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南風北風―ぱいかじにすかじ―  by  松原敏夫

沖縄、島、シマ、海、ことば、声、感じ、思い、考え、幻、鳥。

沖縄詩・年末回顧2015 波平幸有、網谷厚子、宮城信大朗、高橋渉二、矢口哲男、高良勉、新城兵一

2016-02-14 | 沖縄の詩状況

沖縄の詩・年末回顧(2015年)

 

一篇の詩が何を素材にしようとかまわないが、 その素材の描き方に私は注目する。表現の面白さと同時に本質的なものに触れているようなポエジーを求める。担当した今年2月の沖縄タイムス「詩時評」でも「誰も経験しなかった詩的表現を生み出す格闘こそ詩人の闘い」「詩が面白いのは未知の創造的な新しい世界をつかんだ言葉の発見に成功したときだ。」と詩作への希望を述べたが、場所性と自己性と現在性への想像力が入るとなおいい。

今年も詩集発行は活発だった。印象に残ったものでは、まず波平幸有『小の情景』である。小(ぐゎあ)は沖縄独特の親和的表現。「ひと、ものすべてがぐゎあの中で成り立っている町」(町小)。「今日は思いきり泣くために来ましたと 若い娘は張り切っていた」(涙小)。ノスタルジアへの生のほろ苦さ、ウイットが絶妙だ。山之口貘賞に選ばれたのは納得する。この詩集は連作形式にみえる。連作は下地ヒロユキの「アンドロギュヌスの塔」シリーズ(宮古島文学)もある。作品のテーマに連続性を持たして素材を引き出し表出する書き方が詩的探求を面白くさせている。

網谷厚子『魂魄風』。事物、風景に分け入ってそこにみえる空間の綾を散文でとらえる。宮城信大朗『恋人』。性愛、感覚、イロニーの繊細なささやきを表出。高橋渉二『死海』。聖地訪問の光景を信仰の内的情景で語る。矢口哲男・石田尚志『李村(スモモムラ)』。意味を排した自在なイマージュ、言葉が拓くものと掴みかたがある。

ほかに飽浦敏『トゥバラーマを歌う』。白井明大『生きようと生きるほうへ』。浦崎敏子『フィンドホーンの雨』。千葉達人『全存在の組成祭詩集』。『びぶりお文学賞受賞作品集』は県内の大学生を対象にした詩・小説文学賞の作品集。

昨年逝去した詩人の本がでている。東風平恵典遺稿・追悼集『カザンミ』と石川為丸遺稿詩集『島惑い 私の』。読みながら改めて惜念を感じた。

高良勉の論集『言振り』。高良の広範な知識には感服する。日本語詩と琉球語詩という発想、展開がある。「相互批評が不在の場合は〈評価〉の権威化につながる危険性も指摘しておかなければならない」(沖縄戦後詩史論)。こういう言説は楽しい。

詩誌での作品発表も旺盛だった。辺野古を意識した作品が多く目についた。最近、ある人から、あなたの代表作は何ですか?と聞かれて困った。書き散らすばかりで、そんなふうに考えたことはなかったからだ。みんな代表作ですとかわしたが、詩作はいつでも代表作を書くように心してかかるべきかもしれない。

『あすら』は10年目で40号の大台。『脈』同様に勢いのある詩誌だ。年4回発行はすごい。サイクルは早いか適当か。ページ数も多い。これだけの詩誌であれば、特集を組んだ出し方もあるのではないか。新しい個人誌がでた。八重山在住の砂川哲雄の『とぅもーる』。『宮古島文学』とあわせて先島での文学活動が楽しみだ。

『あすら』39~42。『アブ』16~17。『EKE』47~48。『KANA』22。『非世界』29~30。『宮古島文学』11。『脈』83~86。『万河』13~14。『縄』29。『うらそえ文藝』20が詩アンソロジーを特集。『だるまおこぜ』11。『小文芸誌 霓』5。『とぅもーる』1~2。若い世代が結集する『1999』が今年も出ないのはさみしい。

詩論で目立ったのは新城兵一の「沖縄―現代詩の現在地点 その詩的言語に対する熾烈な自意識」(宮古島文学11)である。昨年出した松原や市原千佳子の詩集を丁寧に分析しながら評価と批判をしている。詩意識から繰り出した鋭い批評には迫力を感じる。方言詩を沖縄回帰として批判している。私が島言葉を使うのは芸術言語=詩語として生成する詩想からきている。このことについては別の機会で触れたい。

アンケートに「沖縄の詩人は各々、自らの詩論、詩法を持たなければならない。」(あすら40)と応えた八重洋一郎の文章や本土出身と地元沖縄の詩人の距離をあげ「本土生まれの詩人に、たとえ失敗しても、沖縄を描く可能性があるのか」と問う、中村不二夫「沖縄と不可能性の詩学」(うらそえ文藝)が印象に残った。

日本現代詩人会の西日本ゼミナールが来年2月に那覇で予定され、地元会員を中心に実行に向けて活動している。成功を祈るとともに沖縄からの詩的メッセージを強く発信することを願う。

                                                              (詩誌『アブ』主宰)


「倉橋健一の詩集をよむ」(朝日新聞)で紹介されました。『ゆがいなブザのパリヤー』

2015-10-29 | 沖縄の詩状況

倉橋健一さんが「起点」という作品をあげて、この詩集を紹介してくださったことに歓喜、プカラス(宮古方言=うれしい)だった。ひそかに尊敬している倉橋健一さんにである。プカラスのあまり知人にメールで知らせた。

この詩集への読みがありがたい。なるほどこういう読み方をされる一面があるのかと逆に教えられた感じがした。
島言葉(私の場合、みゃーくふつ=宮古語)での詩作へ理解してくれている。「歌謡」という見方を導入すると、言葉へのまた新たな見方がうまれる。言語表出が相対化される快楽もある。沖縄への理解が、本土的視点であることは、逆に、島人が気づかないところもあるので、言語理解の奥行きが深まってくる。そこがいい。
詩の発生、根源的なるものへ遡行する詩想がどんな形ででてくるのか。ときどきこういうことを考え考えしながら書いたりしている。そこが詩法が多面的になってなっていくのである。やむをえない。特に、無意識と修辞が結びついてでてくる言葉がある。言葉で、言葉を書く、というのが詩的冒険を許可してくれる。日本語も琉球=沖縄語(島言葉)も外国語も造語も詩的言語にしていくつもりでいる。詩の言葉でしか切り取れない時やものやところを書いていきたい。存在や時代を修辞で切り取って語ってもいいと思うところがある。

多謝。タンディガータンディ。


詩時評・沖縄 2015年2月 市原千佳子『♂♀誕生死亡そして∞』、非世界29、EKE46、とぅもーる創刊

2015-06-01 | 沖縄の詩状況

今回で私の担当は最後となる。これまで3年間、混沌とした世の状況を感じつつ、詩の現在を求め、詩法、読み方を究めるように他人の作品に触手をのばして反射するものを出す、それが時評であると思ってやってきた。

孤独なランプの下で、いま書かれているものを読み、同時代を呼吸し、誰かの内奥から紡いだ言語表現=詩作品を批評という手段で交差したつもりだが、それは徒労に近くもあれば、おのれの詩想を奮わせることもあった。

詩は世界の片隅で書かれ、ある日、公開される。世界の〈現在の風景〉を言葉やイメージでとらえ深めた詩的言語あるいは存在や世界の事物、その見方(把握)を表現した詩的瞬間にであったとき私は期待した。見飽きた表現と異なる新鮮な詩的表現には快哉を叫んだりした。「これぞ詩的発見!」。刺激的な詩法に出会うと賛美を伝えたくなった。「さすがだ、ブラボー!」。

支配的に流布している言語の姿に絶望し苦悩しながら、じしんの言葉やイメージの詩句を孤独に紡ぐことにいのちを削っているのが詩人という存在だ。人が盗みたくなるような詩句。いかにそれを生成するか。誰も経験しなかった詩的表現を生み出す格闘こそ詩人の闘いである。既知の方法が染みついた作品のリフレインは詩法のマンネリズムでしかない。他と同系色で書いているなら、その作品はつまらない。詩が面白いのは未知の創造的な新しい世界をつかんだ言葉の発見に成功したときだ。……

などと未熟な詩学的観念を披露したが許されたい。自身でも実作で成功したとは思っていない。ただ文学(詩)するものは日本語であれ島言葉であれ修辞であれ不断に言語表現を問うことでしか詩の活性化を果たすことはできないと思いたい。

市原千佳子の『♂♀誕生死亡そして∞』は、詩集名にある、それへ向けて詩人の感受性と想像力から発した讃歌、愛、悲哀、寂寥、孤独をうたっている。この詩人は子のいる風景や生者、死者、自然の風景に宇宙の循環性が流れていることを詩境にもっている。

日常の風景からつかむ詩法がある。

「子の/その睫毛は兆しにぬれている/やがて棕櫚の葉のように成長して/無限の風とあやとりするだろう/緑の細いすきまが/風のこだまで震えるとき/瞬きという/全世界へのなんという/驚き!……略……子は泣きなさい/数億年のははたちとの別離の孤独を/一気に泣きなさい」(泣き口)

