スシの暗黒狂

挫折した理系人の狂的科学空間

しずかちゃん、オメーーー

2006-02-26 00:29:01 | その他
大分出遅れたが、荒川静香選手の金はめでたい。

実は管理人は今をさること8年前、長野五輪のときフィギュアスケート会場でボランティアなんぞをやっておった。

当時の荒川静香選手は16歳で、正直ボランティアもスケート協会の人もメダルなぞ誰も期待していなかった。
わしらボランティア一同も「しずかちゃん、しずかちゃん」と呼んでおったし、ある協会の人なぞ「まあ、開催国枠だからね」と言っておったくらいであるw
それがどうだ。
8年の歳月はこうも人間を成長させるものかね。
人の可能性とはすばらしいものであるな。

大隊指揮官殿かく語りき・・・

2006-02-21 23:55:54 | コミック・アニメ
お待たせした。ネタを大公開。
添削コメントも大募集。


諸君、日本人は空港が好きだ。
諸君、日本人は空港を造るのが大好きだ。
国際空港が好きだ。
地方空港が好きだ。
軍用空港が好きだ。
農道空港が好きだ。
能登で、
佐賀で、
名古屋で、
北九州で、
静岡で、
海上で、
離島で、
山奥で、
河原で、
この日本で造られる、ありとあらゆる空港が大好きだ。
エンジンを吹かしたB-747(ジャンボ)が、轟音とともに離陸していくのが好きだ。
空中高く飛び上がった飛行機が旋回していった時など心が躍る。
操縦士が操るA380(エアバス)が着陸するのが好きだ。
貨物室からボジョレー・ヌーボーを取り出した時など、胸が空くような気持ちだった。
ジュラルミンの盾をそろえた機動隊の隊列が、デモ隊の縦列を蹂躙するのが好きだ。
恐慌状態の新人が既に抵抗力を無くした学生を、何度も何度も警棒で殴っている様など感動すら覚える。
共産主義の過激派たちを逮捕していく様などはもうたまらない。
怒り叫ぶ学生たちが私の振り下ろした手の平とともに、白煙を上げる催涙弾にバタバタと倒れていくのも最高だ。
哀れな抵抗者たちが雑多な農機具で健気にも立ち上がってきたのを、放水車の放水が抵抗小屋ごと木っ端微塵に粉砕したときなど絶頂すら覚える。
JRの新幹線に需要予測を滅茶苦茶にされるのが好きだ。
必ず利用するはずだった顧客が新幹線に奪われ、赤字になり、空港が閉鎖されて様はとてもとても悲しいものだ。
マスコミの取材に押されて談合が暴露されるのが好きだ。
マスコミに追い回され、凶悪犯のように地べたをはい回るのは屈辱の極みだ。
諸君。私は空港を。地獄のような赤字空港を望んでいる。
諸君。私に付き従う大手建設会社(ゼネコン)諸君。
君達は一体何を望んでいる?
更なる空港を望むか?
情け容赦のない、糞のような空港を望むか?
放漫財政の限りを尽くし、日本の国庫を破綻させる宮殿のような空港を望むか?

(複数の大手建設会社)空港!空港!空港!

よろしい。ならば空港だ。

我々は満身の力を込めて、今まさに振り下ろされんとする建設機械(ユンボ)だ。
だがこの公共事業削減の時代で15年もの間耐え続けてきた我々に、
ただの空港ではもはや足りない!!

大赤字空港を!!一心不乱の大赤字空港を!!

