村内まごころ商法 & 剛毅の経営

昭和53年に出版された本と、ホームリビングに掲載された記事でたどる、村内道昌一代記

社長なんかちっとも偉くない

2007年05月01日 | Weblog
4章 社員教育、この大事業

1.プロ野球を見習え

企業は人なり、という有名な言葉がある。まったくその通りで、企業のカの本質は社員の能力を積み重ねた合計のカだということができる。秀れた企業を見ると、全社員が最大の能力を発揮して仕事に取り組んでいるケースが多い。経済大国日本の力は、さらにそのカが集まってできたものと考えられよう。

さて、一企業、とくに村内ホームセンターのような新しい企業では人づくりをどうしたらよいかという重大な問題がある。人は勝手に放っておいて全能力を発揮したり、さらに自分の能力を高めようと努力するとは限らない。たいていは怠け心を出して楽な方へ楽な方へと逃げてしまう。

社長の私でさえ、油断していると怠け心を出してしまう。社員とても同じことである。また人はさまざまで、協調性には秀れているが能力の低い人間、能力はあるがチーム活動ができない人間などいろいろ性格面での特徴を持っている。企業はこれらの一人一人違う人間でチームを組んで仕事をする。人事問題をなおざりにしてはチーム活動などできない。たちまちバラバラになってしまうのである。

社員づくりは、教育の面と、仕事に対する積極性、つまりヤル気をいかに出させるかという二つの面があり、その両方をうまく組み合わせていかないと成績は上らない。もちろん新入社員の基本的な教育や、定期的にカリキュラムを組んでの社内教育は普通の企業と同様に行なわなければならない。

しかし、それはあくまでも基本であって、社員を集めて講義をしただけで、全社員が張り切って働いてくれれば苦労はない。問題は、日常の営業活動の中で社員がいかに多くの知識を学びとり、それを活用してくれるかである。

さて、そこで一番大切な問題は、精神的なもの、社員が企業内での自分をどう位置づけるかの問題である。自分がどこで何をしているかをよく知っていなければ人間は学ぶ気にもなれないし、ヤル気を起こすはずもないのである。

企業内の位置についての、とく一般的な発想は「社長は上の方にいて偉いんだから、ヒラは偉くないんだから……」といった漠然とした身分格差意識であろう。社長のほうもその気になって、ビラミッド型の組織図を書いて、自分の名前を一番上に書き込んだりする。第一線で働いている人間は、ビラミッドの底辺に小さく横に並べられる。

この身分格差意識の発想は、私はあきらかに間違いだと思う。企業というチーム活動を組織図に書く場合、漠然とした身分格差意識などを持ち込んではならない。ピラミッド型ではなく、職務分担による円形組織図にするべきなのではないかということである。社長は経営という仕事を分担する職務、管理職は自分のセクションにおける経営と管理を行なう職務、販売員は自分の貴任スペースで販売を行なう職務、というふうに割り切って考えていかなければチーム活動は成立しないのである。

これはプロ野球を見ればすぐわかることである。観客は主力選手より監督のほうが偉いなどとは誰も思わない。チーム活動、すなわちプロ野球では、いざ試合となれば全員が平等である。

企業においても、同じことであり、社長が無能であっても、社員が無能であっても企業はつぶれるのである。そういう意味で、社長はまず、

「オレは社長業という重大責任がある仕事を分担しているだけで、けっして偉くなんかないんだ。だから社員の皆さんも自分の分担職務が企業全体に重大責任があるということを確認してほしい」

という、精神的な基盤づくりから社員教育を行なっていかなければならないのである。 次へ