村内まごころ商法 & 剛毅の経営

昭和53年に出版された本と、ホームリビングに掲載された記事でたどる、村内道昌一代記

ジェフサ会と経営の恩師たち

2007年05月23日 | Weblog
日本ではじめてのホームセンター作りという構想を立て、それを実行に移すに当っての心構えや方法論を私はどのようにして手に入れることができたのか。

そのきっかけは、ジェフサ会(日本優良家具販売協同組合)に加盟したことからはじまった。

ジェフサ会は大型家具店の組合であるが、村内家具店が加盟させていただいたのは、十七年ほど前の第三回の会合のときだったと記憶している。この会は当時松下電工の企画課長をしていた沢田光明氏の努力で結成されたものである。会合のごとに沢田先生が松下イズムを下敷きにして、家具業界はどうあるべきかを熱心に講義して下さった。

私は、もし沢田先生にめぐり会えなかったら、村内は田舎の家具店で終わってしまったであろうと信じて疑わないほど、沢田先生に教えられることが多かった。私は毎回、期待と一抹の恐怖心まで抱いて沢田顧問の講義を聞きに出かけ、帰ってくると、その理論を村内にどう適用すべきなのか、考え続けたものである。

私がまず、沢田先生に教えられたことは、業務の標準化、マニュアル化であった。普通中小企業といえば、経理はどんぶり勘定だし、やることすべて思い付き、変化が起こればあわてふためくという調子である。

しかし、沢田先生が私たちに徹底的に叩き込んでくれたのは、

「街の家具店という形態で終わりたくなければすべての業務を標準化せよ」

ということであった。(この教えに従って、私が村内ホームセンターでどのような標準化、マニアル化を行なってきたかについては、だんだんふれていくことになる。この教えこそ、村内ホームセンターの理論的出発点になったのである。

また、沢田先生には、「稼業精神」も徹底的に叩き込まれた。これは大松下の根底に流れている精神であった。やさしく説明すると「この会社は俺たちのカでささえている。俺がやらなければ誰がやるんだ」という気持を企業構成員全員が持つようにならなければ、企業は伸びない、ということである。のちに説明する「社員の態度能力」なども、ここから出てきた理論である。

沢田理論には、家具店時代だけでなく、ホームセンターを建設してからもさまざまな形で貴重な発想を与えられた。たとえば、オイルショック直後のパニックのときも、松下流の徹底した節約のシステムを教えていただいた。私はそれを村内流に翻訳して、オイルショックの激流を乗り切ったのである。

私が師と仰ぐもう一人の人は、日本マーケティングセンターの船井幸雄氏である。船井先生のいわゆる「船井理論」は流通業界ではあまりにも有名で、いまさら私が解説を加えることさえ失礼な感じもするが、村内ホームセンターが船井理論に従って実行したことは次の通りである。

①地域一番店になること……地域での商戦に勝つために、一番大きな店を設置し、アイテム数も一番多くする。

②ごちゃまぜ要素を強くする……売場をきちんと整理してしまわないで、なるべく多くの要素を混在させる。

③レジャー要素を強くする……家族連れで遊びにいっても一日中楽しめるというような店づくりを心がける。

④包み込み……他店にあるものはすべてそろえる。

⑤ファッション的経営……家具店にもファッションの要素は不可欠。

この船井理論を頭に入れてアメリカへ行ったとき、なるほどと感じることが多かった。たとえば、ニュージャージー州へ行くとショッピングセンターが六つも七つもあって競争が激しい。この中で一番繁盛している「アラマスパーク・ショッピングセンター」は、まるで遊園地か公園の中に店舗を置いたという感じで、家族づれが遊びに来ている。商品も、普通のレベルから高級品まで非常に数が多い。

村内ホームセンターが、どの店より広い売場と商品数を置き、さらに家具用材公園などもつくり、レストランや、外車まで展示しているのは、この船井理論に従ったものなのである。

村内ホームセンターを造るに当って、私は私なりに知恵をしぼったつもりである。しかし、その基本になる理論を沢田先生、船井先生にいただけたのは幸いであった。

「それなら、村内ではこの理論をどう具体化していけばよいのか」

という方向にしぼって、沢田理論、船井理論を総論とすれば、各論である「村内イズム」を開発していけばよかったからである.

ジェフサ会はその後、好調に発展し、昭和五十三年二月には第八十九回目の会合を持つまでになった。また本部機構も充実し、さまざまの部会活動も活発に行なわれるようになった。これもひとえに、先生方のご指導のたまものなのである。 次へ