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南風北風―ぱいかじにすかじ―  by  松原敏夫

沖縄、島、シマ、海、ことば、声、感じ、思い、考え、幻、鳥。

詩時評・沖縄 2013年6月  Myaku16, 高木護, 赤嶺盛勝「 夢のかけらⅢ」,アブ13, あすら32, うらそえ文芸18 

2014-09-10 | 沖縄の詩状況

 詩の読み方として詩人論的か詩論的か、があるのではないだろうか。作品を詩人の実生活や生き方が反映したものとして読むか、あるいは、言葉そのものに価値をおいて、詩句の創造、比喩、修辞といった言語芸術の視点からみる、詩人は書くことにしか存在しない、詩の「根源的瞬間の感得」(リシャール)というふうに読むか。もちろんどういう読み方をするかは読者の自由である。

 比嘉加津夫がやっている『Myaku』は今や全国的な雑誌となっている。吉本隆明、谷川雁、島尾敏雄、といった好みの詩人、作家をとりあげ、16号は「放浪・浮浪詩人」高木護を再度特集している。この詩人への比嘉の惚れ込みようは詩人論的選択とみる。世間的価値から逸れた生き方をする詩人の言葉へぞっこんなのだ。こういう向き方は悪くはない。むしろ正統だ。言語主義の詩は魅力だが、確かにものたりない。

 今は故人の勝連敏男と飲んだとき、彼がいっていたことを思い出す。「ランボーも山之口貘も詩を書かなかったら、ただの浮浪者だったわけさ」彼も不定職の詩人でとおした。

 詩人や作家は生き方の凄みや生き様で評価されるのではない。そんなことで作品が評価されるのなら、文学はいらないし、伝記的事実をほじくって鑑賞すればいい。

 赤嶺盛勝詩集『夢のかけらⅢ』は初期の頃と近年のものが収録されている。面白いのは「五十音」。五十音を頭韻にして人生と生活の姿をうちだしているのが笑いを誘う。

 「あいさいかではないが、女房は鏡であり(略)/いかにもふるっているようだが、いさかいもあった(略)/うそを付く事もお互いにあったが(略)/えいこくへ行く夢も消えて(略)/おっかさんほんとうにご免!出世できなくてなんちゃって。」

 というぐあいに続く。この最後は実につぼを得たつぶやきだ。この詩人は挫折感と生活意識が混在した、そこを書く。正直さと軽みの詩を書くことで自分を支え、宿る困難を薄める詩境がある。諦念の居直りと侘びが染み込んで、なんともいえない悲哀の味を出している。「魔物」も面白い。

 3・11震災をモチーフにした詩が目についた。あれから2年。世界の流動が、あの大震災を忘却するかのようにはたらきはじめているなかで言葉は記憶を喚起することをうしなってはいないということだ。

 「東日本大震災に」としている、田中眞人の「炎のプラージュ」(アブ13号)はこの詩人独特のイメージでの捉え方がある。自身の震災体験と立ち上がるイメージの連なりがまるで黙示緑的で、詩的想像力で生成した世界がある。香川浩彦の「津波」「海」(非世界26)の家族を呼ぶ悲しい声も、西銘郁和「遠野物語に描かれた幽霊の記録」(同)の、津波で失った妻の幽霊をみる男に、震災の地を訪ねた自分に震災死者の幽霊が出なかった体験を関わらせた記述も3・11が喚起する内面への波動が契機となっていよう。

 「アブ」13号は山原みどり、松永朋哉、西原裕美、宮城信大朗など若手の詩を掲載している。

 「ママこれかってぇ/ちいさな子どもが/言うから/そこの地面が/きらきらしてた」(西原「しずくのようで」)

 母、子、地面から「きらきら」という視覚をつかむ感性がいい。宮城の「アスパラガス・貝」にささやく「山が泳いで指が頭上をきる」という詩句は性愛的な場面を切り取って高める、みごとな喩の情景である。

 朔太郎ではないが変異な夢を呼び込む詩は好きである。下地ヒロユキの「ある異貌の描写」(アブ13号)、「朝の散歩」(うらそえ文芸18号)、宮城隆尋の「チツジョ」(脈77号)が読ませる。ともに日常を異化の眼で変形する手法が独特だ。

 あすら32号。ムイフユキの「フルーツ・フィールド③」は日本語に、うちなー口、アイヌ語、奄美口を戦略的に使用して、その混じりを生かして魂を探っている。深奥に潜む心的世界の、その語りが興味深い。佐々木薫の「沖縄を生きるうたびとたち―女性編」シリーズが始まった。池田光子という詩を書く人がいたことを初めて知った。今後の発掘が楽しみだ。

 うらそえ文芸18号の伊良波盛男の「私の中のアメリカ人」。占領下の、貧窮の高校生の頃、LST米軍物資輸送船でバイトした。

 「アメリカ人は親切だった。/その都度笑顔の若い白人に先導されて、(略)/見たことも食べたこともなかったアメリカ食をご馳走になった」「個人的にはアメリカ人に対し/頭を垂れて深謝こそすれ/遺恨や反発の感情は起こらない」

 自伝的な叙事で終始している。なぜこんな詩を書くのか。いまの沖縄の状況への自分の体験からの対置と思われるが、この詩がアメリカ体験ではなくアメリカ「人」体験であることに留意する。フリクションを醸している現実をこえて、人は国家や民族の存在よりも先に個々の存在で実際に関係して生きていることのほうが重いということを暗に示している。

                                                     (沖縄タイムス2013年6月)


詩時評・沖縄 2013年2月  真久田正, 与那覇幹夫『ワイドー沖縄』, 鈴木次郎『琉球海溝』, 『あすら』30号

2014-09-07 | 沖縄の詩状況

 また沖縄詩人が彼岸へいってしまった。真久田正さんが急死したのである。彼の「おもろさうし」の語法を用いた言語表現に、瞠目していたところがあって、その詩想が、どう導かれていくのか関心をもっていただけに、早世がなんとも残念である。

