術を必要とする分野はテナントにまかせて、それぞれの専門店にコーナーを貸して独立採算で営業してもらうのが良いのではないかと判断した。

現在、村内ホームセンターの各店には、寝具店、インテリア店、レストラン、仏具店、楽器店、電器店、ガソリンスタンド、時計貴金属店などがテナントとして入っている。それぞれ素人としてはちょっと手の出しにくい分野であり、専門技術者を社員として採用して手を拡げるのは外車とハウジングで精いっばいだったからである。

テナントとは、徹底した共存共栄という考え方で対応した。内部ではテナントでも、外から来た人にはホームセンターの一つの売場という感覚で受取られるから、バラバラに何かやっていては困るし、トラブルなど起こしたら店全体の信用にもかかわるからである。

テナントの各店と共存共栄していくシステムについては、いろいろ試行錯誤もあったが行きついたのは、村内家具店も含めて各店が協同組合を結成するというシステムだった。協同組合法に基づいて各店が出資金を持ち寄り、共同歩調をとって連帯心をはかっていくというシステムだ。本店の「村内ショッピングセンター協同組合」、立川店の「協同組合村内立川ショッピングセンター」の二つがそれである。

私が協同組合化まで考えて、テナントとの共存共栄に気を配ったのは、昭和四十五年に「ダイエー」の八王子店と立川店にテナントとして参加し、わずか十ヶ月あまりで撤退せざるを得なかった苦い経験があったからである。

ダイエー立川店に出店したことにより私はテナント側の立場がよくわかった。店側と全面的な協力体制ができていなければテナントは単なる軒借り商法であって、少しでも条件が悪化すれば成り立たなくなってしまうということがよくわかったのである。また、売り場を貸す側にしても、テナントがどんどんつぶれるようではイメージダウンである。せっかく宣伝をしても、こんなマイナスイメージが拡がったら、小売店としては大きな打撃を被るのである。ダイエー撤退のときも各紙に報じられたことによるダイエーのデメリットは、そうとうなものだったと推測できるのである。

これらの経験から、私はテナントとして他店に出店するのはよほどの信頼関係がないと無理だと判断すると同時に、村内ホームセンターのテナントとは、考えうる限りの良好な関係を持続させるべきだと思ったのである。

軒借り商法はけっして気楽なものでも、割のよいものでもなかった。協同組合をつくって、お互いに対等な立場で郊外ショッピングセンターを運営していかなければ、両方がうまくいかなくなるのである。商売はムードではなくシステムが一番大切なのだということなのである。 次へ