MAD DRUMS LAB. マッド ドラム ラボ

ドラム暦数十年の経験と豊富な指導実績で設立した 伝統をふまえつつ先進のドラムスクール

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ジェフ・ベック

2009-02-22 23:01:06 | Weblog
先日NHK BS-hiでジェフ・ベックの2007年11月ロンドンの老舗クラブ ロニー・スコッツ
でのライブが放映された。

今丁度来日中のようだが、こういったクラブサイズでのライブは初めて観た。
ベックは64歳!とても見えないが、観客の方は確かに高齢者といった感じだ。
いわゆるスタンティングとかの盛り上がりは一切ないが、こういうライブもいいもんだ。

メンバーはこの数年固定しているようだ。この辺りは先日コメントしたので省く。
今回は録音に期待していたのだが、ギターだけが大きすぎてベース ドラムとのバランスが
悪い。2006年のUDO MUSIC FESTIVALよりはましだがどういうわけだろう…

75年のBlow by Blowから始まったロック・インストゥルメンタルとも言われる流れは
今も続いているが、彼に続く者は見当たらない(ロックといってもジャズの要素も多分に
あるのもその一因だろう)くらい彼の技量は圧倒的だ。

20~30歳代の生徒さんにベックの名前を出してもほとんど知らないのは淋しい。
是非聴いてほしい。
レッスンの合間に映像を流すし、後日有名曲を譜面にして教材に使おうと思っている。

レオン・エンドゥグ・チャンスラー

2009-02-18 09:16:31 | Weblog
今回のMovie二人目はレオン・エンドゥグ・チャンスラーです。

Leon Ndugu Chancler (1952~)
日本ではチャンクラーとよく書いてありますが、今回のモダンドラマー・フェスティバルの
司会者もチャンスラーと言っているのでそれが本当でしょう。
当初はいわゆるストレート・アヘッド・ジャズのドラマーだったが、マイルス・デイヴス
と共演するようになってそれ以外のスタイルも取り込んで行くようになった。
彼はマイルスから大きな影響を受けたと言っており特にそのオープン・マインドを挙げている。

以降、ハービー・ハンコック、ウェザー・リポートといったジャズよりからジョージ・デューク、
サンタナさらにはマイケル・ジャクソン(「ビリー・ジーン」)と幅広い活動をして来た。
クルセイダーズに参加して来日したこともある。
私はジョージ・デュークとやっている時の彼をよく聞いた。

84年のインタヴューで初心者に向けて
「まずグリップとかベーシックなストロークを身につけなければならない。
変な癖をつけると後で直すのが大変だからね。そのためにはスティックを買って来たら
まず先生を見つける事だね。」と言っている。
また
「普段叩く時、柔軟をしたあと、必ず26のルーディメントをやるんだ。
これは20年間ずっとやって来た。」とも語っている。

エンドゥグといえばパイステのシンバルを垂直近くセットするのが特長だが、フロアタムの
近くに小口径のタムをセットすることも多い。
またヴィブラホン、ラテン・パーカッションも演奏するし、作曲・プロデュースもこなす。

ちなみにNduguとは兄弟、good friendという意味だそうだ。

デヴィッド・ガリバルディ

2009-02-17 01:04:28 | Weblog
今回のMovie 一人めはデヴィッド・ガリバルディ

David Garibaldi(1946~)
オークランド・ファンクの代表選手タワー・オブ・パワーの初代ドラマー。
私の敬愛するドラマーのひとりである。

タワー・オブ・パワーは70年あたりから表に出て来たと思うが、リアルタイムで
かなりの衝撃を受けた。強力なブラスセクションにバックビートを外した所に入りまくる
スネアのアクセント。グルーヴ自体当時はよく理解できなかった…
そしてアルバムジャケットの写真を見ればアフロヘアーに雄叫びの形相、気合いで叩いて
いるタイプかと思っていた。
が、後年インタヴュー等で非常に音楽に対し誠実で理知的、勉強熱心な人である事が分かって
来た。

