どうしてこうも私は「炎」に焚き付けられるのだろう。私の中での京都3大火祭りの一つでもある吉田の節分祭が今年も行われた。(これを火祭りに入れる人はいないか)毎年欠かさず行く事にしており、色々と思い出深いイベントである。ここの特徴は何と言っても火柱の規模であんな狭い場所にあまりに大きな火柱が立つのでびっくりしてしまう。
11時から点灯するのだがおそらく終電の関係上30分ほどで大勢いた観客は激減する。ここからが本番である。火柱を前にじっとたたずむのである。放射熱ははっきり言って熱いのだが耐える。するとだんだん自分の周辺が焼け焦げて剥がれ落ちてゆく感覚に見舞われるのである。ジリジリと音を立てながら。あれだけの炎を間近にたたずめるチャンスは他ではそうそうない、貴重な時間なのである。そしてその炎をぼぉっと見ていると夜の空に白いけむりがすーっと上がっていくのが見える。その時いつも私の中に沸き起こってくるのはとある懐かしき感覚なのである。しかもおそらく経験などしたこともない。
あの白きけむりが暗黒の空に上がっていきすーっと消えてゆく感覚はいつもとあるエピソードを思い出させる。もちろん直接見たことなどないのだが、マハトマ・ガンジーの火葬の風景である。(アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真や映画「ガンジー」など参照)煉瓦で組んだ白檀の薪の山に安置されたガンジーは確か36時間燃えつづけたそうだ。吉田の炎を見ていると何故かしら「喪」というものが非常にしっくりと、すとんと身体におちてゆくのだ。燃え逝く揺れ動く炎、感じる熱、登ってゆき天空ですっと消えるけむり、そして消えてゆく炎。何故この様な事を強く感じるかと言えばこれは私の見た葬儀と大いに関係がある。そして同じように考えている方がいて、それを明確に表現してくださったおかげでさらに強いものとなったのだ。
一昨年祖母がなくなった。その時にもちろん葬儀をする訳だが、私はあの時に愕然としたのだ。茶番もいいところだ、葬儀とはこんなに酷いものだったのかと。まず気に入らないのは葬儀屋の態度である。出来るだけ滞りなく行うことだけに心を配るため表面的な儀式しか行われないのだ。そこに人間のダイナミズムなど関与する余地は全くない。そう、滞りなく行われるための装置だけがきめ細かに張り巡らされているのである。人間は簡単に催眠に流される生き物ゆえ我々は簡単にその作戦にはまっており、気がつけば淡々と、何の感情も許されず儀式は続いてゆくのである。人生の意味を考える時間も与えられず。そして極めつけは火葬のシーンである。火葬場に到着するとやはり滞りなくことを運ぶ仕組みにのっとった旅行ツアーガイドの様な人が「では何々様、こちらでございます。何番にてお待ちください」とのたまい、「ではこれで最後でございます、最期のお別れを」と言ったかと思うとベルトコンベアでさーっと釜の中に入れられる。その間「あちらの待合室にてお待ちください。珈琲、紅茶はご自由にお飲みくださって結構です」とこれまた物事の本質から出来るだけ遠ざけようと仕組まれた見事な会話で案内される。驚くべきはそこの部屋では親戚一同何故な何事もなかったかのように平生を装い当り障りのない会話に終始した事だった。えもいわれぬ違和感とむかつきを覚えていたのが自分だけでないと信じてはいるのだが。そして最期はお骨を拾ってハイ終了。しかもあとで知ったのだが、今の火葬場の火葬は間違っても火葬と呼べるものではなく、コンピューターによって「効率よく完全に焼却しつつも、骨だけがきっちり残るように」完全に制御されたスチームのような炎で蒸し焼きに似た焼き方をされているようである。本当にこんなんでいいのか?