と、泣きじゃくるわが子から〈子〉を発見し、その存在から、母なる深いまなざしと驚きを比喩を使って、おおらかに謳い、子が単体ではなく、遙かなものを持っていることをも謳う。母胎が宇宙であること、生命の継承である子が悠久の時間的存在であることを喚起させる。生活情景から、時空をひろげた奥行きのある詩的情景へ転化するところにこの詩人の独特さがある。死生の豊かな情感がイメージを結び、現実のリアリティを詩的想像力で転換して異空間にかえてみせる詩語をこの詩人はもっているのだ。だから、母、産道、臍の緒、子、雨、草、木、老い、死、骨……といった語彙も、詩人にかかれば、現実の意味をこえた豊かなイメージ、大きな遙かなもの(地球、海、月、星、宇宙、無限)へ結びつくのである。

「おなかが/さいこうにまあるくなった/その日/わたしの子は/地球とおないどしになった/そして/うまれた」(わたしの子は)

「ボーンの郷は/生まれるときに掻き消され/死ぬときに立ち現れる。たましいが/四十六億歳の母のふところに還るので」(ボーンの郷)」

反面、みみずになりたい、目も手も足も標も要らない、と謳う「みみず」やラブホテルの性愛の罪を謳った「星の切符」にこの詩人の生きることの哀感、明るさと暗さの混淆した抒情の吐露をみる。

『非世界』29号。上原紀善の「情景」に眼をひかれた。

「グウゴロ グウゴロ/グロロンロン/ロンロロリン/ランラン リンリン/ランリラリン/ラルルの暗い情念」

言語音というか、オノマトペの連射に言語感覚がリズム化する。自動速記で音を産出しているといってもいい。上原紀善のオノマトペは無意味が意味をつつんでいく心地よさがある。非言語の心的な言語の音である。

香川浩彦の「詩・八人の画家へ」は世界の有名な絵画のなかに入り込んでフィクションなのに現実であるかのように仕向けて対話する。ゴーギャンの絵に向けて書く。

「私たちはただ 生きていさえすればいい/ただ それだけが私たちを聖らにする」

修辞だがなんとも味わい深い。

『EKE』46。宇田智子の「火事」は日常の現実をフィクション化して危うい生の無化を劇化していく面白さがある。

「本、燃えろ。ここに書かれた『私』はひとつも私じゃなくて、『君』ももちろん私じゃない。読むほどに悲しくなるから、灰になれ。」

砂川哲雄氏が個人誌『とぅもーる』を創刊した。八重山では文芸の雑誌は皆無という。期待したい。

 

※ 「沖縄タイムス」紙面で担当してきた「詩時評」は、これが最後となった。読んでくれた皆さんに感謝します。

 


詩時評・沖縄 2014年12月 石川為丸さんの死、脈82号、松本輝夫、谷川雁、あすら38号、万河12号、間隙38号

2015-05-31 | 沖縄の詩状況

また沖縄詩壇は書き手を失った。先月、石川為丸さんが亡くなったのである。「パーマネントプレス」という小冊子を出して、詩作しながら沖縄詩壇への批評的眼をもっているひとだった。私と同世代。早世がなんとも残念だ。この時評を担当している3年足らずの間、沖縄詩壇はばたばたと書き手を失っている。為丸さんを加えると、もう6名の方が彼岸へいった。

『脈』82号。今号は松本輝夫『谷川雁 永久工作者の言霊』の発行を契機に「特集谷川雁 永久工作者の言霊」をやっている。この本は雁の、いわゆる沈黙の15年(ラボ時代)とその後に焦点をあて雁の思想を追っている。特集では新城兵一、田中眞人、松原を除いて、会社(ラボ)の経営者となった雁となんらかの関わりをもった、あるいは、松本と関係のあるひとの論考がある。

興味深いのは、松本の「谷川雁と沖縄―沖縄=「南と北」論の起爆力」である。1983年に沖縄にきた谷川雁が沖縄タイムスに寄稿した「からまつ林からの挨拶」をもとに雁の思想に言及している

「沖縄は精神の次元でどの国家にも帰属していない。国家に帰属しないことの純粋さゆえに、沖縄は沖縄である」(からまつ林―)の引用からはじまって、雁は「日琉同祖論」や「沖縄祖型論」を斥けていたとする。沖縄は「北の南」ではなく「南の北」であるから、北よりも南に友達を捜した方がいいという雁独特の沖縄への提言なども紹介している。たしかに雁のそれは詩人的発想から発した刺激的な文章だった。

沖縄を経済成長主義に巻き込まれていない場所と位置づけ、次のように書いている箇所がある。

「経済はふるわなくても三線とカチャーシー、泡盛と島唄と琉舞、さらには陶芸、漆器、紅型等の織物、そして「おもろさうし」や琉歌等の多様な文化・芸能(雁のいう「芸術」)を頼りに生きることの喜びと手応えを見出すことを怠らなかった沖縄人のありよう。それらは全て沖縄ならではの海や森、陽光とともに育まれたものであり、かつ独特の共同性(結い)を基盤としていたはずだ。さらには御嶽を大事に守ってきた独特の宗教心と霊的感応力。換言すれば「南の北」的諸力の結晶にほかならない。そして、これさえあれば、「ここに酒あり」と胸を張ることが可能となる道を指し示してくれてもいるだろう」

この文章をどう読めばいいのか。資本主義下の負の現在にある〈現沖縄〉から脱化しようとあがいている現実がある。沖縄人は経済成長主義の対極で貧しい経済の生を文化力で克服しているというが買い被りではないか。酒や芸能に頼って生きられたらいいなと日頃私も思う。経済と精神文化。どちらも豊かになりたいのは決まっている。沖縄の現実は経済主義にもみくちゃにされ、経済とリンクした諸相を受容し、すさまじい島の変貌を繰り返している。それに、沖縄は「どの国家にも帰属していない」というが、れっきとした封建国家=琉球王国だったことを忘れるわけにはいかない。

『あすら』38号。詩作品をはじめ誌面が多彩になって充実している。新城の「動く標的と転位する射撃手」(北川透評論集への論考)、佐々木薫の「八重洋一郎『木洩陽日食』を読む。」は著作へのクロスが熱く語られ頷くところが多かった。

『万河』12号。翁長志保子の「うみ には においも かんしょくも おとも あなたのしらない たくさんが あるのです」は、こうはじまる。

「わたしの泳ぐうみは 無色透明 無味乾燥 キミも 君も きミも きみも キみも 同じ/に みえる/楽しい 幸せ 辛い 悲しい 哀しい/全て テンプレートで」

「うみ」というのは、社会の比喩で、「きみ」「ぼく」「わたし」が「テンプレート」のような同じ恰好にあり、つまらないと揶揄する。「テンプレートの僕は/傷ついた痕に 僕 を求めるのだけれども/その傷が/どうしてそこに在るのか/どうしてこんなにも狂しいのか/どうしてつくられたのか/どうして と 問うことを忘れてしまった」と畳みかけるように声をあげる。個性的でありたい自己と世界との違和感がでている。この自意識は創造へとつながるものだ。しかし誰もテンプレートのようにみえて、実は個別の生にあり、それぞれの陰翳を持っている。そこは気づくべきであろう。

赤嶺盛勝個人誌『間隙』38号。島の生、自然、日常、生活、存在の揺れを素材に、情景を切り取って比喩によらない苦い味を醸した自作品を多く発表している。

「断崖に立ったと思え/青と青との交叉するあたりは/しはぶきで遠い島々の歴史/をほのぼのとさせているが/点と線を結ぶ言葉は/人々を孤立させ 遠い昔の夢を/挫かせるのに充分であった/島の歴史は苦しみに満ちているが/人々は「ヒ、ヒ、ヒ」と笑いながら/古老らの話す談笑に/あやかりたいものだと思い/春草のおかげで/肥えていった奴は誰だ、俺じゃない」(立つ)


詩時評・沖縄 2014年10月 脈81、清田政信特集、星雅彦、あすら37、EKE45、比嘉俊、親川早苗、赤嶺盛勝

2015-05-30 | 沖縄の詩状況

『脈』という同人誌は、まさにセミプロの雑誌である。毎号特集を設け外部の書き手に書かせている。同人誌は会員の作品を主に掲載するのが通例だが、『脈』はレベルを超えた雑誌という感じだ。私自身、個人誌をやりながら、「特集」を考えるのだが、力量不足で頓挫している。比嘉加津夫の雑誌づくりに対する心意気に敬服する。

81号で「特集沖縄の詩人・清田政信」をやっている。県内外の9人(研究者、詩人、小説家)が書いている。清田政信という詩人は沖縄で詩(文学)を書く、ある世代以上のものならほとんど知っている。しかし、かれの詩的成果について反現実の疼きの詩人、難解な詩的言語の詩人と伝説化されてあまり語られていなかった。