彼のグルーヴは当時から計算された高度なものだったのだ。それを感じさせず気持ちよく
聞かせてしまう。「あの曲はどうやってるのか?」と尋ねられればそれをスラスラと
譜面に書いてしまうという!
彼はオリジナリティーを非常に重んじて、自分が造り上げたものだからこそだろう。

技術的には今でいうリニア的な手法をすでに相当取り入れているし、パラディドルに代表
されるルーディメントも随所に織り込まれている。
また自らパーミュテイション(置き換え)と呼んでいる音符をひとつずつずらして新しい
アイデアを膨らませていく手法も提唱して曲にも取り入れている。

25歳(タワー・オブ・パワーはすでにデビューしている)からハンドテクニックを学び
始めたそうだ。89年当時でもレッスンを受けていると言っている。

80年からバンドを離れ他のアーティストのバックやパーカッション奏者とのトリオ、また
教育者としてディック・グローヴ音楽学校パーカッション科講師、カリフォルニア州立大学
で応用音楽の授業をしていたこともある。またクリニックも精力的に行っている。
(私も東京で90年にクリニックに参加した)

98年にタワー・オブ・パワーに復帰し、現在も活動を続けている。
以前よりアグレッシブというか即興性がまし、プレイに厚みが出て来ている。

今回の映像は2006年のモントルー・ジャズ・フェスティバルでのもの。
先日触れた初代のオルガン奏者チェスター・トンプソンと彼が今活動を共にするサンタナも
ゲストで弾いている。

ポール・ジャクソン来館

2009-02-10 22:50:34 | Weblog

昨晩レッスン中に突然ポール・ジャクソン(ベース)がやって来ました。
彼は近くに住んでいることは聞いていましたが、私は初対面。今月近くでライブが
あるので自らその宣伝に来たのでした。
久々につたない英会話を楽しみました。

ポール・ジャクソンといえば73年ハービー・ハンコックのアルバム「ヘッドハンターズ」で
ファンク・ベースとして一躍有名になりました。この時のドラムはハーヴィー・メイソン。
次のアルバムからはマイク・クラ-クになり、後にハンコックとは別にヘッドハンターズとして
独立した活動をしていたように思います。

今回のライブでのドラムはジェームズ・リヴァイ。彼は76年「シークレッツ」、VSOPの
コンサート時と78年の「フィーツ」でクレジットされていたと思います。
ポール・ジャクソンとは10代からの友人らしい。

場所その他は上の写真をクリックして下さい。

ドラムマガジン

2009-02-08 23:11:07 | Weblog
以前「アナログ音源のデジタル保存」という記事を書きましたが、音楽専門誌も
随分な数になりました。何せ大学時代から30年以上ですから…
これはドラムマガジンの創刊号。(表紙はジェフ・ポーカロ)
1982年10月にギターマガジンの増刊として発刊されました。当初は季刊だったのが
90年から隔月刊となり94年10月からは現在のように毎月発行になりました。

2000年になって思い立ち、中身をスキャンしてデジタル保存することにしました。
本もそのままだと場所も取るし重いし、見たい記事を探すのも大変(というより
ほとんど不可能)です。このデジタル化も地道な作業ですが、ある程度の量になると結構
重宝です。現在2000年まで保存完了。

音源の時と同じ様にPC上で検索が簡単なので膨大な記事の中から見たいものを瞬時に
選び出せます。(データの名前の付け方にもよりますが)
もちろんすべてが必要な記事というわけではありませんが、保存作業後に利用した
記事も結構あります。

生徒さんにもスタジオで見てもらうこともできますので、遠慮なく申し出て下さいね。

イアン・ペイス

2009-02-04 14:58:20 | Weblog
今回のMovie二人めはイアン・ペイスです。

Ian Paice (1948~)
レッド・ツェッペリンと並ぶブリティッシュ・ハード・ロックの立役者ディープ・パープルの不動の
ドラマー。
ロックドラマーとしては比較的音数の多い人だ。それも76年に解散するまでのディープ・パープル
では邪魔にならず、ボーカル、ギターの競い合いに立ち向かっていくようなスリル感があった。
同じ曲でもその日によってアプローチを変え適度の緊張感をもって、技術も磨かれたのではないだろうか。

