まかろんのお茶会

日々の小さなことを詩モドキにしてます。
皆さまのお茶菓子代わりに楽しんでもらえたら嬉しいです。

「あるひとつの曲」 (# 192)

2012-12-27 22:00:15 | お茶菓詩 (読み切りサイズ♪)
ども、お今晩は~。

寒いですっ。
明日で仕事収めの方も、そうでない方も、もうすぐ新しい年ですから、
お身体にお気をつけて下さいね。


年末は気ぜわしくてイライラすることも多いですね。
なので最近、恐怖や怒り・不平不満について考えたりします。

すぴではそういった感情を全て自分から消し去ろうとしますね。
(もっとも、一般社会も同じようなことを皆様に押し付けていますが)

でもそれって、強い人に逆らうのが怖くて、結局、
強い人に何も言わずに自分が「なんとか楽に」「我慢」できたらいいなぁ、
というだけの試みなんじゃないでしょうか。

本当に乗り越えるべきは、押し付けられた役割に「嫌だなぁ」と思う
「間違った自分」ではなくて。

「嫌だなぁ」と思うことを押し付ける誰かに「変じゃないですか」と声をあげる恐怖だったり、それは実は「嫌なことで、変なことなんだ」と認識をすることを自分に許す苦労だったりじゃないかと思うんです。

本当の「自分」は、
恐怖や怒りをなかったことにすることで見つかるのではなくて、
蓄積された自分の恐怖や怒りのど真ん中の向こうで出会えるような気がしています。

日本国内だけでも恐怖と怒りの苦しみの連鎖は、至る所、あらゆる方面に渦巻いていて、
ましてや世界となると、本当に、どうしたらいいのか分からないほどですが。

まずは、自分が本当の「自分」と出会うこと、
それが世界平和への第一歩だと思うのです。


本日はこんな茶菓子を選んでみました。
大晦日と来年3日は気分次第、ということで、お会いできないかもしれませんが、
皆さまが清々しい心で新年を迎えられることをお祈り申し上げます。


2012年12月27日ブログ直接投稿 「あるひとつの曲」

あるひとつの曲が好きだった
一人の少年を知っていた
これが好きなんだと
聞かせてくれた その曲は
天の安らぎと美に満ちていた
いつでも周りを踏みつけて
自分だけが得しようと
ぎらぎら目を光らせている
そんな刺だらけの男だったけど

あるひとつの曲が好きだった
一人の少年を知っていた
これが好きなんだと
聞かせてくれた曲とは裏腹に
その心は安らぎには遠く
いつでも他人の攻撃を恐れ
誰かれ構わず傷つけようと
牙をむいて世間を見ている
そんな心貧しい男だった

彼がわたしの人生から去って後
ようやく彼の貧しさが
はっきり見えるようになった
そしてそれから何年も経って
ようやく彼の中にいた
あの曲を愛した少年の姿が
うっすら見えるようになってきた

冷たい風の中で
暖かな陽光の中で
わたしは時々
彼はどうしているのかと思う
今も誰かを傷つけて
今も世界に怯えているのか
そうして
今も自分を傷つけて
今も世界の中で彷徨っているのか

あるひとつの曲が好きだった
一人の少年を知っていた
どんなに人を傷つけて
どんなに世界を呪っていても
光を求める少年の心が
彼の中にあったのだと
今は確かな心で思えるから
もう彼が あの曲の安らぎを
得ていますようにと
冷たくなってく空を見上げ
遠いどこかに 思いを馳せる



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「単純な歌」 (# 191)

2012-12-24 21:30:18 | お茶菓詩 (読み切りサイズ♪)
ホウホウホウ!
メーリ~ クリスマ~ス(イブ)!

ついにこの日がやってきました。
Xmas(イブ)です。
まあ、日本人にはこの後のお祭り、お正月の方が大切ではありますが、
それでもこの聖なる日、しかも奇しくも休日!
いかがお過ごしですか。


Xmasって楽しいですよねぇ。
今日街に出てみたら、どこも人でいっぱい、皆楽しそうに賑わっておりました。

店はどこも、この日のための特別商品を出して、
うん、財布は痛むけど、心は軽いです(財布も)。

お財布の中身には残念ながら限界があり、買える物には限度があるわけですが、

ほんのちょっとの優しい気持ち。
ほんのちょっとのきらきら気分。

今日と明日だけでも。
このXmasフィーリングをあなた自身と周りの人に振舞ってあげてはいかがでしょう。

サンタさんも今、世界に喜びを与えようと飛び回っていますよ・・・
(googleによると、今パプアニューギニアの辺りを飛んでるそうです)

あ、今日本の北海道の先に来ています!

こうはしてられない、まかろんも急いでお出迎えしなくては!

またお会いしましょう!