清田が精神の病境で詩的活動から姿を消して、かくも長き30年近くなる。かれの残した言葉や志向したのが何であるかを問うことは沖縄で文学するものの根源にも関わることであると私は思う。「こんな詩人がいた」という時代になってしまっているが、現在でも「語られるべき詩人」であることはまちがいない。今回の『脈』の特集は清田政信像を知るのにいい論考が集まった感じだ。

哲学好きの清田を文学に誘ったのが中里友豪だったという。離島久米島からやってきてハイデッガー、ヤスパースに傾倒していたことをはじめて知った。こういう逸話がもっと読めたらいいなと思う。最近、語る前にいってしまう人が多いので、今のうちに聞いておく必要がある。失われた文学逸話にしないためにも、大いに談義することも必要だ。訊かないと出ない世界があるのだ。

清田政信は詩で何を語ろうとしたのか。私は、かれが表現した言葉を文学の根源を追求する言語として捉えていくべきじゃないか、と思う。我々は日本や西洋の文学言語を究めた先行する詩論や詩人論を読んでいるが、沖縄の文学表現に手を伸ばして解釈の深化と拡大を進め、色んな角度から読みの新しさを加えた言語探求の成果が欲しい。かれが詩(文学)で現実と闘うと宣言して、残した言葉は魅力的だし、個と社会(風土)の格闘、確執、苦悩を非妥協の内面で持続して書いた詩人をもったことは矜恃にしていい。

星雅彦詩集『艦砲ぬ喰え残さー』は、沖縄戦や、それをひきずっている戦後の風景をとらえる詩想で書かれている。起こった事象の背景を追いながら自分の声をあてようとする戦略がある。モチーフはリアルで重たい。

集団自決、戦場の死者の声を現在において掬おうとする動機がある。沖縄戦の悲惨な細部は体験者の証言などで現在進行形で語られている。そこで、多数の記憶をたどりながら詩の言葉として自律した言語表現を創造するためにはいかに言葉を内的に越境させるか。素材をいかに詩の表現に転位し、ポエジーを失わないで書けるか。読みながら考えさせられた。

作者自身が生き残った住民の声をきく仕事に関わっていた経験から、切り込んだ世界も垣間みえる。戦場と戦後の風景に呼びかけ、鎮魂の疼きのような情景がでている。

「心に宿る精霊たちよ/死にマブイはいつも/生ちマブイに語りかける/沈黙のなかの真実の言葉」(血の造形)

「ああ 遺骨代わりの戦場の小石たちよ/遠い石の心 語り合うそのひととき/喝を入れられ 一陣の突風 あれは幻影か」(何もないシマ)

「あとがき」で「詩作のとき、沖縄語のフレーズを作品のなかに薬味になるよう願いをこめて使用してきた。」とある。薬味だろうか。私は日本語と沖縄語は区別なく詩語として使っているのだが。

『あすら』37号。かわかみまさとが山之口貘賞を受賞したのを契機に、同人が作品をとりあげて書いている。こういう関わりは関係の希薄を変えるし同人を親密にさせる。作品に対して読者の地点から自分の言葉をクロスすることで関係を拓くものがある。

阿手川瓢の「羅列じゃいけない」にひかれた。書きたいものがないときに、辞書を開いて、偶然みつけた語彙からイメージを連想していく。恣意と偶然から出会った言葉を意味があるように書いていく。いい加減のようだが、書く理由、内的必然性、テーマ(題材)への作者の問いが表れている。

『EKE』45号は花田英三追悼号。同人が関わりを書いている。花田さんは「吉本隆明が日本の詩をダメにした」と言っていたという。花田さんらしい。そういう声は他でもよく聞く。吉本隆明は、思想言語でも詩になる妙技を示しながら、詩が芸術言語であることを最後まで語った詩人だったと私は思う。

比嘉俊小品集『マンボー』、親川早苗詩集『レインボー・カラー』、赤嶺盛勝詩集『はいばた幻想』が出ている。小詩集ながら詩を書くことと生きることが等価となるような詩境を紡いでいる。個の境涯やさりげない日常を言葉にすることが〈自分という存在を生きること〉であることを改めて感じた。詩は等身大でいいのだ。


詩時評・沖縄 2014年8月 西銘郁和、市原千佳子、新城兵一、宮古島文学10号、アブ15号、万河11号

2015-05-29 | 沖縄の詩状況

西銘郁和の「アラタなる」(非世界28) は母の死をみとった詩である。西銘の詩法には生起する現実に触発された書き方がある。

「心肺と 部屋の空気までも過熱していく/個室からささ舟の逃避行のごとく/後ずさりにくらい廊下に立てば/ゾウのサケビをおもわせる大きな息の連ねは/人気の絶えたながい廊下にも」

「明日まではせめて夜のあけるまでは/がんばれガンバレと心中ふかく述べれば/―もう十分にガンバッテいるのに!せめて明日まではと/それまでは しずかにねむって欲しいと/いのるように」

死の瀬戸際にある母。「ささ舟の逃避行のごとく」息づかいを聞きながら離れるが、命の音が逆に強く聞こえる心的情景がある。詩行を強めているのは命の川を渡っている母へ言霊を届けようとする詩境である。生の涯際を思いやり、生き延びることを願いながら、母をみとるという厳粛さのなかで、闘っている母に言葉をあてがう。そこには他者にはみえない関係の長い時間が流れていて、作者の内面で母の生存の情景が浮き立ち、命を終えるものへの愛しさとなってつながっている。こういうとき言葉は作りものではなく祈りの歌となるのである。

母を題材にした作品がほかにもあった。ムイ・フユキ「ふたたびの離人の丘―母の呪縛」(あすら36)、仲本螢「手づくりの地勢図を」(同)。

〈私〉とはいったい誰であろうか。そういう視点で書かれた詩が目についた。

「体にヘソがあるので/私は子である……略……ここ界隈では/先住民のような顔が近づいてきては/問うのだ 誰の子か。/親を問われているのだが/答え方がわからない」(市原千佳子「ヘソの原理」、アブ15)

「おまえ(たち)は いったい たれか/その外部の声はやがて 内部のきつい問いとなる。/いったいたれなのか。わたし(たち)は……略……わたしは名のらない。寒い夜をこめて/むしろぬぐい捨てる。」(新城兵一「たれてもないものの詩―非「沖縄人」宣言」、あすら36)

ここには、私=個への見方を民族的な見方で定義して済ますことへの問いがある。

自分が何者であるか、という問いを立てるのは同時に世界(状況)へ批評を打ち出すことである。問いは世界の内実を浮上させるものだ。そこから語り出す言葉は妙に屈折した貌でやってくる。そのとき、投げかけた者の背後がときに重たく、ときに軽く歌い出したりする。近代の病を解く処方箋としてのアイデンティティではもはやない。「私は沖縄人である」という宣言の次にくる課題を喚起しているのだ。そこに我々の現在が抱える深淵を書いていかねばならない。アイデンティティを語れば自己を悟ったかのような論理に、我々は甘えられない。その先があるのだ。

詩の言葉がもっとも輝くのは、詩人が存在を語るときである。それは多彩にある。知的認識ではない。哲学でもない。他者の言葉を借りて説明するものでもない。自分とは誰か。てぶらで世界に佇み、自らの言葉でつかんだ世界を歌う。固有の思惟と感性とイメージとリズムだ。詩が響くとはそういうものだ。

今回発行された詩誌には詩論、作品論、詩人論が多くあった。

下地ヒロユキ「鎮魂をさらに高みへ―新城兵一詩集『弟または二人三脚』)(宮古島文学10号)、新城兵一「ただのかよ詩集『砂ころのうた』小論」(同)、追悼文でありながら詩論を展開している、高橋秀明「東風平恵典詩集『嵐のまえぶれ』を読み返す」(アブ15号)、伊良波盛男「飯島耕一と詩学」(同)、など、作品の分析と解釈を深め、詩人像を浮き彫りにしている。田中眞人「現在をどう視るか」(同)は文学表現の現在的意味を求め、文学の力というものに切り込んで深めた、すぐれた論考と思う。文学は現実界では無力だが、内的生命をもつという評言は納得がいく。

『宮古島文学』10号は平良好児の特集である。作品と関わりのあった人の文章を掲載している。『郷土文学』を23年間、一人で編集発行して、90号まで出した持続力は学ぶものがある。私も何回か掲載させてもらった。

『アブ』15号は、市原千佳子、鮎川みのる、東恩納るり、トーマ・ヒロコ、西原裕美、山原みどりなど、ベテラン、若手の女性の作品を掲載している。鮎川は昨年琉大びぶりお文学賞を受賞した新人。書き続けて欲しい。

これも若手を中心に出している『万河』11号。翁長志保子の「しゃんぱん・ゴールドの屑」は言葉を自在に転換する手法が面白い。ただ、吃音語のような、語彙の句切りにエネルギーをついやすのはもったいない。そうでなくても、紡ぎ出す言葉の感覚は独特なものがあると思うので、凝りすぎなくてもいいのではないか。ダダ的な言語破壊の詩想があるなら別だが。

