というわけで。
後書きでございます。
読んで下さった皆さま、今までありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
ここからは2014年当時の書き手の勝手な独り言です・・・
この話は、すぴりちゅある的「正確さ」にこだわって作りました。
最初からそんなつもりで書いてたわけではないのですが、
まあ、そうなっちゃってたです。
今までだったら、
神秘体験しました!世界は救われました!で話を終わらせてたでしょう。
でも。
それでホントに我々は救われてるのか?
と、まかろんは思ったのです。
すぴの大家の本読んだり講演会行ったりして。
“なんか救われた気”がして。
でも、そこから日常に戻ると。
相変わらず何も解決してない日常、
相変わらず自分を痛めつける日常が待っていて。
結局、何も救われてない。
そして、すぴの大家は壇上から涼しげに
「全ては救われている」とか言ってて。
それを信じなきゃ、と思いつつ、全然分からない自分に歯がみして。
目の前に「分かっている」らしき人がいるのに、自分には手も足も出ない、
そんな徒労感。
そしてまたつまらない、自尊心が痛めつけられるばかりの毎日。
なので。
まかろんは、全然救われた人間じゃないです、でも。
せめて、そのギャップを埋める何かを伝えられたら、と思いました。
すぴの大家から見たら稚拙かもしれない、間違ってるかもしれない。
でも、上から綺麗事言うだけではなく、
もう少し、この目の前の毎日を生きやすくする、
この苦しみばかり見えちゃう日常の中でも
もう少し本当に、皆さまの「大丈夫」を見え易くするような、
そんな手助けになるものを、と願って作りました。
だから、簡単に綺麗事言って、あー救われた!ではなく、
そんな綺麗事言ったって普通絶対こう思う、こう反応する、
それでも救われる道はあるのか?
とこだわってこだわってこだわって、書いた、つもりです。
まだまだ皆さまの苦しみに対して未熟な作品ですが、
どこかしら役に立つと嬉しいです。
それと。
すぴなんか全然興味ないよ!という方も。
すぴを学んでいようがいまいが、どんな人でも、
桜には不思議な気持ちを感じるでしょう。
不思議と和やかになる、なんか心浮き立ち新しい明日に向かいたくなる。
でも、桜は残念なことに一年の内、
ほんのわずかな時しか咲いていないのです。
いくら写真に撮っても。携帯に入れても。花びらを家に持って帰っても。
すぐにその「桜らしさ」は色あせ消えていってしまう。
だから、そんな貴方に。
まかろんは消えない桜をご提供したかったのです。
まあ、何を言ってもただの自己満足、
まかろんが願う通りに皆さまが受け取る必要はどこにもありません。
今ちょっと出しがら状態で、次が全然思いつかない困った状態なので、
次のお約束はできませんが。
もし皆さまがまかろんの作品で何かを受け取れたなら。
またそうできますように、とまかろんは願っています―――
その日まで。
ごきげんよう。
愛する皆さまへ。
※2018年8月追記:
ども、まかろんです。
この作品を書いた当時2014年には、
まかろんはスピリチュアルを“信じて”いました。
“すぴの大家から見たら稚拙かもしれない、間違ってるかもしれない”
“もう少し、この目の前の毎日を生きやすくする”
これがこの当時のまかろんの、スピリチュアルへの考え方でした。
個人的にはこれは間違っていた、と思います。
スピリチュアルは、“もう少し毎日を生きやすくする”程度の
砂糖菓子な目的のためにあるんじゃない。
そんなだから何にも“救われない”んだよ!と思いますし、
そういう薄い考えだったから、物語の切り込み方も浅かったです。
ごめんなさい。
でも、当茶菓子の後半部分はやっぱり今でも大好きだし、
ここで書いた意気込みも拙かったけど、今と同じです。
薄っぺらなお綺麗事で苦しんでいる皆さまに、
違うよ!と言ってあげたい。
そういう今だってまかろんは、
お綺麗事の膜にちょっと切れ込みを入れることができただけで、
皆さまの苦しみに本当に手を伸ばすにはまだまだです。
それでも2014年のこの頃と、志は同じだから。
だから先に書いた後書きもこのまま残しちゃいました。
あとそう、“消えない桜”をね、お届けしたい。
それが“物語”の良いところですよね。
まかろんはやっぱり“物語”るのが大好きです・・・
誰もこんな後書き読まないだろうけど・・・
ネットの海の片隅から、皆さまに祈りを捧げます・・・
いつかもっと強くて、だけどウキウキワクワクするような。
そんな“物語”をもって戻ってきます。
愛する皆さまに。
人気ブログランキング ← ナヲキさん、新しいケーキ作れたかな。
後書きでございます。
読んで下さった皆さま、今までありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
ここからは2014年当時の書き手の勝手な独り言です・・・
この話は、すぴりちゅある的「正確さ」にこだわって作りました。
最初からそんなつもりで書いてたわけではないのですが、
まあ、そうなっちゃってたです。
今までだったら、
神秘体験しました!世界は救われました!で話を終わらせてたでしょう。
でも。
それでホントに我々は救われてるのか?