2012年12月24日ブログ直接投稿 「単純な歌」

今日もわたしは歌をうたう
愛の歌 哀しみの歌 愉快な歌
そのそれぞれに世界があって
泣いたり笑ったり怒ったり
だけど歌が終われば 
わたしはわたし
この世界は変わらず 
わたしを待っていた

今日もわたしは歌をうたう
愛の歌 哀しみの歌 愉快な歌
そのそれぞれに世界があって
泣いたり笑ったり怒ったり
だけど この世界はたった一つ
そして このわたしもただ一人
たった一つとただ一人
ただ それだけのことだった

この身ひとつを シンプルにすれば
周りのもの皆 シンプルになる
だからわたしは 単純なこと
単純な歌をうたい続ける
生きること ただ在る喜び
あなたのために わたしのために

今日もわたしは歌をうたう
愛の歌 哀しみの歌 愉快な歌
そのそれぞれに世界があって
泣いたり笑ったり怒ったり
それを聞くあなたも心を揺らす
だけど わたしはここにいる
あなたとわたしに歌い続ける
単純なこと 単純な歌



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「そうだねと言ってくれ」 (#190)

2012-12-20 21:46:29 | お茶菓詩 (読み切りサイズ♪)
どもー、お今晩は~。


今日は例の「あせんしょん」とかの前日ですよ、皆さん。

どうですか、いろいろ高まってますか。
期待とか、不安とか、魂のはどーとか。

まあ、本当にそんなものがあるのか、まかろんには分かりませんが、
「いつ目覚めが起こってもおかしくない」
「あなたの心ひとつです」
というのなら。

明日起こってもおかしくない、
っていうか、イワシの頭もなんとやら、明日起こることにしちゃいましょー。


ということで、今日はあせんしょんの大晦日なわけですが。

えーと、言いたいこともないし、お茶菓子でも出すべぇ、と
ストックを漁ってみたら。

ちょっとスピ的な奴と日常どっぷり(でもXmas風味)と、どっちが良いか
決めかねまして。

あせんしょんの前日にこんなので良いか、ちょっと自信がないのですが、
まあ、  「悔い改めよ!」 (by 「聖☆お○いさん」)
ということで。

次はあせんしょん後にお会いしましょー。


2012年12月20日ブログ直接投稿 「そうだねと言ってくれ」

Xmasが近づいた街
それらしい物いっぱいの
店はどこも きらきらしてて
女の子たちを 笑顔にさせる

去年のちょうど こんな時期
君とあちこち 街を歩いた
どこに行くにも金かかるから
あの店この店 ただ覗いて歩いた

何件目かの雑貨屋で
これ可愛いねと君が言った
小さなガラスの天使の人形
どこにでもあるよと僕は言った

今年もまたこの時期がやってきて
街はまた こぞってXmas
通りがかった雑貨屋に並ぶ
去年見たよな ガラスの人形

きらきら光る人形に
重なる君の輝く笑顔
どこにでもあるわけない
あの時そう思えてたら良かったのに

Xmasが近づいた街
店はどこも きらきらしてて
そんなものとは無縁の僕は
独りで寒い街を歩く

僕にきらきら運んでくれてた
天使は今ごろ どこかの店で
どこかの誰かに言ってるだろう
これ可愛いねと 天使の笑顔で

そうだねと もう言えないから
どこかの誰かの声に乗せ
僕は君の幸せ祈る
君がどこかで笑ってますようにと

どこかの誰かにひっそり願う
どうか ああどうか言ってくれ
天使のあの娘に そうだねと
一言言ってくれますように と



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「ワタシハ キカイ」 (# 189)

2012-12-06 21:59:17 | お茶菓詩 (読み切りサイズ♪)
ども、お今晩は。

今日も茶菓子は旧作から。

知り合いに早めのXmasプレゼントを贈ろうと準備していましてね。

品物に「わたしは誰?」と書いた紙を貼ろうと思いまして、
どうせだったらイタリア語かフランス語で書いてみよう、と思ったわけですよ。

でもまかろん、どっちの言語も全く知らないので、
ネットで探してみたわけです。

したらですね、
あるフランス帰りの人のブログ記事にぶち当たりまして、
これが興味深い内容でした。


>色々と若者の反発を見ていると、精神的に焦って、
「俺をもっと愛してくれ!」「私がつらいってことわかってよ!」
と言っているようにしか見えない。
「だれか、大丈夫だと言ってくれ!」という叫び。

>(略)「自分がなんだかわらない(原文ママ)」「自分がこのまま幸せじゃない」という不安が根にある。

>私にも、そういう時期が長いことあったし、フランスにまで来なければ「自分」っていうのが実は「なんでもない人間」というシンプルな事実を理解することができなかった。

>今は、そういう焦燥感というのは、ない。
自分が何なのかなんていうのは、
自分の中に見つけることなどできないとわかったから。

>「自分」は、相手の中にいる。
関わった人ひとりひとりの中に生まれる私に対する感情とか反発とか、癒しとか、そういうものが、わたしを創って行ってくれるから、
わたしは関わる人全てに創ってもらっている。


こんなつまみ食いみたいなコピペしたらこの書き手さんに申し訳ないのだけど・・・
全文コピペするわけにもいかないので、ご紹介までに。

勝手にコピペして紹介までしたら悪いかな・・・。


(※2017年1月追記:2012年当時、引用ブログのアドレスを紹介していましたが、現在、どこかのサーバーの広告ページに飛ぶようになってしまっているので、削除致しました)


※2017年4月追記:
・・・と2012年の12月に書きましたが、2017年4月現在、
そうかなぁ?と思ってます。

確かに、普通の意味での「自分」には実は内実はなくて、
他者への反応の集合体に過ぎないのですが、
「自分」を自分の中に見つけることはできない?