今年の山之口貘賞は、かわかみまさと『ふたたびの海』と米須盛祐『ウナザーレーィ』が、新城兵一『弟または二人三脚』が平良好児賞を受賞した。


詩時評・沖縄 2014年6月 花田英三・東風平恵典さんの死、伊良波盛男、かわかみまさと、鈴木次郎

2015-05-28 | 沖縄の詩状況

花田英三、東風平恵典さんが亡くなった。 わずか2年の間に沖縄詩壇は多くの詩人を失ってしまった。宮城松隆、真久田正、仲嶺眞武、そしてこの5月にお二人である。いま書き手が高齢化の段階にあるとはいえ、やっぱりこれは残念すぎる。我々はもう彼らの、現在の言葉を読むことはないのだ。

花田英三さんの軽妙な詩を読んで、この人はなぜこんな余裕にいるんだろうという不思議な感じをもっていた。私は以前、詩誌「アブ」8号でもこう書いていた。

「花田の肩に力のいらない軽妙な言葉は前の詩集『坊主』で感心した。こんなに飄々としていいのか、と思った。だが後で想った。そうか、〈老い〉は生き急ぐものではない、と。」(缶詰ノート)

詩が軽妙なのは老いのせいではないことはわかっている。老境は何も生き急ぐものでもない、生きる軽みを学びたい人であった。

宮城正勝さんから宮古の東風平さんの訃報を電話で知らされたとき、実は前日に五木寛之の『完本うらやましい死に方』を読んでいた。この本の死は看取られながら逝った死がほとんどで死因がなんであれ、〈普通の死に方〉であった。東風平さんは海に泳ぎに出て亡くなって浜辺に打ち上げられていたようだ。新城兵一さんによると彼は海によく泳ぎにいっていて、その訳を「死への欲動があるからじゃないか」といっていたという。普通の死に方ではない死で終えた。母なる羊水の海に帰ったのかという想念がつきまとう。それとは別に、誰も死の手前という偶発的な現実を抱えて生きていることに気づかされる。

伊良波盛男『超越』を読んでいると、こんな作品があった。

「酒を飲んで頭を打った/血達磨になって/病院に運ばれ/死ぬかと思ったが死ななかった/交通事故に遭遇して肩の骨を折った/死ぬかと思ったがチタン合金を/深く嵌め込んだら/死なないで万事済んだ/冬の砂浜を踏みしだいて/ぐらぐらと動揺して心を打った/心が転んだ詩を書いて/転がっていると/転ばない人生はない/とやっとの思いで気づいた」(転んで)

語調は淡々として、経験を綴るが、死との遭遇を切り返した生の境界をみつめている。そして、〈ある境地〉に着地する言葉が開いている。

「インスピレーションの魔力に取り憑かれ、詩歌の実作を始めた」という伊良波の詩は告白体、自伝的である。生活から発しているが生活を書いているのではない。出自、恋愛、結婚、家族、離婚、上京、仕事、定年、池間島に帰郷。人生の全てをひととおり歩んできた。そこで手放さないのが詩作だ。

「全くあせることはない/長閑に暮らして/詩を欲すれば読み/詩神が顕現すれば書き/いずれの場合も/命の充足感が湧く/詩は命の糧だ/詩は命の本源だ」(呟き)

「この私はついに/ここまで来てしまった/あとは成り行きに任せて生きのびるしかない/何もかも投げ捨てる覚悟はできている」(もどれない旅)

「単純な人生」、「ケ・セラ・セラ」、「超越」などの作品にも貌だす生への過剰の停止、オプティミズム。もはや全存在を寛恕して言葉を紡いでいる。この詩人は、仏教的観念もあるが、フレームを外し、さらに赤裸になってきた。

かわかみまさと詩集『与那覇湾―ふたたびの海よ』は記憶にある、生まれ島の情景と魂が深く交響する世界がある。作者は遠く東京に住む。記憶が風景をつくり、その詩境にリズムが生まれ、島の原風景に祈りの歌を注ぐ。

「ふたたびの海よ!/凌われたことばの汀で/立ち竦む魂よ!/星ぬ願す/風ぬ唄ゆ/助きる/助きいふい~る」(風のアーグ)

彼方にある島の海を呼び込む。島は豊穣な言葉を生み出す源泉の島だ。心性と故郷の海がひとつになった根源の叫びを紡ぎ出している。

宮古語の韻律を語感に持って、日本語と島の言葉を対比するように書くことで詩的空間をつくることも特徴としてある。

「記憶は熟成すると/たわいない擬態語を口ずさむ/ばぁんな んざんが うずがぁ/ずうずう やー んかい ずう」(与那覇湾)

異郷の地で押し殺す島言葉の内発。島言葉は身体語であるのに日本語圏ではまるで擬態語のようにしか口ずさめない。「んざんが うずがぁ」。まさしくだ。

『思索者』6号で鈴木次郎が「行き着くところのない空虚と絶望との対峙」で岡本定勝の『夢幻漂流』について読解を披露している。これだけ分析されて書かれることは冥利というものだろう。理解者というか一等の読者を獲得したからだ。

琉球大学が『第7回びぶりお文学賞受賞作品集』(小説、詩部門)を出している。県内大学生を対象に毎年実施する文学賞だ。詩受賞作、鮎川みのる(琉球大学)の「存在感」は卑小なものを感覚でとらえて開放していくすがすがしさがある。

「小さな存在感、ダイナミックに/朝方の太陽と、反射する僕/風が僕に体当たりする」


詩時評・沖縄 2014年4月 書き手と読者、うえじょう晶『我が青春のドン・キホーテ様』、仲本瑩「夕占びと」

2015-05-17 | 沖縄の詩状況

詩の書き手 は詩の読者である。果たしてそうか。詩を書くものは雑誌や詩集に発表して、書店のほか詩壇でつきあいのある人や読んでほしい詩人に送呈する。だが、〈まともに〉読まれていない、という憂き目に遭遇することが多々ある。会合で会うと、「ごめん、読んでいない」という声によく接する。読んでくれる不特定少数のありがたい人はいるが、それもある契機がないと〈まともに〉読まれない。〈まともに〉ということは感想が述語できることである。〈私〉や〈世界〉の表現に魂を注ぎ、無に等しい言語に生や存在をかける愚かさで詩は書かれる。むろん詩はそんなに読まれるものでもない。人の評価なんぞあてにしないで、自身の言語芸術、詩的精神の運命をかけて暗闘したほうがいい。

うえじょう晶詩集『我が青春のドン・キホーテ様』。タイトルは映画的なつけかただし、異国ものが好きと思わせるカタカナの多い詩編が入っている。

作者は外国への短気留学、外国の美術館巡りなどをモチーフに詩作している。作者にとって旅は訪ねる旅、確認の旅である。かの地にいって、そこにたち、その場所でみたものや経験が喚起するものを綴るのが流儀である。

旅先の光と影。それが言葉の出所だ。旅は非日常の光景を詩的情景にする。スペイン、ゴヤ、ロルカ、ラ・マンチャ、アンダルシア、地中海の乾いた土地、内戦、流血の歴史と対面して出自の沖縄を想起する言葉を紡ぎ、

「どこでもない土地のどこにもない時間/どこでもある土地のどこにもある時間/一日の時間がそのもののように流れる」(異邦人)

「もう、誰にも届かない/わたしの詩はどこにも届かない」(水葬)と自分に戻ってくる。これは詩の境界に作者が存在し自分の言葉の姿に目覚めるということだ。

プラド美術館のゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」から発想したリアルな作品「洞窟の記憶」にある沖縄戦のガマでの悲惨な体験を語る「私」は虚構なのか自分なのか、そこが判然としなかった。

実に久しぶりに出た『KANA』21号は真久田正追悼号である。故人と関係のあった人の詩や文章を寄せていて、故人の志向性、生存の位置、活動を知らしめてくれる。おもろ語を意識した詩作は「琉球古語の響きへなびく」音韻言語と思うのだが、こういう詩ができたのには、この人が琉球独立論者であったことからして〈故意の詩境〉によるものであることがわかった。

『あすら』35号の仲本瑩の「夕占びと」。夕占とは辻占いの一種で通りかかる人の声で占いをするものらしいが、その古代人の奇妙な感覚を自らが体現して詩作している。

「平和通りの市場へ。これが最短、最適な女たちの匂いのする、蛇のような狡猾さをまねて。まねて、とおもっているうちにわたしは置いて行かれる。追い越されていく。されど市場のほうへ。夕占びとのひしめきあう界隈へ。」

市場は言葉が雑踏する不思議な場所だ。そういう市場の情景と魂が交叉する。歩行が耳の感覚となって空間をとらえる。魂のわさわさ、エロス、人声が詩的世界をつくる。魂が生活や世界を感じながら歩行するというのはこういうことだろう、と思わせる。仲本の詩には死んだ妹や母の面影を追想する場面がよくでてくる。日常が単なる通行ではなく、異界をよび、詩句を生む。歩行が詩境となる行為がある。瞬間、場面をとらえる俳句的感性と魂を放り込む詩法が混淆して、不思議な味わいがでている。