 与那覇幹夫詩集『ワイドー沖縄』は感動的な詩集だ。情動につき動かされて生まれた詩集というのはまさにこういう詩集をいうのではないか。なかでも次の抒情詩は逸品である。

 「父の放蕩と、その挙句の死、そして一家離散―。…(略)…あゝ母よ、失対事業の道路補修工事の現場に、生涯の大半、立ち尽くした母よ!…(略)…あゝ惨憺たる親不孝―私は寝しなや寝つけぬ夜など懺悔しきれない生涯に襲われる。」(形見の笑顔)

 自伝的な書法で書かれたこの詩は、生涯小さな島に生き、赤貧労苦で老いて亡くなった母に生前何もしてやれなかった痛みから生まれた悲歌である。「あゝ」という感嘆詞を頭韻に、感情の自然を見事に喚起する。母への思念が記憶を呼び覚まし烈しいエモーショナルな言葉となって湧いてくるのがよく伝わってくる。幻の母は島の幻とひとつになって母郷となり島と同じ重さとなり深い存在になっていく。

 私は、出自の島に詩の源泉をおく、この詩人を血や土地につらなる宇宙と根源の声にひたむきに耳を傾ける魂の回帰詩人と言ってみたい。

 世界の表面に出ない声をアンテナでつかむのが詩人の役割であるとすれば、この詩集の秀逸な作品「叫び」はその典型である。米兵による知られざるレイプ事件という戦後沖縄の民衆の悲惨を紡ぎだし、そこから作者が感応したのは瞬間放たれた声であった。夫の叫んだ妻への「ワイドー加那!」という悲痛で美しい<言葉を超えた言葉>が、現在も果てない苦痛と不条理を強いられている沖縄の状況へ転移し、「ワイドー沖縄!」という叫びに引用するのは、作者の魂に内在する民への愛と言霊の精神の発露ではあるまいか。

 詩のアンテナはケータイを唯一の伴侶のようにして生きる孤独な人間の輩出、ハイテク文明のつくる明るい世界の闇をも見抜いている。

 「神様‐〈団欒〉と書いて〈ひとりごと〉/〈家族〉と書いて「〈ちぎりぐも/〈魂〉と書いて〈ひるのつき〉/と、ルビを振っていいですか。/あゝ時代に背を向けられ/浮遊するものたちの痛みが/天気雨(きつねあめ)のように降る。」(神様、ルビを振っていいですか)

 語彙が今や逆の外れた意味になっている生活の孤独や希薄を言い当てている。時代の流動に曝される人間の悲惨、痛み、不安を書くことで現代の危機を示唆するのが、この詩人の主題でもあろう。

 鈴木次郎の詩集『琉球海溝』の立派な装幀に感心した。詩集なぞ簡易製本でいいと思っている私には驚きである。

 沖縄をテーマにしているというとおり、たしかに沖縄的題材が恣意的で多彩に展開され、状況や自然や情景を説明調で語っている詩編が多くある。これは呼吸している沖縄という場所にあるものへの感覚を入れ込んで提示するという意図を詩的モチベーションにしたからであろう。

 私が面白いのは「木耳」「秋」「信号無視」「独立Ⅱ」と「第3章魅力ある落下」にある詩編である。車を運転して、信号待ちの場面を書いた「信号無視」は作者の世界への向き方がよく出ている。「大きく右横にずれるくせのある交差点」で信号が青になるのになぜか車を進めない。そして呟く。

 「進めなかったのではない/進まなかったのだ/誰もいない十字路で/意味のない抵抗を続ける/ぼくの人生のように/あえて 進まなかったのだ」

 作者の精神の現在を表している、この心的風景は流される方向を変えたいという生の態度である。「右横」が暗示的で「意味のない抵抗」とは文学の行為をいっているかもしれない。一方こういう詩句がある。

 「港川人は/小石を海へ投げてつぶやいた/―ニリタン(生きていることに 飽き飽きしたよ)」(猿と人の別れ)

 この詩人には、虚無、イロニー、諧謔、敗北、屈折、抵抗、イメージといったさまざまな詩境が絡み合った内面を情景と往来させながら、詩のことばを生成する方法がある。

 『あすら』30号の阿手川瓢の「かくことがない」に目をひかれた。

 「なにも かくことがない、/ひとつの言葉も、/韻律も波打たず、/朝から、そして夜になり、/なみだがでるのを、まっているのか」

 書けないのではなく、書く題材がないことをテーマにして書いている。詩の題材を思想的、意味的に選択するとポエジー感覚の衰弱に襲われる。詩にするほどのものではない―価値のないものを私などは書いている。書くという行為を担保するからこの暗澹と虚無的な現実を耐えていると思っている。書く意味がなくても意味があるように書くしかないのが現代詩が患っている症状ではないか。言葉で存在するしか能のないのが詩人というものだ。

                                                          (沖縄タイム 2013年2月) 


詩時評 沖縄  2012年12月 沖野裕美『地霊』, 「アブ」12号, 非世界25号, 脈76号

2014-09-06 | 沖縄の詩状況

 流動する世界状況を意識しつつ<私における詩的現在>の言葉を自らの詩法を通して紡いでいくことが現代詩のひとつの方法であるとすれば、そこにはおのずから状況への相対と対峙の言葉をもつことが求められる。と同時にしぜんと他者が書くものへ関心を抱く。つまり言語表現を自覚的にする者なら、詩の現在を掴みながら他者の言葉と自己の言葉を不断に問う姿勢をもつようになるはずだ。

 私じしん4月から詩時評を担当することで詩集や同人詩誌等で産出される詩にさらに関心を持つようになった。自分でも詩作したり詩の雑誌をだすことで感じていたことだが、「我々はみな同時代の、同トポスの、詩(文学)の同人のようなものではないか」ということに改めて気付いた。

