M*log

  

昼下がりの恥辱事件

2006-10-02 | ●Reading ・・

(タイトルに誘われた方は、内容文が相当しないことを予めご了承下さい)


読書の秋。

読書は昔から好き。でも最近本を全然読んでないことに気付いた。

今、気になってるのは、トルーマン・カポーティの『冷血』。
けっこう前に出されたものだけど、読みたい! と思った。

こういう、ズーンと深く重くきそうなのを読みたくなる秋。
毒書の秋。


―子供の頃、お母さんに「これを理解して読めるようになったら大人だ」
 なんて言われて、試されるように(?)買ってもらった『星の王子さま』

早く大人になりたくて、認めてもらいたくて、まだ読めない漢字ばかりの頃から
内容が理解できるようになるまで、何度も何度も繰り返し読んだ記憶がある。

実際、内容が理解できるようになってから読むよりも
想像力いっぱいの小さな頃の方が、王子様の最後も現実的に考えなかったし
素敵な物語だと思った記憶があるけど
大人になって、理屈っぽく考えながら読むと、とてもかなしいお話なのかも・・
と思うようになった。

これが母の言っていたゆえんなのだろうか。

それ以来、本を読むのが好きになって、母の書庫からちょこちょこ本を
引っ張り出して読むようになった。

シェークスピア・ドストエフスキー・モーパッサン・パールバック・・・
ほとんど海外文学。
自分でも図書館で借りたり、買ったりして読むようになってた。

モーパッサンの『女の一生』を読んだのは、中学1年生だったかな・・・
読み進めていくうち心臓がドキドキして、読み終わったあと確かひどく
鬱になった。

リアルにありえそうなドロドロな情事に、末恐ろしさを感じた。

「鉄拳の、こんな女の一生はいやだ」ってな災難が次々と主人公に降りかかり
鬱になる。

「大人って・・・大人って・・・!!」
おとなのふりかけのCMを思い出しちゃう。


あと、ヘッセの『車輪の下』。これもリアルにありえそう。

私の場合は、両親とも教育に全然うるさくなかったからわからないけど
厳しい親とか周囲の期待とかに押しつぶされそうになって
自由がなくて、息苦しくて・・・
まさに車輪の下敷き状態の子供って、きっとたくさんいるんだろうな。
とっても辛い思いをしてるんじゃないかな。

小学生から英語教科必須とかで忙しそうな教育社会だし。

私が中学生くらいの時代でも、クラスの子のほとんどが塾に通ってた。
み~んな学校でも塾の話ばっかで、通ってない私は当然話のなかに入って
いけなくて、疎外感。仲間はずれ?みたいな。
いじけないよう何とか自分を鼓舞しつつも、心の中では塾通いに憧れて。

お母さんに相談してみた。

でも、塾に行きたい理由が、勉学を目的としているものでないと
瞬時に見抜かれ!
そんななら行ってもムダ。と一喝。

結果としてよかったのか悪かったのか、自分の時間がたくさんあったし
好きなこと出来た。
そういうのって、子供にとって大切だと思う。適度には、ね。

私は決して成績の良い方ではなかったけど、まぁそれなりに、無難な感じだった。
いちばん楽しい時期に勉強漬けなんて、あたしだったら潰れてただろうなあ。

『車輪の下』は、大人に問いかける。

特に、子供を自分の思い通りにしたいとか、学歴や経歴がすべてとか
考えてる大人がこれを読むと、思うところがあるんじゃないかな。


・・・ん~でもやっぱり、教育っていうのは大事だよね。
ほんと、自分の好きなことばっかりやって極端に勉強しなかったら
それはもう、ヤヴァイ大人まっしぐら。

教育っていうか・・・まず子供に対して最低限のしつけは必要だと思う!

最近すごくそのことについて思った出来事があった・・・。


告白します。

な、なんとわたくし・・・。
               
・・・この前バスの中で、はずかしめをうけてしまいました・・・

ちょっと、ドキドキしちゃう出だし。

でもそっち系(?)ではないワケで。


その日私は、体調が悪くて仕事を早退した。
昼下がり、よぼよぼ歩きでなんとかバス停までたどり着く。

その、帰宅途中のバスの車内で、事件は起きた。

バスに乗り、とりあえず席をgetして、グターと座っていると
途中、幼稚園の年長位の男の子と、私より若い感じのお母さんが乗ってきた。
そして、私のすぐ後ろの席に座った。

このとき、男の子の手に、画用紙を丸めたような『紙筒』を確認。

・・・いやな予感がします。

・・・何かが起こりそうな予感がします。


そして、その予感は的中。

男の子は手に持ってた『紙筒』で、私の頭を軽快にポンポン叩き始めた!

・・・まぬけです。非常にまぬけな絵づらです!
悲壮感すらただよっています。

対照的に、男の子は楽しそうです。

とても楽しそうです。

シーンと静まり返ったバスのなか、紙筒が頭に当たることで発生する
まぬけな音で一定のリズムが刻まれる。

他の乗客も心配そうに私を見てる。

・・・でも、だいじょうぶ。
そうよ、隣にいるお母さんがすぐにも止めに入ってくれるわ!

そうに決まってる!

そしたらアタシ、満面の笑みで「ウフフ、いいんですよッ♡」ってキメちゃったりなんかして。
まぁ、なんてステキなお姉さんでしょう♡

あたしはお母さんを信じて、辱めに耐え、その時を待った。

・・・。
・・・。

・・・?

えっと、お母さん?

当初の予定より長い間叩かれてますが。

鼻歌のリズムに合わせて叩かれてますが

・・・。
・・・。

・・・!

こらえきれず、ひかえめにチラッと振り向いてみた。

ここでやっとお母さん出ました。

「お姉さん怒ってるでしょ、やめなさい」

・・・。
・・・・・・。
・・・・・・???

えっと??

私、基準??

お姉さんが怒るからやめなさい?? 
それって違わない??

お母さん、何か違ってる気がするヨ・・・

(しかも別に怒って振り向いたわけじゃないないのに・・・)
(え?振り向きざまに鬼の形相してたとか?それちょっと気になるヨ)


とりあえず、自分の子供が他人様の頭を、紙筒なんかで叩いたりなんかしたら
お詫びして⇒子供を叱る って流れが基本じゃぁないでしょうか。

そういうこと自体がよくないことだって、子供にわからせなきゃだめだと思う。

結局その子は、叩くのをやめたけど、きっと「お姉さんが怒るからやめなきゃ」
って思ったんじゃないだろうか。
お姉さんが怒らないなら、いくらでもやっていいなんてことはないのに。

この時の正しい注意が、この子の今後につながっていくはずなのに・・・。
なんだか、かわいそうに思った。

・・・子供に罪はないよね。


叱りすぎるのもよくないけど、逆もまた然り。
バランスって難しい。


・・・結局、叩かれ損なあたし。


『冷血』 読もう。いやなんとなく。