『アブ』14号は、東恩納るり、山原みどり、長島瑠、伊波泰志、西原裕美、宮城隆尋など若手を掲載している。伊波は「ぼくらは言葉を持たない世代だ」といっていたが、ハイパー・ポスト72世代のかれらの感性や言葉を占うことに関心がいく。

西原の「思い出せなかった/呼吸が/いま/指の先で/息をした」(呼吸)は内的感覚と身体感覚が危うい比喩の詩句。宮城の「何の発見もない/変化を望むこともない/期待は踏みにじられることがわかっている/だから顔を上げない」(天板)といった表現には青春の屈折と怒り、絶望から内発する言葉がある。

小文芸誌『霓』2号の宮城信大朗の詩句はひらがなの軽妙さで現在を吊し情景を浮き立たせている。

「いまこれから/きれいないびつのうえにたって/しじんたちのやかましいきょげんを/くちいっぱいにほおばってごらんなさい」(あし)

『脈』79号は「特集吉本隆明と沖縄」。実に読み応えのある雑誌だ。今号から、比嘉加津夫の個人誌『Myaku』と合併して出すことになったようである。『Myaku』はこれまで比嘉の個人誌で詩人や思想家を特集する、年4回出す精力的な雑誌。今後は彼自身の個人誌的な要素と同人誌的な要素を持たすわけだ。雑誌を出すには誌面の充実が求められる。だらだらと号を重ねるだけの同人誌よりも時宜を考慮した特集方式が魅力ある雑誌づくりになることを心得ているからだろう。


詩時評・沖縄 2014年2月 中里友豪詩集『キッチャキ』、島のモチーフと空間を書く詩人たち

2015-05-15 | 沖縄の詩状況

 沖縄の状況は期待、失望、怒り、希望が混在した現実にある。突きつけられているのは、強いられた歴史形成の軋みに誰もが遭遇しているということだ。「腹の立つときでないと詩を書かない」といったのは金子光晴だったか。

 中里友豪詩集『キッチャキ』には、沖縄や世界の現実に対峙した詩人の声がきこえる。「キッチャキ」とはウチナーグチで「つまずき」の意味らしい。詩人は何につまずいているのか。

 47編には題名がない。「そのときどきのコトやコトバにキッチャキして、ついこぼしてしまったことば」(あとがき)だからだ。

 詩法でいうと措かれている現実を顕在化させることによって言葉を立ち上がらせ、感情を織り込む方法である。

 「「ウンジョー」と語りかける/「イヤーヤ」と母が応える/世紀末の一日/懐かしい日だまり/普通語でたたかれ/標準語でのばされ/共通語でちぎられ/チャー シナシナー」(4)

 「トゥルバイカーバイ/ウミマディトゥラッティ/ウッチェーヒッチェー/ウセーラッティ/アンシンカンシン/イチチイチュン」(16)

 軽妙な沖縄語のリズムを生かしながら、沖縄の現実をワジワジの感情でうたっている。生起する事象を取り込みその場面に島言葉や口語をもってくる絶妙さ。この島の歴史や文化を開いたら悲劇的な断面が貌を出す。そこをうたう。沖縄でなければ出てこない言葉の運命とざわめき。植民地扱いと不条理を批判し、「ナマワジランデー イチワジーガ!」(39)と叫び、基地を攻撃する妄想テロリスト(EKE44の「夜のトーチカ」)さえ登場させる。幼児期の沖縄戦、占領期、復帰、ヤマト世を体験してきた激動世代の詩人は作られた状況に対して自分の声(言葉)を対峙することで自分と世界をクロスさせ、そこに詩を書く意味を見つけている。

 詩的想像力がよく出ているのは作品34だ。

 「見ませんでしたか/はらわたずるずる/右手で押さえ/トントカー独楽のように/左にばかり回っている少年を」

 「アガタンイチュタン/クガタンイチュタン/トントカー独楽の少年に/会いましたか」

 「少年」とは誰か。「左」に回るというのが暗示的。傷を負った幻の少年を探すという情景は、自分の少年期を比喩化しているかもしれないし、あるいはイラクの少年かもしれない。悲惨な現実が時の流れで忘却される時代の哀しさを喚起する。こういう超現実のイメージで世界を捉える方法は面白い。

 『キッチャキ』が視える島の声であるなら、島の沈黙した、暗部の声も聴かねばならない。詩人というもののアンテナは天上、地上、地下の声を感受しなければならないのだ。

 今回手にした詩誌に、〈島〉をモチーフにした詩が多く目についた。もちろん沖縄の詩人は島を意識した作品を多く書いてきた。沖縄というトポスで書くとき、島の歴史や文化の素材に流される危険があるので、個人的体験の内面を強く関わらせなければ詩的言語になりにくい。島に新鮮な言葉やイメージを発見する詩的想像力が求められる。

 「島とは、わたしの悲しみの器。/たったひとつの灯り、/出るに出られない根城、/島としか言いようのない仮構の在り処なのだ。/わたしを抱きしめているもの、/わたしが抱きしめているもの、/島。/わたしのシャングリラ。」(佐々木薫「島4」・あすら34)

 「月夜には 天空が地上に降りたような/青い光の洪水!吹きさらしの島の暮らしの荒野に/散らばる美しい砂礫のような/あれらの日々!/そこに生きたやさしい魂たちよ/だがいま 島は幻」(岡本定勝「島は幻」・EKE44)

 「わあ すごい/この島には/ほんとうの夜がある」(砂川哲雄「闇夜」・非世界27)

 「この島を 生きるしかない/この国で この島を生きるしかない」(与那覇けい子「決意」・非世界27)

 「あんな島でいたいものだ/平気で生きている/あんな心根でいたいものだ/平気で生きている/そんな不埒な自分でいたいものだ」(香川浩彦「島、故郷」・非世界27)

 語られている〈島〉は、それぞれの島の体験、記憶から発している。佐々木以外の詩は、出自を持つ島風景の変貌、喪失、郷愁、愛着や希望、島への同調が語られていて、なにか背理がない。それは歳を重ねた者の、棘のないやさしさなのか。

 佐々木の〈島〉は沖縄に出自を持たない眼差しからの親近、疎外と在所としての島である。つまり存在の生をつきつめた先にみえる島である。比喩の島だが、根源で島を創造する深いささやきがある。

 血と歴史がひとつになったアイデンティティとそうでない血の違いが複雑に絡み合っているのが、今の沖縄社会の現状ではないか。アイデンティティの視点は重要だが、それだけでは詩的創造を生まない。島とは何か。我々はまだ〈本当の島〉を書き尽くしていない。

                                                  沖縄タイムス(2014年2月) 

 


松原敏夫詩集『ゆがいなブザのパリヤー』を発行

2014-11-02 | 沖縄の詩状況

 人の詩集ばかり読んで、ああだこうだと批評することにあきて、ときには人に自分の愚かな姿をさらすのも必要だ。……と思いつつ、経済的事情で前に進めなかった詩集発行にようやく手をつけることができた。『アンナ幻想』以来、実に28年ぶりである。それでも、これで3冊目でしかない。

 作品は同人誌や個人誌や新聞に書いてきたもの。これは書き散らしているようなもの。やはり、まとめて出しておかないと、自分の全景がつかめない。今回、28編を収録したが、かなり古い作品も入っていて、こんな作品を書いていたのか、と自分でも驚いたりする。詩的表現をどん欲に求めていたからだろう。文学はおのれを救うものだ、生と存在を革命するものだ、と血気盛んに青春していたころ、言葉を求め、言葉との出会いに刺激され、世界を見つめ直したころ。あるいは年齢や経験や生活が言葉に侵入し、詩を書くときの詩境というものに、こういう詩作を生み出す背景があったとは思う。
 作品は、どんな場合でも、なんらかの現実を抱えている。その現実は詩的現実でもあるし、日常的現実、生活的現実、人生的現実でもある。生きていることを背景に言葉を紡ぐこと。それはどのような詩にも必ずある。
 これだけはいえる。詩の方法を常に思惟しながら書いてきた、ということである。ひとつの素材をいかに詩にしていくか。いかにつかんで書くか。内容も大事だが、詩的素材を対象にして、いかに言葉を与え、それをつかんで、どう別の言葉にするか。そこが詩の勝負でもある。だから日常や生活や境涯や現実やらが入ってくるが、そのまま書いていくよりも、その光景が持っている、もうひとつの世界を書こうとしている。したがって、素材が内容になっていっても、なんらかの喩法、換喩、隠喩、アナロジー、変形、異化、諧謔をもった言葉になっているはずだ。
 こういう書き方は生や存在をみつめ〈芸術的なもの〉へ引き上げようと願望した結果であるとは思っている。詩が、ポエジーであるかどうかは、言葉が記録や写しを拒否することにある。詩的言語とは、通常言語ではない言語表現である。その勝負だと思う。つまり、詩は言葉によって、そのものの、別のなにかの発見がないとつまらないということだ。
 それほど人に訴えるような生の境涯に生きているわけではないし、人の関心や感動を呼ぶような生き様生活をしているわけではない。いろいろある普通でない生活をなんとか処して、普通であるかのように暮らしている。特殊な生活を抱えているが、とくに自慢するものでもないと思っている。それが我が生の処し方というものであろう。
 方言(しまくとぅば)を多用しているが、故意に使用しているわけではない。日本語も島言葉も同様に詩語として使っている。方言のもつ<わざとらしさ>は二の次でしかない。身体言語が自然にでてきただけの話である。私には、日本語を使え、島言葉を使え、という主張はあまりない。日本語であれ島言葉であれ外国語であれ、詩的表現、詩的言語として成功していればいいのだ。