 同人誌は同人に距離をもちながら関わる雑誌である。お互い書くことで参加しているならば、お互いに双方向の関わりが求められる。ならばそこにはおのずから<批評>が生じるはずだが、それがあまりでていない気がする。同人が書いたものを一番よく読んでいるのは同人であるはずだからその同人の言語表現に、同人達がどう読んだかを載せるのが同人誌というもの。それがあまり出てこないのは契機がもったいないと思う。関心ありを装うような聖なる関係はなんともむなしい。同人なら語らない関係よりも批評を出す刺激的な関係が必要ではないか。それともその同人の言語表現は書くに値しないということなのか。合評会さえしない同人誌もあるというからドライで、関わりの愛情がないなと思う。

 沖野裕美長詩集『地霊』を読むと、この詩人は実に霊的なものを感じ取って語る詩人だな、と思う。現実と非現実が往来して視える幻を掬いとり、その世界をメタモルフォーゼしながら、生者や死者の奥底に沈黙するものをイメージの語りにしていく、という方法が一貫している。

  「いくたび出発しても/大影はまだこびりついていた/フジツボのようにかたく/まぼろしとなる前から/脳髄のノートに鋭く刻印され/真夜中めいったゑなぐが起きあがる」(大影)

 詩編は長く、何故に語り尽くそうとして詩行を増殖させているのか。巫女性、呪縛性、エロス性が漂い、特異な資質が内在する、この詩人は、いにしえなら神歌つくりの神女だったかもしれない。

 存在がざわめいていると感知したとき、詩人は言葉を発しながら、それをみつめていかなければならない。発することで呪縛を解きながら開放する。県庁ビルから飛び降り自殺した若い女性への霊的交感詩「地霊」にみえる、個に憑依するもの、侵入する死者に同化しながら想像的言語で救っているところは沖野的詩法の最たるものだ。

  「ハジチ模様のゑなぐの手が/海の入り江で人骨を洗うとき/ハジチ模様が 海の色にゆらゆらゆれる/ひたすら見つめつづけるゑきがたちは/我が身を包まれる 極楽の安堵を味わったのだ/島人たちが心の平安を願って 島のゑなぐたちに施した/手の甲のハジチ模様が 死者の骨を愛撫する/洗骨の言祝ぎと合体したとき/目もくらむ恍惚が確かにあった」(タトウ)

 死体を祀る洗骨の儀式でハジチの手と人骨とまなざしが海の水と光に揺れながら合体する光景が官能的映像的で美しい。かつて女たちに強いたこの習俗は異形である。それゆえに詩的素材として充分に刺激的である。沖野は「島嶼列島である沖縄に住むという意は、習俗の影絵を踏みしめることだ」(おぼえがき)といっている。これは現今の沖縄に残存するものへの感応や島人の陰翳(沖野は霊魂といっている)を詩に取り入れる詩作法を意図しているわけだが、民俗的素材をモチーフにしても、既知をこえた捉え方の新しい発見、新鮮なイメージの創造を欲望したいなと私などは思う。これはまた沖縄戦で不条理な死を強いられた民たちの捉え方にも通ずるものだ。

 「アブ」12号、瑤いろはの「痛い」は印象的だ。

  「逃げ場はない/低く低く小さく小さく屈んでも刺さる/ 降ってきた針はそこら中に突き刺さる/「痛い」と呟くと/その声は「痛」「い」という文字になり/針は文字を貫通してグサッと地面に突き刺さる」

 「針」に襲われる夢のイメージで緊張感を多様に続け、最後に「生きている」という行を3回つらねて締めくくっている。時代が希薄になると感受性は受難の象徴となっていく。デリカシーが詩的言語と結びつき心的喩を生み出している。この詩には世界を敏感に感受した内的な生の世界を形象した言葉の仮構力がある。

 非世界25号の砂川哲雄「羽地恵信論」は希少な資料を駆使して未知の詩人を浮かび上がらせている。宮古島出身で『歪んだ感傷』(昭和6年)という詩集を出しながら、知られざる沖縄の詩人、時の闇に埋もれた詩人がいることを改めて思った。

 脈76号の詩論<新城兵一詩集「草たち、そして冥界」―「転生」から「いのり」へ>(安里昌夫)は苦悩詩人の内面の行程を硬質な批評文体でたどっている。                       
                                                   (沖縄タイムス 2012年12月)


詩時評・沖縄 2012年10月 新城兵一『いんまぬえる』、八重洋一郎『沖縄料理考』、上原紀善『ふりろん』

2014-09-06 | 沖縄の詩状況

 詩の表現には言語で表出する<言葉の織物>という芸術+創造的な方法があるし、書き方にもそれぞれあるから面白いが、感性と内面を併せ持った方法での書き方がもっとも詩的な言語の貌を表出するといってもいい。

 新城兵一の『いんまぬえる』はおのれの精神(魂)の行方に忠実な詩集だ。すなわち境涯というものに正面から真摯に向きあってでてきた詩集だ。この詩人のように実存や根源を深く掴むような詩的言語を続けている書き手はもう他にいないのではないか。

 書名の「いんまぬえる」は「神われとともにいます」という意味であるという。その言葉を書名にしたのは作者の現在を暗示している。といっても詩編には「神」という言葉は一度でてくるだけである。

 「おお わがいんまぬえる/してみると めざす<かなた>とは/<こなた>である/<かなた>から<こなた>への/試練にみちた しかし至福の帰郷である」(いんまぬえる)

 「知的さまよいのはて ついにたどりついたわがインマヌエル/そこでひっそり奏でる 絶えざる新生へのプレリュード/ゆえにわたしは くりかえし わたしの半生の/<わたし>という個我の構築物を惜しげもなく/脱構築する これより個我  超脱の戦いを開始する」(家郷論)