うん、この人はそういう納得の仕方で
多分それまでの人生より良い人生になったと感じているのだろうから、
それはそれで良いのですが、
これを全ての人の真実だと言っていいのかなぁ?と今のまかろんは思うのです。

すぴりちゅあるはとかく、こういう話が好きなんですよね、
「あなた」を否定するような話が。

でもね。

それは、社会が、あなたを虐げてきた社会が、人々に言ってることと
実は同じではないですか?

すぴりちゅあるは、社会一般の物の見方と違う見方をして、
あなたを縛って虐げる社会で生きる苦しみから逃れたい、
ってことで皆さまは勉強されてるんですよね。

で、自分は無だ、とか人の罪を赦せ、とか全てを受け入れろとかやってるわけですが。

それ、全然、社会一般や親があなたに押し付けてきたことと変わらないですよ。

あなたは自分を充分「否定」できていないから不幸な状態のままでいるのだ、
とお思いかもしれませんが、
あなたは充分、ご自分を否定して生きてこられていると思います。
子供のころから。

むしろ、子供のころから「自分」の芽を摘み取られてきて、
そもそも「自分」を感じることもできない状態なのではないでしょうか。

ほとんどの方は「自分」を捨てなきゃ云々以前に、
そもそも「自分」というものを手にしたことがないのではないかと思うのです。

個人的には、すぴりちゅあるとは、
わたしが「自分」と出会うことを赦すこと、
わたしが「自分であるわたし」を生きること、そして、
あなたがあなたの「自分」と出会うことを応援すること、
だと思っています。

それは、人の罪を赦したり受け入れたりすることとは関係ないと思います。
まあ、「自分」として生きるついでにそうなることはあるかもしれませんが。

まかろんはまだ道の途中です。
謙遜でなく、ほんとに今、自分の課題と格闘中です。

だから、いま書いたことも間違いかもしれませんが・・・

あなたが「自分」と出会うこと、その「自分」で生きることを願っています。


それが、世界平和の第一歩だと思うのです。


2010年11月6日ついったー投稿 <修正>「ワタシハ キカイ」

何を言っても許される
そう振舞う人がいる 
いつ何を要求しても
相手はただ応えるのが当然だと 
オフィスの隅のコピー機のような 
感情なき機械のように 
ワタシハこぴーキ

話しかける時は命令か文句 
自分の用こそ最優先と 
朝から晩まで思いつくまま 
横のものを縦にするにも 人を呼び 
いつでもそこに控えていると期待する 
台所の隅の冷蔵庫のような 
物言わぬ機械のように 
ワタシハレイゾウコ

それでも時にはまだ足りぬと 
言わぬ意を汲まぬと またなじる 
ワタシハ・・・

心を殺して 殺して 
それが貴方の望みなら 
身体も殺してしまいましょう

貴方の心に映る私のように 
小さく小さく小さくなって 
儚く空気に溶けてしまったら 
要らない私のいない 
この世は少しはましになって 

私は 
わずかばかり綺麗になった世界を 
透明な風となって 
吹き抜けてゆくでしょう


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「夜明けの空」 (# 188)

2012-12-03 21:49:20 | お茶菓詩 (読み切りサイズ♪)
ども、お今晩は~。


12月です。

Xmasですよっ。

いよいよXmasシーズンがやってまいりました、
キーボードを打つ手にも力入ります、
皆さまいかがお過ごしですか。

Xmasってどうしてこう、気持ちがキラキラするんでしょうねぇ。
ハロウィンの時に、ちょっとハロウィン冷遇されてない?って書きましたけど、
うん、正直言うと、気持ちは分かる。


という話とは関係なく、新たな冬の始まりに。
本日はこんな茶菓子を。


2010年12月9日ついったー投稿 <修正> 「夜明けの空」

夜明け前に目が覚めた 
窓の外は明けようとする空が美しくて 
僕は思わず見入ってしまった 
でもあまりに早い時間なので 
部屋の暗さを払おうと 電気を点けた
それから 
空はどうなったかなと 外を見ると 
窓ガラスの反射で 
空はさっきほど きれいには見えなかった

電気も点けない部屋の中は 
墓の底のように 冷たく暗く 
何もできない その重さに 
押しつぶされそうだったけど 
その暗さがこんなにも 
美しい朝を与えてくれてるのだと 
分かった

僕らの一日は 
そんなふうに 始まっている


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※変更:2016年4月23日
墓の底のように暗くて → 墓の底のように 冷たく暗く

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