と、まかろんは思ったのです。
すぴの大家の本読んだり講演会行ったりして。
“なんか救われた気”がして。
でも、そこから日常に戻ると。
相変わらず何も解決してない日常、
相変わらず自分を痛めつける日常が待っていて。
結局、何も救われてない。
そして、すぴの大家は壇上から涼しげに
「全ては救われている」とか言ってて。
それを信じなきゃ、と思いつつ、全然分からない自分に歯がみして。
目の前に「分かっている」らしき人がいるのに、自分には手も足も出ない、
そんな徒労感。
そしてまたつまらない、自尊心が痛めつけられるばかりの毎日。
なので。
まかろんは、全然救われた人間じゃないです、でも。
せめて、そのギャップを埋める何かを伝えられたら、と思いました。
すぴの大家から見たら稚拙かもしれない、間違ってるかもしれない。
でも、上から綺麗事言うだけではなく、
もう少し、この目の前の毎日を生きやすくする、
この苦しみばかり見えちゃう日常の中でも
もう少し本当に、皆さまの「大丈夫」を見え易くするような、
そんな手助けになるものを、と願って作りました。
だから、簡単に綺麗事言って、あー救われた!ではなく、
そんな綺麗事言ったって普通絶対こう思う、こう反応する、
それでも救われる道はあるのか?
とこだわってこだわってこだわって、書いた、つもりです。
まだまだ皆さまの苦しみに対して未熟な作品ですが、
どこかしら役に立つと嬉しいです。
それと。
すぴなんか全然興味ないよ!という方も。
すぴを学んでいようがいまいが、どんな人でも、
桜には不思議な気持ちを感じるでしょう。
不思議と和やかになる、なんか心浮き立ち新しい明日に向かいたくなる。
でも、桜は残念なことに一年の内、
ほんのわずかな時しか咲いていないのです。
いくら写真に撮っても。携帯に入れても。花びらを家に持って帰っても。
すぐにその「桜らしさ」は色あせ消えていってしまう。
だから、そんな貴方に。
まかろんは消えない桜をご提供したかったのです。
まあ、何を言ってもただの自己満足、
まかろんが願う通りに皆さまが受け取る必要はどこにもありません。
今ちょっと出しがら状態で、次が全然思いつかない困った状態なので、
次のお約束はできませんが。
もし皆さまがまかろんの作品で何かを受け取れたなら。
またそうできますように、とまかろんは願っています―――
その日まで。
ごきげんよう。
愛する皆さまへ。
※2018年8月追記:
ども、まかろんです。
この作品を書いた当時2014年には、
まかろんはスピリチュアルを“信じて”いました。
“すぴの大家から見たら稚拙かもしれない、間違ってるかもしれない”
“もう少し、この目の前の毎日を生きやすくする”
これがこの当時のまかろんの、スピリチュアルへの考え方でした。
個人的にはこれは間違っていた、と思います。
スピリチュアルは、“もう少し毎日を生きやすくする”程度の
砂糖菓子な目的のためにあるんじゃない。
そんなだから何にも“救われない”んだよ!と思いますし、
そういう薄い考えだったから、物語の切り込み方も浅かったです。
ごめんなさい。
でも、当茶菓子の後半部分はやっぱり今でも大好きだし、
ここで書いた意気込みも拙かったけど、今と同じです。
薄っぺらなお綺麗事で苦しんでいる皆さまに、
違うよ!と言ってあげたい。
そういう今だってまかろんは、
お綺麗事の膜にちょっと切れ込みを入れることができただけで、
皆さまの苦しみに本当に手を伸ばすにはまだまだです。
それでも2014年のこの頃と、志は同じだから。
だから先に書いた後書きもこのまま残しちゃいました。
あとそう、“消えない桜”をね、お届けしたい。
それが“物語”の良いところですよね。
まかろんはやっぱり“物語”るのが大好きです・・・
誰もこんな後書き読まないだろうけど・・・
ネットの海の片隅から、皆さまに祈りを捧げます・・・
いつかもっと強くて、だけどウキウキワクワクするような。
そんな“物語”をもって戻ってきます。
愛する皆さまに。
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