 青年期の「革命と恋の失敗」、生の滅亡の危機、存在と死への凝視、あれでもない、これでもない、と彷徨した知への渡り…の結果という現在。この詩人にはある種の「詩への希望」がある。つまりアポリアを突き抜けようとする動的な意志の言語、詩の言葉を続ければ、みえてくるものが必ずあるという信念だ。このため詩的言語がつねに深淵だし、格闘的だ。それが暗さ、重さ、息苦しさを感じさせてもそれでいいのだ、という詩の創造への強い確信がある。

 詩編に、個我、大いなるもの、未生の風、あなた、臨在という語彙が繰り返しでてくる。それらが奏でる精神の世界が示唆しているものが何であるかは、だいたい想像できる。「ついにたどりついた」世界は深淵から掴んだ脱却の歓喜と存在認識の発見であろう。私はそのあとから来るであろう言語の貌にいま関心がいっている。

 八重洋一郎の『沖縄料理考』の書名に料理の本かと一瞬思い、めくって詩の本であることにこの詩人の妙技を思った。「料理」が詩になるのかという驚きがあるが、単なる料理についての言葉ではなく∧食を読む∨ための戦略がこめられていることがわかった。詩と料理という、似合わない関係を相対させ、食うことの場がつくる諧謔味を出しているのだ。

 「あいつらは僕らの糞を食べ 僕らは/あいつらの足の尖までことごとく/なんというおいしさよ/やめられないよ クセになるアワモリ飲んで/豚足食べて(略)/しまいに/灼けつく通風/尿酸たっぷり/激烈/激烈」(アシティビチ)

 「ねこの肉は夜ひかる/ねこの肉は夜ひかる/うすあおく その青い目のように/うすあおく その青い目のように」(猫)

 肉食や酒飲への逆襲といい猫肉のリアルな描写といい不気味なハーモニーを奏でている。グルメから遠い私でも「およよ」と感応してしまった。耳ガー、チラガー、ヒージャー汁、アシティビチ、ラフテー…。沖縄という地に生まれた特有な料理の陰翳や自身の記憶をちりばめている。耳ガーにスタブローギンが登場するとは実に楽しい。沖縄料理を文学にしたところに拍手だ。食う事への捉え直し、異化、愛、想像がうまく味を出している。

 上原紀善の『ふりろん』はこれまで書いてきた、未刊行の詩編と自身の詩への関わり、詩作品にふれた他者の文章などを収録している。「連音による詩の創造」という副題がついている。  

 この本を読んで「連音」という手法を自覚的に書いてきたことがわかった。どうやら連音は言語以前の原言語としてとらえているようだ。

 「僕が試みようとしているものは、言葉としては認められていない音を使って、まわりのありさま、自分のおもいを表そうというものである」(音による詩の創造)

連音詩という独特な詩的表現の流儀を編み出し、言葉の初源のつらなりをくぐる。この詩人は自らに内発する非成言語を掬いとって音と言葉の韻律的な響きに詩の価値をみている。

 『Myaku』13号は面白かった。とくに暗喩の詩人谷川雁についての森崎和江と内田聖子の対談はこれまで露呈しなかった人間雁の姿を語っていて興味深かった。雁を詩人という存在ではなく現実に生活や職場で共にしたところから語っている。魅力的言辞で他人に影響を与える力をもつ思想詩人だった雁だが森崎和江は「女性を抱擁する力があわい」ひとだったと断言している。それにしても「大衆に向かっては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆である」といった雁の<名セリフ>は、もはや戦後詩の古典的な格言になってしまった。そこにいわれている大衆・知識人像は情報化社会の資本システムにまぶされ、もうみえなくなっている。

                                                      (沖縄タイムス2012年10月)


詩時評 沖縄 2012年8月ーおおしろ健、佐々木薫、西原裕美、アクアリウム、宮城隆尋、星之亜理

2014-09-04 | 沖縄の詩状況

 俳句をやる、おおしろ建が詩集『卵舟』を出している。彼の言語表現である俳句とちがう形式を読む楽しさと詩への希望が方法としていかに反映しているかに関心を持った。

 洗濯機の水に浮く蚊の卵の漂いが祖先民が漂流する海上の舟の情景に転化する冒頭の詩「卵舟」に喩の時空をみたが、それより身体に新たな像を与えながら言葉を紡いで見せる「人体解剖図鑑」が面白い。作者はこれだけをまとめて詩集にしたかったようだが、そのほうがよかったと私も思う。盛りすぎると読みの味覚が分散するからだ。

  「俺の舌は切り取られ/新たに植えつけられたものだ」(舌)

  「俺のうなじの盆の窪には/測候所の分室があって/お天気観測室と呼ばれている」(俺の図鑑)

 人体器官を素材に、異化へと進むイメージの入り方がひきつける。入っていくと諧謔と自在なイメージが露出する。おそらく作者はそのイメージの変転を楽しむように書いたのではないか。つまり詩は部分を世界のイメージにして何かを語るものだという方法を掴んだのではないか。そうすると詩編は身体器官を入口にして変容を自在に導きながら世界を語る方法をみせる。たとえば琉球語のゆらぎ、存在、孤独、希薄な時代、共生といった現在的な批評言辞が詩句に登場したりする。言語が切り開いてみせる物への新たな比喩とイメージの入れ込みという快楽、その詩的想像力を意図している。

  <……俳句は短いだけに「そぎ落とす」という作業が入るが、詩はその饒舌が楽しめるという面があるような感じがする。>(あとがき)

 この文章にまじめに反応しよう。詩は饒舌の言語だろうか。詩作は言語の孤独であって詩の書き手は言葉に自己の存在を与えるほどに苦心して作品をつくりあげているはず。私は心的な動機と詩意識が呼応して創造する新鮮な言語表現に饒舌に流れない詩の意味と価値をおきたい。

 言葉が詩的言語と思えることのひとつは存在の深みをとらえたまなざしが表明される時である。その表現は様々にやってくるから面白い。

 ある時代の姿、雰囲気、境涯を現場からとりだし愛憎を抱き合わせながら生まれた物語詩と思わせるのが佐々木薫の『デイープ・サマー』だ。

  「その街を黙って通りすぎることができない/青春の足跡が尖ったガラス片のように散らばっている」(「コザという街があった」―「ストレンジ・フルーツ」)

