詩の読み方として詩人論的か詩論的か、があるのではないだろうか。作品を詩人の実生活や生き方が反映したものとして読むか、あるいは、言葉そのものに価値をおいて、詩句の創造、比喩、修辞といった言語芸術の視点からみる、詩人は書くことにしか存在しない、詩の「根源的瞬間の感得」(リシャール)というふうに読むか。もちろんどういう読み方をするかは読者の自由である。
比嘉加津夫がやっている『Myaku』は今や全国的な雑誌となっている。吉本隆明、谷川雁、島尾敏雄、といった好みの詩人、作家をとりあげ、16号は「放浪・浮浪詩人」高木護を再度特集している。この詩人への比嘉の惚れ込みようは詩人論的選択とみる。世間的価値から逸れた生き方をする詩人の言葉へぞっこんなのだ。こういう向き方は悪くはない。むしろ正統だ。言語主義の詩は魅力だが、確かにものたりない。
今は故人の勝連敏男と飲んだとき、彼がいっていたことを思い出す。「ランボーも山之口貘も詩を書かなかったら、ただの浮浪者だったわけさ」彼も不定職の詩人でとおした。
詩人や作家は生き方の凄みや生き様で評価されるのではない。そんなことで作品が評価されるのなら、文学はいらないし、伝記的事実をほじくって鑑賞すればいい。
赤嶺盛勝詩集『夢のかけらⅢ』は初期の頃と近年のものが収録されている。面白いのは「五十音」。五十音を頭韻にして人生と生活の姿をうちだしているのが笑いを誘う。
「あいさいかではないが、女房は鏡であり(略)/いかにもふるっているようだが、いさかいもあった(略)/うそを付く事もお互いにあったが(略)/えいこくへ行く夢も消えて(略)/おっかさんほんとうにご免!出世できなくてなんちゃって。」
というぐあいに続く。この最後は実につぼを得たつぶやきだ。この詩人は挫折感と生活意識が混在した、そこを書く。正直さと軽みの詩を書くことで自分を支え、宿る困難を薄める詩境がある。諦念の居直りと侘びが染み込んで、なんともいえない悲哀の味を出している。「魔物」も面白い。
3・11震災をモチーフにした詩が目についた。あれから2年。世界の流動が、あの大震災を忘却するかのようにはたらきはじめているなかで言葉は記憶を喚起することをうしなってはいないということだ。
「東日本大震災に」としている、田中眞人の「炎のプラージュ」(アブ13号)はこの詩人独特のイメージでの捉え方がある。自身の震災体験と立ち上がるイメージの連なりがまるで黙示緑的で、詩的想像力で生成した世界がある。香川浩彦の「津波」「海」(非世界26)の家族を呼ぶ悲しい声も、西銘郁和「遠野物語に描かれた幽霊の記録」(同)の、津波で失った妻の幽霊をみる男に、震災の地を訪ねた自分に震災死者の幽霊が出なかった体験を関わらせた記述も3・11が喚起する内面への波動が契機となっていよう。
「アブ」13号は山原みどり、松永朋哉、西原裕美、宮城信大朗など若手の詩を掲載している。
「ママこれかってぇ/ちいさな子どもが/言うから/そこの地面が/きらきらしてた」(西原「しずくのようで」)
母、子、地面から「きらきら」という視覚をつかむ感性がいい。宮城の「アスパラガス・貝」にささやく「山が泳いで指が頭上をきる」という詩句は性愛的な場面を切り取って高める、みごとな喩の情景である。
朔太郎ではないが変異な夢を呼び込む詩は好きである。下地ヒロユキの「ある異貌の描写」(アブ13号)、「朝の散歩」(うらそえ文芸18号)、宮城隆尋の「チツジョ」(脈77号)が読ませる。ともに日常を異化の眼で変形する手法が独特だ。
あすら32号。ムイフユキの「フルーツ・フィールド③」は日本語に、うちなー口、アイヌ語、奄美口を戦略的に使用して、その混じりを生かして魂を探っている。深奥に潜む心的世界の、その語りが興味深い。佐々木薫の「沖縄を生きるうたびとたち―女性編」シリーズが始まった。池田光子という詩を書く人がいたことを初めて知った。今後の発掘が楽しみだ。
うらそえ文芸18号の伊良波盛男の「私の中のアメリカ人」。占領下の、貧窮の高校生の頃、LST米軍物資輸送船でバイトした。
「アメリカ人は親切だった。/その都度笑顔の若い白人に先導されて、(略)/見たことも食べたこともなかったアメリカ食をご馳走になった」「個人的にはアメリカ人に対し/頭を垂れて深謝こそすれ/遺恨や反発の感情は起こらない」
自伝的な叙事で終始している。なぜこんな詩を書くのか。いまの沖縄の状況への自分の体験からの対置と思われるが、この詩がアメリカ体験ではなくアメリカ「人」体験であることに留意する。フリクションを醸している現実をこえて、人は国家や民族の存在よりも先に個々の存在で実際に関係して生きていることのほうが重いということを暗に示している。
(沖縄タイムス2013年6月)