   書名 ゆがいなブザのパリヤー
   発行日 2014年10月22日
   発行所 あすら舎
   形態 A5版 100頁
   定価 (1500円+税)

 


沖縄戦後詩の光彩を放った詩人 清田政信

2014-09-16 | 沖縄の詩状況

 『脈』81号(脈発行所)が清田政信を特集している。「特集 沖縄の詩人 清田政信」。(2014年8月31日発行)
 よくぞやってくれたという感じだ。

 わたしは清田政信という詩人は「語られるべき詩人」の第一にくる存在だと思っている。それゆえに雑誌を手にして悦楽にひたりつつ論考記事を興味深く読んだ。雑誌で特集を組むのは1970年に沖大文学研究会が出した『発想』4号以来である。しかし、今回の「脈」の特集は、清田政信が詩(文学)の世界から姿を消し、深い沈黙の彼方へ去った、かくも長き不在の現在に出されたということに意義がある。今回はわたしも「清田政信についてのランダム・ノート」というとりとめのない拙文を書いてしまっている。ノートとしたのは「清田政信論」とするには、読み方がまだ足りないと思ったからだ。

 とはいえ、これも端緒についたにすぎない。かれの言葉を読むことで今後、分析、解読され、そこから文学(詩)というものの地平をさらに切開し、本質の言語へ深化することができると期待する。ただ注意すべきは、ある世代やあの時代の言葉として限定的に閉じてはならないということだ。あくまで文学(詩)の言語として読むことでなければ狭隘な解釈しか生まれない。
 もうひとついわせてもらう。いまの沖縄の言語表現は沖縄という場所でのみ解釈され、沖縄という装飾をかぶせられ、自らもそう思い込んでいるものが多い。<沖縄を書く>という意識の内実を問い、表層のローカル文学の位置を打破しなければ、沖縄文学は自己満足の位置から抜けきれない。文学を深く追求するものからは「素材はいっぱいあるから、新しい書き方を加えたら、もっと豊饒な文学がうまれるのにねえ」という声があがっているのだ。要は、沖縄という場所(トポス)の視点から世界の文学界へ提出する文学想像力の産出が必要ということだ。
そのためには文体の新しさが求められるだろう。

 清田政信が活動した50年代後半から80年代前半において残した詩と思想の言葉は鋭く刺激的だ。「詩(文学)で現実と戦う」と宣言して、そのとおり実践し、生きた。沖縄で詩を書くことの意味と困難を終始問い続けた。詩を書くことと生きることが同一であるように生きた。その激しさ故に、他者と衝突したり、職を困難にしたり、生活を破綻させたり、やがて精神の病を得て、去った。
 清田政信という詩人は苦悩の詩人だった。その姿が<文学(詩)という孤独>を生きるものにとっては、ある意味で先駆者であり、鏡のような存在でもあった。現実、秩序、権力、イデオロギーに加担しない批判言説は魅力的で影響力があった。かれにとって詩語は闘って獲得するものだった。

 小説家の樹乃タルオが感銘を受けた言葉を書いている。
 「革命家にとって家庭は寝る場所でしかないが文学をする者にとっては発想の場である。」
 また詩人の田中眞人は次の言葉をあげている。
 「世界は柔らかい部分から徐々に腐っているようだが/人たちはなにもこわせない思考を恥じてはいけない」
                                             (「薄命の訣別-詩集「南溟」)

 こういう読者をふるわせる言葉が随所にある。まさに魅力的で稀有な詩人だった。

 清田政信は詩(作品)だけ書いたのではない。詩批評、状況批評、特に美術批評も書いた。その俎上にあがった画家は多い。『情念の力学』、『造形の彼方』に収録されている。文章が詩人ならではの詩的感性から生まれている。かれは「眼の詩人」だったのだ。

 清田政信の著作

  詩集『遠い朝・眼の歩み』(詩学社)(1963・11、26歳)
  詩論集『流離と不可能の定着』(発想編集部)(1970・7、33歳)

  詩集『光と風の対話』(思潮社)(1970・8、33歳)
  『清田政信詩集』(永井出版企画、1975・12、38歳)
  詩集『疼きの橋』(永井出版企画、1978・10、41歳)
  批評集『情念の力学』(新星図書出版、1980・3、43歳)
  批評集『抒情の浮域』(沖積舎、1981・8、44歳)
  詩集『瞳詩篇』(沖積舎、1982・4、45歳)
  詩集『南溟』(アディン書房、1982・9、45歳)
  詩集『渚詩篇』(海風社、1982・11、45歳)
  詩集『碧詩篇』(七月堂、1984・3、47歳) 
  批評集『造形の彼方』(ひるぎ社、1984・9、47歳)

 


詩時評・沖縄 2013年12月 『弟あるいは二人三脚』、『夢幻漂流』、『脈』78、『万河』10、仲嶺眞武さんの死

2014-09-15 | 沖縄の詩状況

 今回はとりあげる対象物が寡作だなと思っていたら、近くになって意外にでてきた。

 新城兵一『弟あるいは二人三脚』。この詩集をみたとき、ああ、これは出すべくして出した詩集だなという印象を持った。詩人は去年12月に心の病を持った弟を亡くし、その逝去から集中的に書きつなぎ、1年たらずのうちに詩集を編んだ。実にこの詩人のパッションをみる思いがする。

 「『ふるさと』に在りながら おまえは/血の係累からも遠くみずからを固く閉じ/そこだけ一点の 眠りをなくした白い闇となって/狂った沼の地帯へ深く踏み迷っていったのだろうか。」(遠い疵)

 「おお疵よ 癒えるな/いつまでも癒えるな/この世に生きて だが妻無し子なし/どんな生の痕跡も業績もなく/たった独りで終わった六十年の生涯。」(ハミング)

 14歳で発病し46年間、精神を病める者として生きた弟。最後の10年を詩人は一緒に暮らしていた。長い苦の境涯に寄り添いながら、狂域の共有と黙狂に語りかける生活を詩人は詩にした。祈りや叫びや疼きと叙情が融合した、感動的な詩編だ。

 詩人には関係をうたう詩想がある。関係をうたうということはその真実をうたうということだ。それは詩の契機を人間の現実に依拠するからに他ならない。ほんとうの言葉を創り出すのは関係の深化と誠実な態度が生きるときである。血を分けた絶対的な関係への愛憎をいかに掘り下げ言葉にするか。そこで詩は試され、その詩は修辞を超えた美しい言葉となっている。

 「いまはおまえの代わりに/空虚だけが乗っている白い椅子。/それから何か とらえがたきものがあふれだし、/ひろがり、遥かなものへとつながっている。/そのことがしみじみとわかった。」(肖像)

 死して不在となった弟への寂寥と悲しみの陰翳から〈遥かなものへのつながり〉をつかむ。これこそが詩人が弟の記憶と根源で結ばれ、ふたつの魂がひとつになる瞬間であろう。

 岡本定勝『夢幻漂流』。漂流―という言葉が、この詩集の性格を表している。よりどころを持たず、自らの感性と思惟と体験を融合した言葉を紡いでいるが、時に〈むなしさ〉というものに対峙している姿がある。

 「おれが仕立てる船は/何処へ行くのか/白い石灰岩の船だろうと/美しい赤土の船だろうと/まぶしい蜃気楼の船だろうと/どっちだっていい!/いずれ流れ着くのは/空しい岸だ」(夢幻漂流)

 すると詩集から匂ってくるのは「漂いの叙情」である。詩編に顔を出す「流木」「漂流」「漂着」「漂泊」「船」「彷徨い」「さすらい」「何処へ」といった語彙がそれだ。意味的にでてくるその語彙に詩人の漂う感情が込められている。

 あるいは、言葉の展開に「閊える何か」に立ち止まる姿がある。どこか憂愁と寂寞、虚無的な心情が、生活や海や街や夢を語るときに〈閊え〉となってでてくる。詩人の世界や他者への関わり、人生や存在や暮らしや光景や時間や記憶や家やらにおいてもである。だから詩の雰囲気が、喪失感、不在感、かなしみ、といった時代的なエレジーっぽさを出してくる。

 「ぼくと妻は/帰り途でコンビニに立ち寄り/夕食のおでんと/明朝の食パンを買う/一日の終息はかすかな安穏を贈ってくれるけれど/明日の小さい修羅場の群れへ/目くばせ放つようだ」(日のたそがれ)