  「この街の風にはいつも血の臭いが混じっている。/出撃命令を待つGIたちは破れかぶれの拳銃をぶっ放し、/演習用の手投げ弾を売春宿めがけて投げ込む。」(同―「サマータイム」)

 変貌した街の現在から過去を呼び戻して物語る眼と体験のざわめく言葉に回想が屈折して流れる。ノスタルジーのような、そんな甘いものはない。64年にヤマトからオキナワに移住して、起こっている状況との邂逅から湧き出す感情と齟齬が熱く放射している。私はこの本から作者の個人史と時代を垣間見る。

 ベトナム戦争まっただなかのコザの街は自然も静謐もない、つくられた、異様な街、物語にするには事欠かない、想像を刺激する実に映画的・文学的な街だった。その時期の<私><彼><彼女>がクロスして、米兵、女、酒、ジャズ、ロック、人種、喧騒、暴力、生死、狂気、暴動といった、まなうらに彩る記憶、時代の姿からリアルな言葉が吐き出される。<私>と<状況>の言葉で、時代の像をえぐり出すように書けるのは逆に幸福というべきかもしれない。その頃の私はコザの中の町の夜を飲み歩く青春にいた。<五番街のマリー>は今どうしているのかな。

 西原裕美が初の詩集を出している。西原は今年大学生になったばかりで、高校時代に神のバトン賞やおきなわ文学賞詩部門二席になるなど、活躍がめざましい新進の書き手である。タイトルが端的だ。『私でないもの』というのだ。

  「私は/私でないものだから/ちょっと/顔が欲しくなって/探してみるけど/なかなか/見つからない」(私でないもの)

 私潰れと私探しに裂かれ、着地点がみつからない危うい磁場を出している。思春期で気づいた「淵の傍にいる自分の姿」。その気づきが詩の言葉となって表出される。表出することによって自分を続け、否定が醸し出すもの、心性にふれるものを言葉にしたいという感情が強く働いている。この詩集は詩が立ち上がる内面の生の姿と詩への希望を感じさせるところがいい。

 アンソロジー『アクアリウム』は「沖縄の新人」と銘打っている。西原裕美のほか伊波希、阿莉、小室不比等、西あおい、星之亜理、赤嶺夏子、風音、山原みどりが顔をつらねる。宮城隆尋氏が身銭を切って出したという。若い世代を顕在させようとする彼の熱意にエールを送りたい。ようやく姿をみせはじめた沖縄の若手の台頭だ。現在の感受性を相対させた現代詩の感覚で持続していって欲しい。

 星之亜理「シミュラークルの全景を眺める眼帯の少女のライトリリック」の、非在を形象化しようとする言語の作戦に関心をもった。が、知識用語に依拠しすぎて知的モザイクの印象になってしまっているのが傷だと思った。

                                                  (沖縄タイムス 2012年8月)


詩時評・沖縄 2012年6月ー田中眞人、上原紀善、宮古島文学、新城兵一

2014-08-22 | 沖縄の詩状況

 辺見庸が「俳句にいまや全実存を託した」と序する大道寺将司全句集『棺一基』に沈んだあと、アブ11号の田中眞人の「星への歩みⅥ」を読んだら、妙に重なる陰翳を感じた。

 「……人を何人か殺したかもしれないので逃れている夢をいく夜も見つづけていた/(略)……はたしてわたしは殺したのか いや殺したというおぼえはない/……おまえはたしかに数人を殺している それもむごいやり方でな/(略)夢はわたしの行動をくぐった結果と ふかい願望の力学による虚像だ というのはほんとうなのか/夢は防御しがたい欲望によってうがたれている というのはほんとうなのか/夢は現実をとてもこばみきれない というのはほんとうなのか/夢のなかのわたしがわたしに訊いてくる」

 『棺一基』は爆弾テロで図らずも8名の市民を殺め死刑を宣告されたテロリストの俳句集。「星へ―」は「人を殺めたのか」という自己嫌疑の夢に襲われる魔境が漂った世界である。「星への歩みⅠ」は1968年。これについて田中は「全身からこみあげてくるもの、街々で生きていくうえでどうしようもない混乱からこあみあげてくるものを表出させたいときに、書き注いできた」と私に語っていた。この詩的モチーフはⅥにおいても持続している、とみる。

 Ⅵは超現実の手法をとった夢へのモチーフ、夢が呪詛化していく構図になっている。夢の中の夢に審問される世界の露出。殺人嫌疑で法廷にだされ、夢が絞めつけるように責めてくる、記憶が曖昧で星のようにまばたき、鳥人間がおだやかな朝を破って絶叫する。この詩は不安から発した想像力が夢語りの形をとっている。私は作者の内面にある深淵、何かの暗喩のイメージとして読んだ。

 「混乱からこみあげてくる」心境はまさしく詩の土壌である。知の論理で書く手慣れた、味のない詩の方法より、混沌=カオスの域をひきずった書き方こそ詩的想像や創造の魔を発揮する。言葉で不可能を可能にすることが詩(文学)の力でもあり魅力でもある。最後に残されたものは言葉でしかない、という絶望によって生み出された詩は異貌をはなつ。その煽動と新鮮な混沌が読むものを引き込んでしまう。私はここに詩の面白さを感じる。

 『上原紀善詩集』にある音韻言語はたしかに意味を拒否して語音でつかむ面白さがある。

 「ひぃーり ひぃりひぃり/ふりろんろん/ひぃーり ひぃりひぃり/ふりろんろん/ふりろん ふりろん/ふりろんろん」(ふりろんろん―『ふりろんろん』所収)

