村内まごころ商法 & 剛毅の経営

昭和53年に出版された本と、ホームリビングに掲載された記事でたどる、村内道昌一代記

モデルルームをつくる

2007年05月19日 | Weblog
夢とはいっても、ここでは現実に目に見える夢でなければならない。家具は一つ一つを見れば夢でも何でもなく、モノにしかすぎない。生活のイメージが、欠落しているのである。これにイメージを加えて、本来の商品価値を付加する方法はモデルルーム方式しかないのである。スイスのフィスターで私がとりつかれたものだ。

モデルルーム方式といっても、日本ではいまだに採用しているところははとんどないのでわかりにくいと思うが、簡単にいえば、すでに人がその家具を使用して暮しているような形に商品を配置してみせるというディスプレイであり、それもやたらに置くわけではなく、美的な規準に合わせて統一のとれた部屋づくりをするのである。

たとえば和家具売場では、六畳とか四畳半といったスペースに畳を敷く。座卓を置き、床の間には置物を配置し、掛軸をかける。照明も和風の螢光灯を使用するという形で和室をつくっていく。洋家具でも、仮にダイニングルームなら、台所設備をセットし、食器棚や冷蔵庫、食卓といったものをもっとも使いやすく美しい形で置いていく。寝室ならベッドだけでなく、壁紙から照明まで気を配り、場合によっては本棚に本を何十冊と入れたり、高級洋酒を置いたりするわけである。

こうしたモデルルームを何十、何百とつくつていくことによって、来店した人は、自分がどんな住まいづくりをしたらよいかというイメージがつかめるのである。ホームセンターの側からいえば、単品を売るのではなく、一つの部屋をトータルで売れるというメリットが生まれてくるのである。

開店当初、私はフィスターやゴールド・ブラッツを参考に二十近いモデルルームを自分でディスプレイした。私以外誰もできなかったから、しかたなく自分でやったのである。

モデルルーム方式の泣きどころは、日本にはディスプレイの専門家がいないということである。すぐれたモデルルームをつくるには、まず家具をはじめとする生活用品の完全な知識がなければならない。さらに大切なのは、空間をいかに使いやすく、美しく表現できるかという美術的なセンスである。生活空間は雨露をしのいで便利に使用するというはじめの目的が満たされれば、次はいかに美しくという問題になる。

現代の生活空間はすでに使用目的はほぼ達せられていて、いかに美しくという段階になっている。だからこそ、モデルルーム方式が消費者サイドからも要求される時代になりつつある、という判断ができるのだが、この美しい部屋づくりができる人間が一人もいないという点で、欧米との間に大きな差ができているのである。この分野で若いセンスのある専門家が育ってくれるのを待つばかりである。

さて、ホームセンターはモデルルームをつくってトータルなイメージを売るというわけだが、部屋のイメージをつくって家具を売るだけではない。それだけなら毛色の変った家具店にしかすぎない。家具だけでなく、モデルルームづくりに使った商品のすべてを売るのがホームセンターなのである。

床に敷いたカーペットにも正札がついている。壁紙も買える。壁に掛けた絵にも値段がついている。灰皿ひとつ、花びんひとつにも正札がついているわけである。ただ単なるムードづくりのための小道具ではなく、すべてが商品なのだ。一見、モデルルーム方式はスペースだけをとって、商品の中味が薄くなり坪当りの収益が落ちるようにも見えるが、けっしてそのようなことはない。家具だけでなく、いろいろな関連商品が売れることによって売場効率を高めることである。

ホームセンターは、いきなりモノを並べてさあ買ってくれという従来の商法に比べると展示会とか見本市といった色彩が強いのである。こんな製品をこんな風に使ったらどうですかという見本を売場に展示する。だから売場とはいってもショールームの連続といった感じで受け取られるのである。

それぞれタイプの違った小さなショールームをたくさん集めて見せれば、来店客は非常に楽しいはずである。展覧会で絵を見るとか動物園で象やパンダを見るように、そこからいろいろな住まいの知識を学びながら夢を描くことができる。自分の生活空間とモデルルームをダブらせて考えることができる。

そのときは買わないまでも、あそこにあったあの商品をうちに置きたいと思うはずである。あんな台所にしたい、あんな客間、あんな寝室という具体的なイメージがトータルで消費者にわかってもらえるのが、ホームセンターにおけるモデルルーム方式の最大の効果なのである。 次へ