 『脈』78号。宮城隆尋の詩の言葉には吐き捨てるような激しさがある。

 「絵を始めたんだって/ついに狂ったか/カンバスに絵の具を叩き付け/金属バットでなぐってるのか」(脳の排泄)

 言語の激情がはみ出さんばかりに動いている。抑制や穏和な叙情や論理化や説明を棄却して挑発的な言語を排出している。詩をなにかに対峙させながら暴力性の投与、日常の暗部―狂気や異化を露呈させる詩法がある。

 『万河』10号。翁長志保子の「○と△との境かいセん」は視覚を言葉の変容でとらえる面白さがある。感覚と言葉が交感して、光景を詩の世界へ転化する詩的感性がよくでている。

  「みず しずむ/みなも のアオを みつめる/コプコプとたゆたう おと/ゆがみひずむ きしぎ かしぐ とおくひび く ゆがんだせかい/みなも は いびつな ぼ をうつす/を のばし みなもにふれる」

 仲嶺眞武さんが逝去された。娘さんからの私信に故人は「死が迫っていることがわかっても詩を書き続けたい意欲」を続け「ふるさと沖縄への望郷の念を抱きながら旅だった」とあった。93歳という歳まで現役の詩人を続けていたことに深く感動する。

 『GANYMEDE』58の遺作となった4行詩「靴よ、さようなら」には死を覚悟した静謐な言葉が出ている。

 「私が死んで納骨される日、私は、ふと、靴を思いだした/春の日も、夏の日も、秋の日も、冬の日も、私は、靴を履いて歩いた/靴よ、おまえとも、今日で、お別れだ/あの世で私はお前を履かないし、おまえを見ることもないだろう、靴よ」

 合掌。

                                                      沖縄タイムス(2013年12月)


詩時評・沖縄 2013年10月 Myaku17、田中眞人『太陽の和声』、あすら33、宮古島文学9、パーマネントプレス5

2014-09-14 | 沖縄の詩状況

 9月は山之口貘生誕110年の関係行事、与那覇幹夫さんの詩集『ワイドー沖縄』の小野十三郎賞受賞と活気づいた感じがあった。

 琉球新報ホールであったイベント「貘さん、ありがとう」の座談会で印象的なシーンがあった。司会が貘を沖縄の詩人と先験的に定義して進めることに対して、娘の泉さんが「沖縄の詩人というより、父(貘)は人間を書いたと思います」というような発言をしたので、「お、いいね、さすが詩人の娘だ」と私は感心、心の中で拍手したのだ。

 世代ごとの3人の発言者が出演していたが、いまいち、突っ込みが足りなかった。研究者の座談ではないので、シロウトっぽく親しみがあってよかったが、ホールを満席にした観客がいたので、もっと広がりのある展開が欲しかった。

 タイミングを考慮してだしたと思われる『Myaku』17号が山之口貘特集をしている。内田聖子の「山之口貘 金魚のあぶく」は山之口泉『父・山之口貘』など参考に詩人としての貘の生き方を浮き彫りにし、比嘉加津夫の、小説の視点からの「仕掛ける詩人・山之口貘」、詩句に多用する「いう」の表現に着目した仲程昌徳の「応答の詩学」も読み応えがあった。ついでだが松原も対談形式「山之口貘を語る」で参加している。

 田中眞人が詩集『太陽の和声』をだしている。実に30年ぶりだ。この詩人はつくづく創造的な詩語の詩人である、と思う。抒情的であって、イメージ的であって、思索的である。それが詩的感性のひらめきからうまれてくる。

 故郷奄美に帰った詩が占めるが、実はもう親のいない島。となれば詩人にとって故郷の島への郷愁と距離感が内面に浮上する。つまり、離れていた記憶の時間と風景が「内なる異郷」となって喚起し、詩を発生させる。島にかつて一緒に暮らした家族そして島の自然や光が詩となる。記憶が感応し、思索と融合したイメージとなる。

 「風の杼」は妹の死が背景にある。風を〈杼〉とみる比喩、その風が「激しく赤土をたたき/一瞬水の輪をつくって 土の中ににじんでゆく風」と深め、「うちすてられた靴の中でちいさく表情を変え渦をまき/死の足の記憶の旋律をかなでることもあった」という捉えは、幻となった妹の死への痛みや抒情の開きがある。読む者を現場に立たせ、光景の余情を感じさせる。故郷の自然や風物が詩人の感性によって読みとられ、内面に変えられていくのだ。詩は芸術言語であることの瞬間を改めて思う。

 「コップよりすこし重たい夜があれば/わたしのかすかな指の認識のふるえは安定する/いのちの木が 闇の中でこまかい雨にうたれるとき/その霧雨よりもちいさなもっとかすかな音を聴きながら/そのちいさなしずくの中に/無がいっぱいにつまっている空無の膜を/ことばなく しずかに/みずからわけいっていくこともできるだろう。」(死のデッサン)

 微細なものへ擦り寄りながら〈そこに感じるものの発見〉がある。この感受性は次のように開花する。

 「梢のさきひとつひとつに 純白が無数にひろがる/イジュの花々は鳥のように思索するだろう/おごそかに しかもかろやかに/かぎりなくこまかくふるえながら この銀河で発芽する/花びらのフォルテシモ」(「花びらのフォルテシモ」)

 視覚と音と思索が開放され響いている。花が思索するという美と精神、その無数の白が銀河に放たれ生命を奏でる、という鮮やかな詩的イメージ、詩語のささやきにうなってしまった。

 『あすら』33号。新城兵一の「上原生男論」が始まった。

 「わが上原生男は、当時の沖縄において、たれよりも先駆けて、詩における〈韻律〉の問題を考え抜き、詩的実践を行っていたのだ。」

 上原生男はなにを書いたか、どのように発見するか、その評価が必要だ、という新城の批評戦略が文脈に流れている。上原は詩の出どころを重視する人だった。表で語らず、沈黙の思想で語った。彼はつねに思想を闘いの戦場にしていた。軽みにむかう時代の詩に重たい詩的思想の対置もまたいい。今の我々に「…駄目ですねえ」という彼の声がきこえてきそうだ。

 新城は『宮古島文学』9号で「粕谷栄市論―官能のポルノグラフィーのゆくえ」も書いていて、いま詩人論を手がける書き手は新城兵一のみかと思わせるほどの旺盛さに感じ入った。

 同号、下地ヒロユキの連載詩「アンドロギュヌスの塔」はやはり異彩である。古層や民俗の色彩で語られる島でなぜこんな異空間にいくのか。これは反措定なのか。詩的言語は場所から自由である。たしかにそうだ。下地の〈ここにないもの〉から〈それを想像する〉ことで獲得する世界の生成。文学空間の言葉は快楽であらねばならない。この詩人の書くことへの非妥協の詩想の精神にそれを感じる。

 『パーマネントプレス』5号の「ほろ酔い談議」で『ワイドー沖縄』の「叫び」をとりあげている。夫の叫び「ワイドー、あと一人」に「究極の祈り、夫婦愛の煌めき」とすることへの違和感を語っている。

                                                       沖縄タイムス(2013年10月)


詩時評・沖縄 2013年8月 『1999』9号、ハイパーポスト72時代、『カオスの貌』10、『EKE』43号

2014-09-11 | 沖縄の詩状況

 沖縄詩壇の若い書き手が結集する詩誌『1999』9号がでている。山之口貘賞の、宮城隆尋、松永朋哉、トーマ・ヒロコ、西原裕美ら同人8名が詩やエッセイを書いている。

 なかで興味深かったのは宮城隆尋の論考だ。宮城は若手の、詩集を出す困難性と詩意識や活動の弱さを鋭く突いて、沖縄現代詩が抱える課題を提出している。

 「書き手は出版に巨費を投じる必要はなく、簡素な詩集でも中身で勝負することだ」(「現代詩への提言 自費出版のハードル」)。

 若手の詩集出版について経費の困難で流通ルートにのらない安価な私家版に頼りながら評価を受けている現実を語り、高コストの自費出版さえ売れないで書店に並んでいるのではないか、それは自己満足ではないか、と書く。中身で勝負という言説に私も同感である。実にシンプルで説得力があるからだ。

 「表現の傾向も先行世代とはかけ離れていると感じるが、それは沖縄を取り巻く構造的な問題の本質が変化しないまま覆い隠された近年の社会的情勢の変化が大きく関わっているのかもしれない。」(「沖縄からの報告―活況にほど遠い」)

 宮城と同世代の伊波泰志の「デラシネさん」には、この世代の表現が象徴的にでている。

 「曇天の/県営団地を/さ迷う/根無し草/ぬるい/風に/あおられて/流れる/どこかに/根を/這わせたい/けれど/根を/知らないので/ぬるい/風」。

 いわばハイパーポスト72時代の心的情景がある。歴史、域性を脱色されたカルチャー、スマホ、ネット社会の、拡散と軽みにはまる時代の若者たち。〈県営団地〉という語彙が象徴的な意味をもつ。根とは、帰るべき場所としての喩でもある。沖縄カルチャー的差異をブランド化し、「アイデンティティ」という仮構で、エイサーなどのウチナー伝統文化、言語を戯れる流れがある。だが、それに同化できない感覚がある。土着の原風景をもたない心性に正直であるからだ。だから、「根を知らない風」とするのである。