 その面白さというのはウチナーグチが醸し出す非日本語の言語に詩的価値をおいた方法でもある。ある場面に遭遇して意味的な言葉でなく、オノマトペのような言葉がでてきてリズムへ転化する。詩的言語はつねに新しい世界を築いていくものだ。これは作者だけの言語表現でなければ独自の詩として成立しない。自己表出が指示表出を丸み込み、浸食する密度が詩的表現を豊かにする。それがないと詩は希薄になる。方言詩は出自と風土を内在するものだ。黙する彼方の音韻、リズムが日本語を破るようにはたらく。言葉が耳のように響き、つい口にだしてしまいたくなるようなリズム言語の貌をする。土着言語(方言)は無意識になじむようにすとんと音で楽しめる。私はウチナーグチはしゃべれないが、リズムの織物であることはわかる。  

 上原紀善の連音詩が登場したとき新鮮さがあって、意味の詩を好んでいた私の隙間に軽い心地よい風を奏でた。お、とうとう沖縄の言語にもこういう詩を生み出す達人があらわれたな、と思った。ウチナーグチを詩語に高めたのが上原紀善の連音詩の功績といえる。課題は連音で内的現実をつき抜け、どのように表出できるかだ。宮城英定が「意味の交点の磁場をいかに創るのか、それが表象されないとアキがくるようにも考えます」といっているのは同感だ。意味が結べない方言のリフレーンが過剰になると、リズムを離れて語彙の単純羅列の印象になってしまう。やはり連音に織り込むモチーフと詩的言語の内なる絡み合いが必要ではないか。

 雑誌づくりとしての「宮古島文学」8号がいい。硬派の私の好みだが、評論が入っていることだ。かねがね実作だけの雑誌はなにか物足りないと思っている。同人誌であるなら同人の作品や詩的状況への接近と発言と批評をだすのが真摯な関わりではないか。評論とは言語や言説の分析と快楽だ。読みの食味とまな板で言葉を料理することだ。うまい料理にするのもまずい料理にするのも切り方と味付け次第。この緊張とできあがりの感覚はたのしいし、作者や読者への刺激にもなる。

 新城兵一の「<白>の形而上学」は下地ヒロユキの『とくとさんちまて』への実に丁寧な読みを展開し、「<白>の詩的謎=神秘の形而上学を内側で生きる詩人」という見方を導きだした。登場してまもない詩人の像がこんなに早く出てくるとは―やはり作品の世界がひきつけるのだろう。伊良波盛男の「仲嶺眞武試論」は92歳詩人の生死の内観、宇宙観に根ざすものへの敬服を書いている。これも語られなかった詩人像をみせている。

                                                        (沖縄タイムス2012年6月)


詩時評・沖縄 2012年4月 宮城松隆の死、比嘉加津夫、中村多恵子、市原千佳子、丸山豊記念現代詩賞

2014-08-19 | 沖縄の詩状況

詩時評(4月)                    

 今回から詩の時評を担当することになった。詩時評は言葉がどのように紡ぎだされているのかを読むことで、詩的言語の表出、意味を問うことと考えるし、詩(言葉)の現在をあきらかにすることができれば、この時評の役割は果たせたことになろうと考える。ここで扱うのは沖縄の詩であるが、現代詩という観点からであることはいうまでもない。未視の、発見にみちた、新鮮な言葉に出会いたい、というのが私の身勝手な願望である。

 さて今月の時評を準備しているところへ、悲しい訃報にであってしまった。宮城松隆氏と吉本隆明氏(についてはここでは触れない)の逝去である。宮城松隆氏の訃報の連絡を息子さんから電話で知らされたとき、一瞬、頭が真っ白になった。松隆氏へは、私の詩誌「アブ」最新号に詩の寄稿を依頼していて、改稿の件で、数週間前に電話があり、1時間以上も、色々と話していたのである。私は、これまで氏とは、直接つきあって対話を交わすことがあまりなかったが、文学や詩への熱い思いが電話の向こう側から伝わってくるのを感じていた。処女詩集『島幻想』のなかの「茅葺きの生」にある―「幼少の頃馬追いに歓喜し/世界との全一性を生きていた/ところがいつしか/僕と他者との違和を知って/自分と他とは別である世界が/存在し始めた」というフレーズに島少年の内面の原風景が脈打っていて、この異和から出てくる言葉は、離島青年の私の内部にも底通し共振するものがあったのを憶えている。
 島トポスとシマ的共同体(村)を出自として、自然(土着)と近代に裂かれて悶する内面とそれを自覚する宿命のようなもの。このような島青年の内面の心性は、文学(詩)と結びついて詩的言語を生み出す精神的な土壌となった。だがいま沖縄の古代や土着文化が観光化されるまでに変化している現在の沖縄社会では、その土壌は言葉が出てくる感性としてはもう古くなってしまった。

 最近の氏の作品には死の覚悟に近い想念を表する言葉が強いられるように出てきていた。去年の山之口貘賞贈呈式に病んだ身体をおして参加しているのをみたとき、私は、あ、この身体の状況は詩を決めてしまうな、と思っていた。「非世界23号」に発表した「終末期」の部分―「幾年 昼夜の痛みに耐え/その連続を生きている/苦のみが存在している/明日への希望もなく」「初めて視つめる老いの姿/終末の痛みの苦のなかで/閉塞された昼夜に/自己に耐えている」。こういう言葉を読んだとき、やはりと思った。ここには生の終焉の感じに近いもの、どうしようもない身体の状況の苦痛と孤独、その先をみる自己に耐えるしかない、という言葉が打たれている。これは作者のリアルな生の現実が背景にある。追いつめられた身体に言葉は意味がない。言葉は慰謝するだけだ。だが、ここに<私>を等価しようとする詩的欲求に「救い」と「耐え」が強く働いていることを読まねばならない。それにしても沖縄の詩壇をひっぱっているといっても過言ではない60年代詩人のひとりがまた去ってしまったのは惜念の思いである。