第2次空港整備計画。状況を開始せよ。


とうとう毎日新聞が・・・

2006-02-18 17:08:36 | コミック・アニメ
とうとう毎日新聞が某SS少佐に乗っ取られたのかと思っちまったい。

「海上空港大国」日本 必要性を見極めよ

リンク切れ対策のためちょっとだけ引用
~~~~
日本人は本当に空港が好きだ。いや正確に表現するなら空港をつくることが大好きだ。16日に神戸空港が開港した。昨春には中部国際空港が愛知万博を前にオープンした。来月16日には新北九州空港も開港する。いずれも海面を埋め立てた海上空港である。世界にこれほど多くの海上空港を持つ国はないだろう。

 まだまだ続く。07年には赤字空港として名高い関西国際空港の第2滑走路が完成する。09年には静岡空港が静岡の茶畑の上に出来上がる。そういえば中部国際空港の前は03年の石川県の能登空港だった。その前は九州の佐賀空港だった。いずれも気の毒なことに、今は赤字の沼に足をとられ苦戦しているが懲りない面々はまだ後追いレースを続行中だ。
~~~~

これって、どう見てもネタだよなあ・・・

これは、やはりあれかな?完全なパクリを完成させよという毎日新聞の命令電波か?
ならば、受信して差し上げねばなるまいて。

というわけで、近日公開予定。しばしマテ。

このままメダル無しでも良いかもしんない・・・

2006-02-15 20:12:37 | その他
トリノ五輪は前半戦が終わって日本勢はメダル0なわけだが、このままメダル無しで終わった方がむしろ日本のスポーツにとっては良いかもしれない。

というのも、日本人は伝統的に一回とことんまで負けないと目が覚めないところがある。
古くは白村江の戦いでボロ負けして聖徳太子による政治改革が始まったように。
近くは、先の戦争のように。
とにかく一度大敗しないとうまくいかない。

ならば、今回の五輪も一度大負けし、しかるのちにスポーツの体制を刷新して新たにやり直した方が今後の日本スポーツ界のためには良いように思われる。

理系人の理想と現実、その2

2006-02-04 15:17:44 | 科学・技術・教育
(その1の続き)

理想を言えば、純粋な知的探求の結果、あるいは優れた工学的発明の結果として論文なり特許なりが作成され、高い評価を得る、というのが一番です。

しかし、上流に所属しているわけでないほとんどの若手研究者は、例えば大学の助教授以下なら、年々減額されていく研究費、同じく年々劣化していく学生の質とそれに対応するための教育、教授が定年退職してもその分を補充しないことによる人員削減(国立大学でもこれは実質的に行われています)とそれにともなう負担の増加、etc・・・
企業研究者の場合は、教育や雑用部分は大学の先生とちがって大きく減りますが、その代わりに利益という直接数字で表れる非常にシビアな部分が出てきますし・・・

私は大学院時代、塾で高校生に数学を教えるアルバイトをしていました。その時、私は徹底して「パターンを覚えろ!」と指導し続けました。大学受験に出てくる数学の問題は、ほとんどパターン化されており、そのパターンをより多く覚えた者がより高い点数をとれるからです。これは、数学に限らず他の教科でも同様です。
無論、このやり方は本来の数学教育からすれば邪道もいいところです。
しかし、私は邪道を承知でこの指導法をしていました。別に塾側に強制されたからではありません。それは、この方法がもっとも確実に生徒に対して点数をとらせることが出来るからです。
生徒に対しても、この方法は数学の本道ではなく邪道であることを明言していましたが、彼らから文句が来ることはありませんでした。
なぜなら、彼らにとってもメリットが大きかったからです。

私がこのような話を持ち出したのは、理想とされることと実際の現実の需要とでは乖離があるということを申し上げたかったからです。
特に中流以下の、階級で言えば下層に行けば行くほど、この乖離は大きくなります。

理想を高く持つこと。それ自体には問題はありません。
しかし、現実もふまえなくては理想はただの机上の空論にすぎません。
「理想は高く。しかし、現実もふまえて」
が私の持論であり、まず現実の需要をしっかりと抑えて、しかる後にそこからいかに自分の理想に近づけるかを考えなくてはなりません。
その際、多少の妥協は必要にもなりましょう。
囲碁のようにここでは妥協するがこちらでは妥協しない、という風にメリハリをつけ、トータルでプラスになればそれでよし、とするように戦略を練らねば、これからの理系人はやっていけないと思っています。