 川満信一の個人誌『カオスの貌』が10号を数えた。ほとんど一人で執筆するエネルギーに感服する。

 川満の言葉は状況、思想、歴史、知の連動に裏打ちされている。詩歴60年を重ねてきた文学の蓄積が現在の表現に反映しているといえばいいか。政治と文学の境界を往来する流動と言語のスタンス。状況への発言と詩的言語の境界をこの詩人は故意に断絶しない。そこを裂いて組み直した言葉を放出し、状況が抱える危機を俎上にしながら普遍的な思索の詩を究めている。

 「その袖網を心して手繰りなさい/イマジネーションのカオスの網に獲物は無量/神も仏も闇も光も混沌も虚も/軽くて重い如来の意志」(詩想のカオス)

 いっぽうでは、生起する現実を風刺、イロニー、おどけで戯画化した、状況への戦略的な批評詩がある。

 「自転車こいで東洋の大道を走っている(と思ったら)オスプレイで空を飛んでいる/ケッカン・欠陥とプロペラは鳴り響き 行けども行けども先は黒雲」(「遺念の日」祈念)

 そうかと思うと、一歳の孫と戯れる日常の情景(俳句)がある。

 「のんちゃんは宇宙飛行士それ高い」。

 このギャップに、思わず拍手した。

 「特集・わびしき玩具箱」とある。文学は玩具か。そうかもしれないし、そうではないだろうの気持ちが私の中で葛藤する。文学は世界や人間の本質を描く面白い言語だ、と古風にツイートしたい。

 『EKE』43号。中里友豪の「病室にて 十片」。重大な移植手術を受けた実体験という光景がリアリティとなって、しかし、なにかを超える言葉になっていることに感動をおぼえる。

 「若いナースが二人/体を拭いてくれる/「おしも」を洗ってくれる/縮んだペニスのまわりを/にこやかにていねいに/羞恥の念も感情の昂りもない/虚飾を捨て白衣に身をさらす/染み付いた人生の垢がおちていく/生き直せる」(天使)

 光景が生々しい。にもかかわらず、そっと置いた「生き直せる」の動詞が、いのちの光明を示すから、なにか清らかなのだ。白い天使か。ほんとにそうみえたんだろうな、と思う。誰にでもあるわけではない体験から導き出された非日常の、不安の、死の、沈黙の、淵の、身体の、生還と再生の言葉に私達は感謝しなければならない。

 宮城秀一の「運動」は行為を詩的行為として紡いでいる。宮城の詩には気負いがない。詩になにか重いものをこめるのではなく、詩的言語の創造を慈しむかのような言葉の巧さと味わいがある。さりげない動きをとらえる感性の柔らかさは、さすがである。

 「旅に出る/鉢植えにたっぷりの水を注いでから/折れた鉛筆の芯を研ぎなおし/ポケットには出す宛もない手紙を忍ばせて」

 行為にみつける抒情の形がある。意味や主張を避け、「旅にでる」という語句のリフレーンで先導しながら、四行、八連の光景に行為を追いながら、その変化からポエジーをつくりだしている。

                                                      (沖縄タイムス2013年8月)


詩時評・沖縄 2013年4月 宮城松隆追悼集, 葛綿正一『現代詩八つの研究』, 山入端利子『ゑのち』

2014-09-10 | 沖縄の詩状況

 追悼とは死者の魂と向き合うことであろう。そのひとが詩人だったなら、残した詩や文章があり、生を証した言葉がある。追悼する者は実存の記憶や言葉を通して魂に触れる。出自や家族や生活、そして他者との関係を含んだ書物、語る者がいて語られるものがある、それが「追悼集」というものである。そしてそこに表れるのは、誰も孤絶ではなく、誰かと関係して生きていたという事実である。詩人というものは生活しながら虚無と創造を生きている。他界に在る彼の、表出した言語の闇を光に照らすこと。……なんてことを宮城松隆追悼集『薄明の中で』を読みながら思った。

 この本には関わりのあった30人が書いている。比喩的にいえば書かれることで<彼>は新たに存在するようになった。

 「あなたは傘をさす/わたしはそれにぶら下がる/見下ろす顔はいつも穏やかだった/わたしはどんな顔で見上げていたのだろう」(宮城隆尋「かさ」)

 「今も私の中に松隆さんは生きています。失う事なんか受け入れられません。世界一好きな恋人ですから。」(宮城幸子「夫・松隆」)

 こういう身近な家族の言葉は直截に胸に響く。垣根の向こうの、知られざる∧彼∨についての語りが、読者には新鮮なのである。中里友豪が「君の誠実な対話を忘れない/詩を愛する姿を忘れない」(マタヤー)と書くように、彼は他人に感想をマメに送る誠実なひとだった。

 平敷武蕉や西銘郁和を中心に形となった、この本、ただの追悼集ではなく∧論∨を展開する文章が多く入っているのが特徴だ。なかでも秀逸なのは新城兵一の「宮城松隆序論」だ。処女詩集『島幻想』に関した論だが論者の熱意、傾注、展開がある。深読みと思わせるほど精読を試行している。一冊の詩集は「汲めども汲みつくせぬ謎を秘めている」と書く。それほどの接近、理解を試行するには、∧彼∨をしんに捉えようとする深い思いがあるからだ。生前に発表されたらもっとよかったと思う。

 葛綿正一の『現代詩八つの研究』に、沖縄の言語表現を現代詩の視点の読み方をしているひとがいるという貴重な発見をした思いだ。なかに「あしみね・えいいちと仲地裕子―沖縄現代詩のための覚書」がある。著者は沖国大の教授。詩言説の知識で詩を解読し、「誤読」の方法を提示する。

 例えば「余白の詩学」とか「誤読のリスクにおいて現代詩の可能性を探ろうとするのが本章の試みである。」とある。私は、そこに既成詩論からあえて逸脱した解釈による読み替えの快楽、イメージを重視する自在詩学を読みとる。書かれた作品は、読者の多様な読みに委ねられるが、「正読」を強いることはできない。読み方で世界や人間の既成イメージを変革する事もあるからだ。

 仲地裕子の『ソールランドを素足の女が』は沖縄戦後詩における女性詩の記念碑的な誕生を告げるものであったが、市原千佳子の島の、おんなの、性の根源にそって宇宙をみるような方法とはちがって戯れ的である。その「ソールランド」。「仲地裕子の詩は肉声ではない。むしろ仮構された声のテクストである。私は他者だといってもよい。」(素足と筏―仲地裕子論)という指摘に沖野裕美が、たしかに「等身大」ではない、幻影城だったと応える所は面白い。

 沖縄現代詩の特徴を「一、ボクの挫折。二、証言の可能性への信頼。三、友と敵の区別」とする比喩のつぶやきも示唆深い。

 山入端利子詩集『ゑのち』は日常、記憶の村、自然、「おもろさうし」をモチーフに立ちあがった情景が紡がれている。詩想に言葉の技巧を意図しない。沖縄ヤンバルを出自として異郷で歳を重ね、時代とともに消え去った郷里の事物や風景への偲びをことばで掬っている。そして生活をみる眼に花を注ぎ、そこに老いのまなざしが加わった詩の抒情を作りだしている。

 「しらにしゃが吹いたよ/語るも寒き一人暮らしのベランダー/鳳仙花は一つ一つの涙袋の花なれど/頬を叩かれるが如く吹かれても/何も言わず願わず悔しがらず/哀しき花の命ゆえ咲いて生きるえのだ」(白北風)

 「おもろさうし」を題材に作為的に書かれた詩よりもこういう生活の目線で書かれた言葉が私には詩的な強さを与える。この情景には風と花の情感をつかむ詩境に作者の生が織り込まれている。吹いてくる風とは何か。風は単なる風を変えて作者の生きる部屋に吹いてくる感性の風となっている。そこに花があり、それをみている作者の視覚に詩が誕生するのだ。つつましい生の呼吸を歌にするのが印象的だ。

 「第6回琉球大学びぶりお文学賞作品集」(小説・詩)が発行されている。

 「生きるのに本当に大切なものだけもってって/生きるのが本当にむつかしいそこで/あなたとゆらゆら 退行進化 していたい」(受賞作=東恩納るり「プロテウス」)

 「知っている?/声って傘の下が一番美しく聞こえるのよ。/だから私/雨の日しか声を出さないの。」(長島瑠「雨」)

 未成の夢と水の戯れのような感覚、柔らかさと自在さが楽しい。詩は感受性の文学なのだ。

 この賞は応募が琉大の学生のみを対象としていたが、今年の募集から県内大学生に拡大する予定という。

 与那覇幹夫の『ワイドー沖縄』が小熊秀雄賞を受賞した。ブラボー!

                                                      (沖縄タイムス 2013年4月)