彼のノリはこの時代はやや突っ込み気味でそれがスピード感を与えている。
また流れるような細かい音符を使ったフィルインもドライブ感を感じさせる。
何といってもシングルストロークの速さが彼の魅力だといえる。
イーヴンのノリの曲(8分、16分系)に3連系の音符を織り込むのも彼の特徴だろう。

私自身は中学生の時、最初にパープルを聞いた(映像で観た)のはブラック・ナイトという曲だったよう
に思う。その曲中に何度となく形を変えて出て来るドラムのフィルに驚かされた。
当時の私にはチンプンカンプンだったのだ。
のちにアルバム「マシンヘッド」72年の「ライブ・イン・ジャパン」はよく聴いた。

解散以降はあまり知らないが、レコーディング技術の発達と共にロックバンドも完成度の高いアルバム
を求められるようになったようで、以前のような奔放なプレイはやや成りを潜めた感がある。
彼自身クリックに合わせて録音するのは得意ではなかったようだ。
84年にパープルは再結成。現在も活動している。モントルー・ジャズ・フェスティバルなどにも
毎年のように出ている姿を見る。
これからも前述のようなイアンらしいプレイを聞かしてもらいたい。

マックス・ローチ

2009-02-03 01:05:14 | Weblog
HPのMovieを更新しました。
今回はマックス・ローチとイアン・ペイスです。
今日はマックス・ローチをコメントします。

Max Roach (1924~2007)
モダン・ジャズ・ドラミングの立役者としてあまりにも有名。
47年にチャーリー・パーカー・クインテットに参加、その後バド・パウエル・トリオへ。
いわゆるビ・パップの推進力となる。
54年クリフォード・ブラウン(59年交通事故死)と双頭クインテットを結成し名演を
残す。その後は自己のグループを率いる。またソニー・ロリンズのアルバムに好演が多い。

We Insistというアルバムを発表するなど黒人運動の旗手でもあった。
またDrums Unlimitedというドラムソロのみのアルバムも出している。

それまでベースドラム、スネアをリズムの主体としていたのをライドシンバルとハイハット
に移しベースドラム、スネアは自由に使うドラミングを確立した(ケニー・クラークの指導を
受け彼が試みていたものを技術的に完成)。
ソロではシングルストロークが主体。またベースドラムとのコンビネーション、休符を活かした
奏法や3拍フレーズも特徴。アップテンポを得意とした。

77年のLive in Tokyoというアルバムがあるが、幸運にもその時の大阪公演を観ることができた。
のちのロックドラマーにも大きな影響を与えているので是非多くの人に聞いてもらいたい。

LAN増設

2009-02-01 22:41:38 | Weblog
スタジオには最初からLANコンセントを設けてノートPC(Mac)に繋いで使ってましたが、
反対側の隅にWindowsPCを接続したかったのでハブを使って増設しました。
生徒さんにもネット等自由に使ってもらおうと思います。

LANケーブルは長いのが余っていたのでそれを必要な長さにカットしてRJ-45モジュラープラグを
取付けていきます。
送信元も含め4カ所加工しました。最初の2カ所は難無くできたんですが、あとの2カ所はなかなか
上手くいかずちょっと苦労しました。
ポイントは最初に長めに被覆を剥いて、中の絶縁体を真直ぐにする部分を長くとり確実にプラグの奥まで
差し込むことです。

まずケーブルの被覆を長めに取り除きます。

ツイストされた絶縁体のよりを戻していきます。まずはこの様に青、橙、茶、緑のペアになります。
(中央に見える透明のは心材です)このそれぞれのよりをまた戻していきます。

今回のケーブルはT568A配列という種類だったので、絶縁体を左から白/緑・緑・白/橙・青・白/青・橙・白/茶・茶 の順に並べ真直ぐに整え15mm程度にカットします。

モジュラープラグに絶縁体を奥までしっかり挿入します。

モジュラープラグをかしめ工具の奥に突き当たるまで挿入し、圧着します。上手くかしめると「カチッ」と音がします。

出来上がりです。

ハブを設置し接続、ケーブルを壁際を這わして取り回しました。インディケーターが光ってアクセスしている事を
示しています。