村内まごころ商法 & 剛毅の経営

昭和53年に出版された本と、ホームリビングに掲載された記事でたどる、村内道昌一代記

物事を善意に解釈せよ

2007年06月03日 | Weblog
父がこの調子で、一生遊んでいたら、いまの村内家はないわけだが、ある事件をきっかけに、父は人が変わったように真面目に生きるようになった。      

事件というのは、火事であった。八王子は絹の産地で、村内家でも毎年養蚕を行なっていた。若い年代の人にはわからないと思うが、養蚕は、座敷の畳を全部上げ、そこにかいこ棚をつくり、炭火で部屋を暖めて卵をふ化させる。

その棚が、暖房用の炭火に落ち、自宅が全焼してしまったのである。のちに、父は私によくこういった。

「前日までは、いくら遊んでいても、地主の息子だから近所の人に旦那さんといわれていた。しかし、一夜明けると、焼け跡にむしろを敷いて、近所の人が炊き出してくれたおむすびを、ありがとうございますといって食べなければならない。一夜乞食とはこのことだなと思ったよ」

人生の厳しさが、そのときはじめて実感としてわかったと、父はよくいっていた。やがて、村内万助は家を建て直すが、それからは人が変わったように遊びをぴたりとやめ、家業に精を出すようになった。母にかわって、一生懸命田畑で働き、豚を飼った。母もそれまでの苦労が報われ、家庭も円満になった.

「結果的には、家が焼けたのはよかったんだ。あのままでは、のちのちまで大切なことがわからなかったろう」

と父はいう。なにか悪いことが起こると、多くの人は、気落ちしてダメになってしまう。しかし、父はそのとき、火事は自分に課せられた試練であろうと思ったという。現象的には大きな災難だが、それは自分がもっと優れた人間になるための試練であって、けっして、本当の災難ではないというわけである。物事を悪いほうへ悪いほうへ解釈していけば、自然に気が滅入って、自分がダメになってしまう。そうすると、本当に物事はどんどん悪いほうへ悪いほうへといってしまう。しかし、悪い出来事を、これは自分のために天が与えてくれた試練だと、善意に解釈してがんばれば、悪い出来事も人生の貴重な教訓になり、物事は良いほうへ良いほうへ向うというわけである。

「すべて、物事を善意に解釈する」

という言葉は、それ以来、村内家の家訓のひとつとなった。悪いことが起こったとき、それを「誰々のせいだ」などと他に責任を転嫁せず、自分の糧とせよということである。

父はまた、

「人間の真価というものは、逆境に立ったとき、はじめてわかる」

ともよくいった。逆境に立ったとき、くじけてしまうか、それとも、笑ってそれを受け止め、再出発ができるかどうかで、その人間の真価がわかるということである。

のちに、農地解放で土地を取り上げられたときも、村内万助にとっては大きな逆境に立たされたときだった。普通、地主が土地を取り上げられれば、それでおしまいである。あとは没落していくよりない。しかし、そのときも父はそれと試練を受け止め、のちに出てくる木工所をつくって、村内家具店の基礎をつくった。最悪の事態でさえ、他人のせいにせず笑って受け止め、再スタートを切るという父、万助の思想は、私が父から学んだ最大の教訓であり、いまの村内ホームセンターを支えている「村内精神」の根底にもなっている思想である。

物事をすべて善意に解釈できれば、悪い事が起こったときにも試練として受け止めることができる。逆境に立ち、それを天が与えた試練として受け止め、「なにくそ」という「負けじ魂」ではね返していけば、何物も怖くないのである。

さらに、物事を善意に解釈し、逆境に立ち向かっていけば、そこから自然に、真心とか奉仕という精神が生まれてくる。悪い事が起こったとき、他人のせいにしなければ、必然的に自分自身を振り返って見るはずである。自分のどこかに悪いところがあったのではないだろうか。それが、悪い結果を招いてしまったのではなかろうか。

この世は、人と人が協力しながら生きている世界である。そう考えていけば、真心で奉仕するほかに正しい道はないというところに必然的にたどりついてしまう。私はよく「百姓商法」という言葉をつかう.これはキャッチフレーズでも何でもない。村内はもともと百姓であるから、百姓の延長上で商売をしているということであり、百姓を売りものにしているわけではない。精神構造そのものが、何百年もの長い間、八王子で農業を営んできた人間のそれであるから、商売もまたその精神構造の上に構築されているということなのである。 次へ