MAD DRUMS LAB. マッド ドラム ラボ

ドラム暦数十年の経験と豊富な指導実績で設立した 伝統をふまえつつ先進のドラムスクール

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うちのトンボ

2009-08-22 23:32:50 | Weblog


毎年うちにはトンポがいらっしゃいますが、今年はちょっと様子が違います。
写真は今月の6日と10日の分ですが、いままでこういった種類は来ていなかったように
思います。まったく詳しくないんですが…
どちらも結構大きめです。どうやら去年自作した池の賜物ではないかと思っています。
右はその池の畔でおそらく産卵なさっているようにお見かけします。

反対に従来から見る種類は何故か小振りなように思います。

ビリー・コブハム祭り

2009-08-07 00:30:21 | Weblog

先日皆既日食の時に宣言したように今回のHPのmovieはビリー・コブハムです。
映像がたくさんあって選抜に苦労しました。
暑い夏にピッタリ!?の彼のドラミングを堪能して下さい。

Billy Cobham(1944/5/16~)

パナマ出身。父はピアニスト、母はシンガー。
3歳でニュー・ヨークに移住しドラムを始め、セットは4歳から。8歳に父親とステージ
に立ったという。10歳からルーディメントを習い始める。
マーチング・バンドやラテン・バンドも経験する。
オーケストラとかビッグバンドなら何でも聴いていたそうだ。
ミュージック&アート ハイスクールの同級生には幼なじみのジョージ・ケイブルス(p)や
ボビー・コロンビー(前出、元BSTのドラマーのちにプロデューサー)他にエディ・ゴメス(b)
がいた。
卒業後陸軍に入り、軍楽隊で教わると同時にルーディメントなどを習い、
「この時期大分上達できた。ルーディメントは土台だと感じている」と言っている。

退役後67年にジョージ・ベンソンとレコーディング、68年にはホレス・シルバー(p)
クインテット(Movieの1本め)に参加、他にロン・カーター、ケニー・バレル、
グローバー・ワシントンJr.やニュー・ヨーク・フィル、ボストン・シンフォニー等とも
共演している。

69年にドリームズ(ブレッカー兄弟がメンバー)でアルバム・リリース。
69~70年マイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」「ジャック・ジョンソン」
に参加。
71~73年ジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オーケストラ(Movieの2本め)に参加。
この時期の映像は見た事がなかったので今回はちょっと嬉しくなった。トレードマークだった
ファイブスの透明シェルのドラムだ。kbはヤン・ハマー。74年メンバーチェンジをして
からの映像は先日wowowで放映されていた。(ドラムはナラダ・マイケル・ウォルデン)

73年初のリーダー・アルバム「スペクトラム」を発表。以降自身のアルバムを次々と発表。
私はほとんど持っている。
70年前後といえばまだクロスオーバー、フュージョンといった言葉もなく、ジャズロック
と言われていた時代にまさに自由にジャズとロックを行き来していたドラマーと言えるだろう。
そういった人は多くはなく、同級生のボビー・コロンビーがグルーヴの質は違うがそういった
方向だったのも偶然ではないような気がする。
私は単なるロックドラマーよりもこういったドラマーに多大な影響を受け、ロックをやる時も
ギター・ソロに絡んでいくようなプレイを心がけていた。

76年にはジョージ・デュークと双頭バンドでアルバムをリリースしモントルーにも出ている。
(Movieの3本め)ファイブスのセットに確かノースドラムというメーカーの黄色い子供が
くぐり抜ける遊具のようなタムが目を惹く。
アルフォンソ・ジョンソン(b)ジョン・スコフィールド(g)



80年にスイスに移住して以降の活動は音も含めてあまり知らなかったが、今回は少し調べて
みた。移住については「仕事がたくさんできるから」とのこと。
スイスではテレビの教育番組のプロデューサーも務め、Billy Cobbin's World of Rhythm
という番組をやっていた。
グラス・メナジェリーや、ボビ-&ザ・ミッドナイツといったロック寄りのバンド活動もしている。
その後GRPレーベルで3枚(85~87年)、FNACレーベルで3枚(91~96年)の自身の
アルバムを発表。91年には教則ビデオを発表。(これは持っている)
その後も今日に至るまでコンスタントにアルバムをリリースしているようだ。


コブハムといえばよく圧倒的なパワーと超ハイスピード・ドラミングの様な表現がされるが、
腕はあまり使わずほとんど手首から先の技術のようだ。
フィンガーも含め独自の奏法も編み出したようで、本人いわく
「ステックを自分の指先のように扱える握り方を考えた。スティック自体の重さを利用して
必要なパワーを得られるような握り方や叩き方を身につけた」という。
あの体格なので(以前は「健康のためにウェイトリフティングをやっている」と言っていた)
手や指も大きく日本人には参考にならないかも知れない。また
「基本的にスティックの動きを妨げないので叩いている時でも自由にグリップの位置を
変えられる。使うのに必要なだけスティックの長さを自然に選ぶ。同じパワーを得るために
いつも強く叩く必要はない。長さを調節すればいい」とも言っている。

彼は左右両利きだ。本来右利きでありながら左手でハイハット、ライドシンバルをレガートする。
左手ライドはバークリー音楽院でも変えるように言われたそうだ。
ハイハットはほとんどスネアと同じ高さなのでタムの高さをすべて同じ高さに揃えられるし、
手がクロスしない(オープンハンド)ので左手のタム、シンバルへの移動がスムーズというわけだ。

いわゆる変拍子もお手のものである。
また「タムを使った速いフレーズはダブラの方法論をドラムに置き換えた」そうで、
これはおそらくマハヴィシュヌ・オーケストラ在籍時にジョン・マクラフリンからインド音楽の
洗礼を受けた影響だろう。
ダニー・ゴットリーブもマクラフリンからインド音楽のリズム手法を学んだことを自身の教則
ビデオで話している。

ダブル・ベースドラムはこれまた72年にマクラフリンに言われて始めたそうだ。
普段ベースドラムはルーディメントを練習するという。
なんとほとんどヒール・ダウンであのパワーである。

それと特筆すべきは彼は自身のアルバムの初期から作曲に積極的なことだ。
「作曲を勉強することによって他の楽器についても学ぶことができ、そのことがドラマー
として他のプレイヤーとより上手く馴染むのに役立つ」と言っている。



近年では03年にArt of Threeとしてケニー・バロン(p)ロン・カーター(b)と来日
そして去年スペクトラム・ツアーとしてヴィクター・ベイリー(b)トム・コスター(kb)ディーン・
ブラウン(g)というメンツで来日している。

間違いなくドラムの可能性を大きく広げた巨人は今年65歳。
まだまだ健在である。

カセットを直接PCに

2009-08-04 01:33:34 | Weblog
カセットテープの音源をUSBで直接コンピュータに入力可能なダブルカセットデッキ
が発売されている。
ALESISのTapeLink USBという商品だ。
ALESISはアメリカの音響メーカーでレコーディング機材、ミキサー、エフェクター、パワーアンプ
などを手掛けているので信頼できそうだ。
倍速が可能なのは魅力だがテープが痛まないか不安だ。

今はTEACのシングルのカセットデッキからオーディオ・インターフェイスを通してPCに読み込んで
いるが、いずれカセットデッキももう1台必要になると思っていたのでそのうち手に入れるかも
しれない。