村内まごころ商法 & 剛毅の経営

昭和53年に出版された本と、ホームリビングに掲載された記事でたどる、村内道昌一代記

家具は村内八王子

2007年06月07日 | Weblog
1章 ゼロからの出発

1.村内ホームセンターの現況

東京の副都心、新宿を基点にして、甲府に向かって延びる中央高速道路を車で行くと、やがて八王子インターチェンジのすぐそばに「村内ホームセンター」の本店が見えてくる。三万三千平方メートルの敷地に、六階建て、延べ一万平方メートルのフロアを持つ大型店舗である。

この大型店舗がオープンしたのは、昭和四十四年九月であった。昭和四十四年当時、デパート、スーパー業界を見れば、この程度の規模の大型店舗はかなりあった。にもかかわらず村内ホームセンターのオープンが全国的に注目を集めたのは、その業態がデパートでもスーパーでもなく、「ホームセンター」という新しい業態だったからであった。

「ホームセンター」とは何か。これについては、あとで詳しくふれていかなければならないが、簡単に説明しておくと、「家具を中心とした住いの総合店舗」である。商品構成も家具だけでなく、住宅本体から、自動車、家庭電器、台所設備、インテリア用品まで含めた幅広い構成を持ち、消費者のメリットとしては、住いに関する商品は、すべてまとめて購入できるというのがホームセンターなのである。

さて、昭和四十四年、日本で初めての「村内ホームセンター」オープンには二つの問題点が指摘されていた。

その第一点は、すでに欧米では一般化していた「大型専門店」が日本でも可能なのか、ということであった。今でこそ大型専門店はわが国でも珍しくなくなったが、当時はどの業界を見渡しても、村内ホームセンターのような大型専門店は存在しなかったのだ。

第二の問題点は立地条件である。ご存知の通り、中央高速道路八王子インターチェンジは、八王子市の中心の繁華街から五キロメートルも離れた地点にある。周囲はほとんど畑ばかり、人家さえもまばらである。こんなところへ大型店を建設したのだから、成り行きが注目されたのは当然であった。

結果を先に述べよう。村内ホームセンターは大成功であった。「家具は村内八王子」というCMを覚えて下さっている方も多いと思うが、わずか十年にも満たない年月のうちに、家具部門の売上げ高全国五位、利益率では業界全国二位の大型店に成長したのである。

資本金四千八百万円、年間売上高約百億円、支店数四店舗、傍系会社三杜、従業員数約四百名。商圏はすでに関東一円に及んでいるといってもいい過ぎではない。

村内ホームセンター成功の秘密は、①百姓商法に徹したこと、②多くの方の善意の協力が得られたこと、③場当り商法ではなく、常にシステムを組んで実行に移していったこと、④モータリゼーションに対応できたこと、などが主なものである。

これらについては、次の項から順を追って説明していくつもりであるが、ここではじめにいっておきたいのは、村内ホームセンターの成功は、決して私一人のカでなしとげられたわけではなく、恩師、先輩、学識者、幹部社員諸君の指導、協力の大きな支えによってなしとげられたものだということである。また、「村内会」を組織していだたいている多くの問屋、メーカーの方々のおカ添え抜きには村内ホームセンターを語るわけにはいかないのも事実である。

二宮尊徳先生は『凡て商売は売って喜び、買って喜ぶようにすべし。売って喜び、買って喜ばざるは道に非ず』と教えておられる。

私も、多くの恩人の皆様方のご期待に添うべく、尊徳先生の教えを商売の支えにしていきたいと、固く心にきめているものである。 次へ