 同じ60年代の比嘉加津夫の「おのれ、矛盾なり」(琉球詩壇3月)はどうだろう。

「リュウメイやガンをいただきにのせて/いまだにチューバーフージしてる人もいる/天気ははれているのに/ロジックをはって/ヒヒョウとか/思想とかいってなやませるのである/そんな本はもうつまらなくなった」「理論武装の方々 しずまれ/のろいのことばをだしてはならぬ/世の中はあかるいほうがいい/のうてんきと いわれてもそのほうがいい/つまらんことは やはり つまらないのだ/そう言いきりたいのだが/どこかでフージーしているぼくが/へらへら顔を出してきたりもする」

 かつての言語の緊張を放棄するような境地にたつことが、老境というものだろうか。たしかに60年代も70年代も暗いもの好みだったし、そういう文学、思想を追う熱病期があった。隠遁老人と自らを規定し、文学事情に精通することは手放さないが、いまは距離をとってさめた眼でみる、読書の広い知識に裏打ちされた言葉が貌をあらわす。この詩には詩法的に比喩を紡ぎ出そうという転換がない。重たい思想や批評はもう好みじゃないよという恣意の表出と語りだけである。思想詩が成立する基盤は困難になったが、しかしこの弛緩した意識の肯定と表出は現在的であるようだが現在的ではないと思う。

 中村田恵子詩集『うりずんの風』。「小さなノートを/ポケットに ハンドバックにしのばせて/折に触れ 自分の言葉を記録し 紡いでいく」(言の葉)。詩になる契機が暮らしの場面にあったりする。行間に、いのちへの不安がかすかに揺れ、日常、自然、人間、社会へのまなざしが詩となって温かい。棘のない穏やかな詩心は屈折癖のある私にないものだ。

 沖縄詩壇にとって喜ばしいニュースが飛び込んだ。市原千佳子さんの『月しるべ』が第21回丸山豊記念現代詩賞に選ばれた、という。女の感性からでてくる情感やイメージからうまれた言葉が深まり、存在と宇宙への視線がひとつになったような『月しるべ』の詩的世界が評価されたとみる。池間島の詩人に乾杯!                     
                                                        (沖縄タイムス2012年4月)


詩時評・沖縄 2010年末回顧

2014-05-11 | 沖縄の詩状況

2010年 年末回顧(詩壇)  

 今年は60年安保闘争から50年。『現代詩手帖』2010年11月号「詩的60年代はどこにあるか」の鼎談で、藤井貞和が詩的60年代は清田政信ら沖縄の60年代詩をも評価すべきだということを発言していた。この時代をとらえかえす言説は沖縄では、浜川仁が「否定の弁証―清田政信と六十年代」(宮古島文学4号)で思想史的な論を展開したのみだった。日本のアウトスキルトなトポスでありながら世界的流動に晒され負の部分を過大におわされている沖縄の状況は<相変わらずの現実>にあり、それに晒されている個と社会の流動がある。沖縄の詩的表現はそういう島トポスの境涯やアポリアを感受しながら対峙する内部の現在を創造的言語に転換する詩的営為を持続することで越えるしかない。
 象徴的な言葉が目についた。60年前に目の前で米兵11人に妻を犯される夫が叫んだ「ワイド―(がんばれ)加那! あと一人!」(与那覇幹夫「母音―子音三」)、シュルレアリズム的手法で生の現実に呼応した、ひらがな詩「しにたいよう しにたいよう」(沖野裕美「あんなのしゅうちゃくえき」)、政治的な差別へのアンガー「ウセーランケー(バカにするな)」(中里友豪「キッチャキ」)、生の根源を喚起する「越境せよ。希薄な生を」(新城兵一「異界論」『草たち、そして冥界』)。そこには叫ばざるをえない事様、心的動機が直接言語の貌であらわになっていた。

[詩集]
処女詩集の刊行が二冊あった。瑤いろはの『マリアマリン』(ボーダーインク)は今年の山之口貘賞受賞詩集。この詩集の登場は風のような新鮮さがあった。祈りと信頼、繊細さから生み出された印象的な言葉が織り込まれていた。下地ヒロユキの『それについて』(古仙文庫)は視えないものへの往還から現在の彼方にあるものの導きと変容のイメージが表出されていた。詩歴の長い詩人の詩集刊行も相次いだ。沖野裕美『犠牲博物館』(こぎと堂)は、現在、記憶、イメージが溶けあって溢れだし、語り部的な巫女性を疾走していた。新選沖縄現代詩文庫6『仲嶺眞武詩集』(脈発行所)新選沖縄現代詩文庫7『山入端利子詩集』(脈発行所)はアンソロジー。共通するのは消えゆく風土を記憶の力で呼び戻しているところだ。90歳仲嶺のエロスとノスタルジーと超越の、旺盛な詩作精神に感服。花田英三詞華集『三拍子の行進曲』(レモン屋)肩の力を抜き、風流と時代をかすめた味のある言葉と軽妙さがある。新城兵一の『草たちそして冥界』(あすら舎)は15年ぶりの詩集。異界論に詩的超域の見い出しや詩への希望を感じた。鎮魂の歌に脈うっているのは境涯を読んで死者への愛や感情を傾けていく優しさだ。佐々木薫『那覇・浮き島』(あすら舎)は移住と定着の魂振り、終の栖としての那覇の時と幻へ遡行する言葉が立ち上っている。ほかに八重洋一郎『白い声』(澪標)が出ているが、手にすることができなかった。

[詩関連雑誌]
「アブ」7、8。8号で合評会をリアルタイムなメール(ネット)座談会という新しい方法で行い発言内容を掲載。田中眞人の連載「島尾敏雄論」が完結。沖縄では初めて連詩を開始した。「あすら」19、20、21、22。息切れすること無く毎回充実している。ただ掲載作品に盗作があったのは残念。仲本瑩の「地獄めぐり・詩編」は俳句を並置した詩作の技術を駆使して展開し、異化する言葉で不吉な喩の旅をあらわにする印象を与えた。「非世界」20、21。21号に鈴木次郎の「西銘郁和論」を掲載。久々に沖縄詩人論を読んだ。いま沖縄詩壇に欲しいのは、こういう労を厭わない批評だ。「EKE」37、38。「KANA」18。「宮古島文学」4、5。「だるまおこぜ」5。沖縄女性詩人アンソロジー「あやはべる」8。「間隙」29。「縄」23。「うらそえ文藝」15。

