フロレスタンさんのところで予告した私自身の高校時代についてなど・・・
ちなみに私の母校の高校は新潟の、一応その学区では一番とされる進学校である。
私の高校時代はとにかく、地元の国立大学工学部への進学が目的だったので、それに邁進しようとしていた。
しかし、高校入学直後からどうも勉強が解らなくなった。
一応、授業の予習や復習はそれなりにやるのだが、どうしても試験の点数が上がらない。
で、とうとう高校2年の終わりには順位でいうと約450人中40X番目というありさまになってしまったわけだ。
おかげで、「内職」なんぞする暇もなかった・・・(^_^;;;
仕方がないので、高3になってから1年次の教科書からもう一回やり直してみた。
すると、
「あ、今授業でやっている部分の元になってるところがこんなところに・・・」
という案配で、ようやく知識が繋がること重要性に気がついたわけである。
まあそんなこんなで這々の体で地元ではないが隣県の国立大学には無事合格できた訳である。
生まれて初めて地元を離れ、大学に入って感じたことは、いかにこれまでの自分の世界が狭かったかということ、地元で一番とはいえ全国区で見れば自分の母校のレベルがそれほどでもないという現実。
さらに、その後のインターネットの急速な普及に伴って私にもさまざまな知己を得る機会が巡ってくるのであるが、その中にたまたま鹿児島ラサール→東大文1→法学部とまさに日本の受験エリート街道を爆走してきたような人物がいた。
で、彼にいろいろと話を聞いてみて、いわゆる私学の中高一貫型進学校といわれるものすさまじさというものを痛感した。
一応中学・高校と名がついているが、もう根本的に公立高校とはシステムが違うとしか言いようがない。
私が高3になってようやく会得した「知識が繋がることの重要性」も彼らは遅くとも中3の段階で教えられor気づかされるように、あるいはと意識しなくても体得するようにシステムとしてできあがっている。
この違いは、こと受験という場においては圧倒的な差となる。
こういう連中とまともに戦うためには、地方の公立高校ではよほど本人に能力があるか、そうでなければ学校としてどこかで無理をしなくてはならないだろうと、そのとき思ったのである。
その「どこかで無理をした」ものが今日になって吹き出てきたものが、この履修問題であると思われる。
これは既存の公教育システムが現実とあわなくなってきていることの、典型的な例だと、私は考える。
したがって、これには小学校から大学までの教育システムそのものを見直さざるを得ないだろう。
どのように見直すかについては、大いに議論の余地があるし、私自身もまだ確たる意見があるわけではないので、今日のところはこの辺で。
本当は
大学工学部の志願者減についても書きたかったのであるが、それは明日にしようと思う。