医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

正月の風景はすでに終わっている

2007-01-07 23:15:05 | 日記
正月はどこも混んでいた。車も沢山、しかしこの田舎の県でみなが行くのは大概大きなショッピングセンターか大企業のファミレス・居酒屋。なんだか喜ばしい光景とはいえない。正月早々からこんな場所にくるしかないのかと思うと。確かに驚くことに(それはずっと京都にいたからかもしれないが)まず個人商店が開いていない。やっている店は全てチェーン店だけである。どこの店も国道沿いにあって、車でないといけない。そう、もはやわれわれは国道沿いのチェーン店くらいしか行き場がないということである。もちろんそうなるとそのあたりは渋滞している。駐車場もいっぱいである。住宅地は閑散としていてさびしい場所である。なんだか私の知っているものとは大きく違う光景。ここ数年格差社会と言われてきた。実はその原因のいくつかがこの光景にあると思うのだ。2つだけ挙げておこう。

1つ目は「便利にはそれなりに金が必要で、その利便システムに乗ってしまうとお金なしに機能を果たさなくなる」ということである。1例を挙げれば、田舎町に認める車社会は街の形相を一変させた。昔は住宅街のいたるところに個人経営の商店があったはずである。ところが車という簡単に遠隔移動できる装置が普及すると、今度は車による移動を中心とした街づくりがなされてしまう。ここにはトリックがあって、車での移動の普及は効率的な大店舗の経営を可能にする。国道沿いのチェーン大店舗の登場である。ひとつの場所であらゆるものが買える総合店舗は確かに効率的な買い物が可能である。そうなると地元の個人商店は倒産し、店舗の偏在空洞化が進んでしまう。いまや田舎の中規模都市は車なしに生活ができなくなり、全ての市民がこの金食い虫を一家に1台以上飼う羽目になってしまったのである。結局その挙句生まれたのは渋滞だけなのである。

もう1つに、われわれの大規模チェーン店思考はそのまま大会社の利益につながり、個人店舗の敬遠はそのまま個人収入の減少を生んでいるということです。これは当たり前のことなのですが、格差社会を非難する市民達はそのことがわかっているのでしょうか?おそらくは便利で品揃えがよく、安いからという理由でダイエーとドンキホーテに買い物に行き、ユニクロで服を買い、コンビニとチェーンファミレス・居酒屋で食事を済ませるのではないでしょうか。どう考えても今の格差社会はわれわれ自身が招いたものです。その意識がない限り大企業と個人所得格差は開いてゆくと思われます。個人への所得の回復は個人へ直接支払わねば起こりえません。今こそ個人店舗を見直す時がきています。皆は個人店舗の商品の品数の悪さや回転の悪さを指摘するのでしょう。しかし店主も本当にいいものをチェックして売ればいいのです。現代社会において、その溢れんばかりの品数は消費者を混乱させています。それは安くて品の悪い大量生産品を売るトリックにすぎません。プロはきちんと選別すべきです。が、いずれにしても品揃え云々にかかわらず個人への還元は結局個人所得を増やすことの利点がはるかに重要ではないでしょうか。

これがいわゆる街の活性化ということです。街づくりに大規模店舗を入れたり、総合施設を作ったりするのははっきりいってまったく逆の結果を生むのみです。いっておきますが私はこれで医療の話もしてしまいました。