方言詩も目についた。「あすら」のムイ・フユキ、「KANA」の高良勉、真久田正、「アブ」の松原敏夫らの作品。方言詩は廃言語化しつつある方言を単に回復させることではなく、内なる母語を表現言語=詩的言語として成立させる挑戦でもある。

11月山之口貘文庫開設記念詩朗読会「山之口貘を読む」で琉大、沖国大の学生と山之口貘賞受賞者のコラボ朗読があった。エポック・メーキングとして今後につながっていくことを期待したい。
                                      
                                                   (沖縄タイムス2010年12月27日)


詩時評・沖縄  2011年末回顧

2014-05-10 | 沖縄の詩状況

2011年末回顧・沖縄・詩壇】 

『現代詩手帖』2011年5、6月号は3・11を特集(「東日本大震災と向き合うために」)して被災地や常連の詩人を動員した詩やエッセーを掲載していた。なかでも北川透の「(詩を書くものは)北の海を彷徨う死者の眼と同調する狂気が必要だ」という文章にうたれた。沖縄の詩誌にも3・11を意識して書かれたものがあった。自然と国家政策の暴力で、いのちと生存場所を破壊された東北、福島の悲惨は沖縄にも通底する。この島トポスも繰り返される不条理な暴力と流動にさらされ続けている。私(たち)は、島トポスの内なる現実を感受しながら、個の内面を自立する詩の言葉に転化して、どう浮上させていくかを常に問い続けなければならないだろう。

[詩集]
市原千佳子『月しるべ』(砂小屋書房)、かわかみまさと『夕焼け雲の神謡』(あすら舎)、新城兵一『死生の海』(同)、下地ヒロユキ『とくとさんちまて』(花View)、網谷厚子『瑠璃行』(思潮社)が出た。市原、かわかみ、新城、下地は、宮古を出自としている。偶然とはいえ、今年は宮古出身詩人の詩的活動が目立った年といえる。
『死生の海』は生存という磁場への強いまなざしである。痛みと他者への優しさ。この詩人の内なる解体と廃墟から紡ぎだした言葉は喩の劇性を呼び込んで惹きつけるものがある。生と死の在所から出てくる言葉の響きがいい。本当の詩を読んだなという感じを持たせた。新城はこれで12冊目の詩集。これまで一番多く詩集を出しているのは、宮古の伊良波盛男で18冊である。
『月しるべ』は市原の19年ぶりの詩集。この間を市原は家庭を、職を、東京を捨て、潔しのない、しみったれの歳月という。前詩集『太陽の卵』にあった珊瑚礁、自然、太陽の光、の詩的感受性が夜=月に転移している。身体、死、エロスへの愛しさ、哀しさ。その詩的言語に、いのちを中心に広げた詩形を感じた。最近の市原詩には人間の深い哀愁も漂ってきた。
『とくとさんちまて』は、神話的感覚を喚起させる詩集だった。視るものから変容のイメージを作りだす特異の感覚が織り込まれていた。この詩人の登場はうれしい。
『夕焼け雲の神謡』には遠近の時空間の出会いから生まれた自在な言葉の織り込み、根への帰巣と存在の宇宙が取り込まれていた。
2年前に亡くなった上原生男の遺稿集『沖縄、我が蒼穹を求めて』には詩13編を収録。時代や草莽の痛みと悲しみが、緊張感をもった詩語から伝わってきた。読みながら氏の豊饒な寡黙を想いだしていた。
詩集に与える山之口貘賞。今年は、新城兵一と下地ヒロユキ氏。詩歴の長い新城氏の遅い受賞は個人的にも感慨深かった。高木敏次の『傍らの男』がH氏賞を受賞。詩の言葉への向き合い方が〈私〉を基点に独特の呼吸をもっている詩集という印象をもった。

[詩関連誌]
詩人論が多く出たのが今年の特徴だ。いまや伝説的詩人になってしまった清田政信への言説が目をひいた。『Myaku』7号でネット対談「詩人・清田政信」(比嘉加津夫+田中眞人)、9号に松島浄が「清田政信の初期の詩ノート」を書き、『脈』73号に比嘉加津夫の「清田政信論ノート」があった。宮城松隆が同号で「川満信一小論」を、『裁詩』13号で鈴木次郎が岡本定勝を論じている。
本土詩誌の『詩と思想』8月号が沖縄の詩を特集した。「沖縄の名詩アンソロジー」。「名詩」という付け方や新城兵一、田中眞人、矢口哲男が入っていなかったのはどういうわけか、というのがあるが、地方の詩に目を向けた、この雑誌のポジティブさを評価したい。宮城隆尋のエッセー「沖縄の若手詩人」は、先行世代と対比しながら、沖縄意識(政治状況、郷土性)が希薄な若手詩人の作品を解釈し可能性に言及したのが印象に残った。
東風平恵典が宮古で『Lunaクリティーク』、『Luna通信』を創刊した。『1999』8号、『めじ』5は久しぶりの発行。その他の詩誌発行を列挙すると、『アブ』9、10。『宮古島文学』6、7。『非世界』22、23。『脈』73、74。『あすら』23~26。『うらそえ文芸』16。『だるまおこぜ』6。『裁詩』13。『ゑKE』39、40。『KANA』19。『間隙』30~32。沖縄女性詩人アンソロジー『あやはべる』9。

「琉球詩壇」(琉球新報)が2月から開設(復活)され、定期的に掲載を始めた。

                                                   (沖縄タイムス2011.12.21)