医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

今年一年何をやってきたのか反省する会

2005-02-06 00:47:19 | 日記
私が去年受けた国家試験の過去問を遂にやってみた。これをやるからにはある程度の自信というかやるだけやったかなという自覚あっていどんだわけだが。結果は・・・去年より少しよかったくらい。ちょっと愕然とした。私はこの1年何をやってきたのか。同じように頑張ってきた同じ浪人生仲間2人は結構余裕を持って受けれる位置にいるというのに。
(注・・・国家試験の過去問と言っても問題は持ち帰れないため市販されているものは復元問題にすぎない。私はメディックスメディア社のものをやったのだがこれほどまでに私が記憶しているものと内容が違っているとは思わなかった。復元などといいながら当てにしてはいけない。)

さらに言い訳させてもらうと私はセンター試験なるものも非常に苦手であった。確か大学入試でも足切り3点上で2次試験を受けられる点数だった事を覚えている。ここまで私の行くべき道を阻む試験に対して何故に上手く対策できなかったのか、微妙に振り返ることにした。誰かにも指摘されたが私は問題を解くのが異様に早いようだ。確かに3日(計約1100分!)かかってやる試験を私は昼から始めれば休み休みやってその日のうちに終えてしまう。たぶん3分の1くらいの時間でやっているのだろう。一つには非常に馬鹿にしているところがある。ここの読者ならもうおわかりだろうが、この試験形式だけならいざ知らず現代医療のあり方にまでちょっとしたしらけ感がただよっている。こんな問題を真剣にやってられるか、と思っているわけでミスは非常に多い。もう一つ言えるのは真剣に考えた時にむかつく問題があまりに多いからである。「アルコール乱用患者に対してするべきことは? 答:断酒会をすすめる」「職場の健康診断で~~。 では生活習慣の指導で適切なものは? 答:禁煙のすすめ」といった余計なお世話な問題から目の前にあるガイドラインで調べたらそのうち覚えるやろ、みたいなものから使いもしない検査の問題から一生に一度も見もしない病気の問題から、妊婦から発見された子宮癌の治療をどうするか、というのを妊婦さんに相談することもなしに勝手にこっちで子宮全摘するような問題まで。いちいちこういう問題を真剣に考え出すと次々と思考が明後日の方向に向かうので私はテンポよく選択枝を見、該当しそうなところだけを一瞥し直感で答える事にしている。様は試験中何も考えていない。ただそのテンポよさを楽しんでいるだけである。これはこれでそんなに悪くはないのだが、さすがに見落としも多い。それは私の直感力がまだまだ未熟なだけでそこは大きな反省材料なのである。(それにしてもテンポというのは非常に重要な概念で私はそこをきちんと磨いていけば実は逆に見落としやミスは絶対に減ると思っている。人生においてもテンポがいい時は非常に気分もよくいい状態を保っているが、大概うまくいっていない時は非常にテンポの悪い生活を送っているものだ。私が海外旅行をすると毎朝早起き早寝でき、腹痛も起こらずすがすがしい気持ちでいられるのは何かしらテンポと環境のからみがあると思うのだが。)

もう一つ、現代医療のあり方だけならいざ知らず、私は現代医療の理論そのものにもしらけている。これはそうとうぶっちゃけて書いているので私を知っている何人かの人達にはちょっと衝撃だったかもしれない。あれだけ勉強会や感染症をやっていたのだから。医療、科学という現代最強の宗教のお勉強は確かに大切なことだったと思う。が、私は無宗教であり、いや、どちらかと言うと多宗教でありたいのだ。目の前の人を相手に科学の言語が通じるならそれをつかえば良いし、通じないのなら別のツールが必要なだけだ。これに関しては私の大好きな作家玄侑宗久氏も同じ視点でおっしゃられておりびっくりした。彼は科学の言葉を使い、ある時は相対性理論などを交え仏の道を教える手法をつかってらっしゃるのである。その方が納得される方が増えているからであり、あくまで「とりあえず」である。何せ科学は「因果」であり仏教は「縁」という全く座標軸の相反する世界なのだから。

まぁ以上の理由で私は国家試験勉強ばかりか実は現代医療自体それほど真剣に勉強する気がないのではないか、という恐ろしい結論を導き出してしまったわけで。でも本当の理由はもっと別のところにあるんですよ。きっと。ヒントは私の頭の構造が自分の部屋と同じだからってことです。そしてそのおかげで突拍子もないアイデアが出たりする事もあるのだろうなと。

私のために神社まで出向いて下さった方々、本当にありがとう。なんだかんだ書きましたがおかげでしばらくは勉強必死になれます。みんなあっての自分だとまた実感しています。今年の合格も相当危ういところにいるのですが今回はみんなの思いの分、合格をひねり出さねばなりません。そういう熱い思いを焚き付けられ、さらに勉強にドライブがかかります。