波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

近代日本の動乱期における経済舵取り能力

2005-08-22 23:22:46 | 雑感
 最近,地下鉄乗車の読み物として,幕末の幕臣であった川路聖謨(かわじ としあきら)が渡英中の孫に出した便りをまとめた『東洋金鴻』(平凡社東洋文庫 343)を再び読むようになり,大政奉還等が登場する慶応三年末頃のところまで来た.此の日々の日記をまとめた形の便りの中には,当時の江戸情勢がそれなりに書きとめられていて,明治維新の前年の慶応三年になると様々な治安悪化の例(強盗・殺人)が書かれている.また,当該日記が始まった前年の慶応二年より,諸色高直(しょしきこうじき),即ち諸物価高騰による日々の生活の遣り繰りの厳しさが度々触れられている.この幕末の物価高騰の件を読んでいて思い出したのが,先週,太田述正氏の網站の掲示板上で日米関係史をめぐる太田氏と一読者の遣り取りだった.当該一読者の述べていた内容から判断すると,この読者は開国をめぐる経緯について今日の通俗的解釈で終わっているというか,昨年出版された加藤祐三氏による『幕末外交と開国』は勿論のこと,佐藤雅美氏の『大君の通貨 幕末「円ドル」戦争』(文春文庫2003年)や『開国 愚直の宰相・堀田正睦』(講談社文庫1997年)なども捲ったことがないのではないか,と思われた.此処にも,明治新政府が残した煙幕としての幕末正史=歴史解釈(江戸幕府のやったことは全て失敗)が,現代の我々が幕末維新の実像に迫ることを妨げていることが分かる.
 それにしても,近代以降の日本にとって為替政策というのは鬼門というか,間違った政策選択によりその時々の国家基盤に致命傷を与えてきたのではないだろうか.事の起こりが,1858年の日米修好通商条約締結の際,金銀交換比率決定における大失策が金の海外流出を招いただけでなく江戸幕府の財源を枯渇させて幕府の瓦解を招いたことで,次に思い出すのが,昭和5(1930)年の金解禁も前年米国で始まった大恐慌の荒波を被ったため大量の金が日本から海外へ流出し,日本を不況のどん底に陥れた.昭和46(1971)年の弗震驚の際の日本政府の為替対策も疑問だが,1985年から始まる円高誘導による日米貿易摩擦の解決も後世の識者は疑問符をつけるに違いないだろう.勿論,後者の場合は,日銀の金融政策の大失策の方に経済停滞の直接の責任があると思われるが.このように眺めていると,世界第二の経済大国とは言いながら,経済政策の舵取り能力の真価が問われる動乱期において此のような失策を続出させていることから判断すると,日本の経済舵取り能力は,その経済の規模と比較して,余り高くないということになるだろうか.
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