そこには人の死を、喪を身体に染み込ませる仕組みなど一つもない。あるのはただただ効率と、安全のためのうわっつらだけのやりとりだけである。今の火葬場ははっきり言って「物理的処理場」にすぎない。そこには「お別れする」という感覚経験が一つも考慮されていない。そして皮肉にも吉田の火祭りや五山の送り火でそれを微妙に体感してしまうのはどういうわけなのだろう。ガンジーの葬儀の時あつまった30万の人たちは「お別れ」の感覚経験と共に自分が大きく変わってゆくダイナミズムを経験していたのではないか。おそらくあの葬儀は綿密にそれらを計算(それは伝統的に無意識的に)されていたがためにさらに高められたであろうが、葬儀というものはそういうものではなかったのか。いつから「死んだ」ということを認知するだけの場になってしまったのだろう。そしてもう一つ、今の医療の枠内ではどんなにあがいても死の認知を超えることはできない。何故なら医療は「認知」が主体の学問だからである。
11時から点灯するのだがおそらく終電の関係上30分ほどで大勢いた観客は激減する。ここからが本番である。火柱を前にじっとたたずむのである。放射熱ははっきり言って熱いのだが耐える。するとだんだん自分の周辺が焼け焦げて剥がれ落ちてゆく感覚に見舞われるのである。ジリジリと音を立てながら。あれだけの炎を間近にたたずめるチャンスは他ではそうそうない、貴重な時間なのである。そしてその炎をぼぉっと見ていると夜の空に白いけむりがすーっと上がっていくのが見える。その時いつも私の中に沸き起こってくるのはとある懐かしき感覚なのである。しかもおそらく経験などしたこともない。
あの白きけむりが暗黒の空に上がっていきすーっと消えてゆく感覚はいつもとあるエピソードを思い出させる。もちろん直接見たことなどないのだが、マハトマ・ガンジーの火葬の風景である。(アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真や映画「ガンジー」など参照)煉瓦で組んだ白檀の薪の山に安置されたガンジーは確か36時間燃えつづけたそうだ。吉田の炎を見ていると何故かしら「喪」というものが非常にしっくりと、すとんと身体におちてゆくのだ。燃え逝く揺れ動く炎、感じる熱、登ってゆき天空ですっと消えるけむり、そして消えてゆく炎。何故この様な事を強く感じるかと言えばこれは私の見た葬儀と大いに関係がある。そして同じように考えている方がいて、それを明確に表現してくださったおかげでさらに強いものとなったのだ。
一昨年祖母がなくなった。その時にもちろん葬儀をする訳だが、私はあの時に愕然としたのだ。茶番もいいところだ、葬儀とはこんなに酷いものだったのかと。まず気に入らないのは葬儀屋の態度である。出来るだけ滞りなく行うことだけに心を配るため表面的な儀式しか行われないのだ。そこに人間のダイナミズムなど関与する余地は全くない。そう、滞りなく行われるための装置だけがきめ細かに張り巡らされているのである。人間は簡単に催眠に流される生き物ゆえ我々は簡単にその作戦にはまっており、気がつけば淡々と、何の感情も許されず儀式は続いてゆくのである。人生の意味を考える時間も与えられず。そして極めつけは火葬のシーンである。火葬場に到着するとやはり滞りなくことを運ぶ仕組みにのっとった旅行ツアーガイドの様な人が「では何々様、こちらでございます。何番にてお待ちください」とのたまい、「ではこれで最後でございます、最期のお別れを」と言ったかと思うとベルトコンベアでさーっと釜の中に入れられる。その間「あちらの待合室にてお待ちください。珈琲、紅茶はご自由にお飲みくださって結構です」とこれまた物事の本質から出来るだけ遠ざけようと仕組まれた見事な会話で案内される。驚くべきはそこの部屋では親戚一同何故な何事もなかったかのように平生を装い当り障りのない会話に終始した事だった。えもいわれぬ違和感とむかつきを覚えていたのが自分だけでないと信じてはいるのだが。そして最期はお骨を拾ってハイ終了。しかもあとで知ったのだが、今の火葬場の火葬は間違っても火葬と呼べるものではなく、コンピューターによって「効率よく完全に焼却しつつも、骨だけがきっちり残るように」完全に制御されたスチームのような炎で蒸し焼きに似た焼き方をされているようである。本当にこんなんでいいのか?
そこには人の死を、喪を身体に染み込ませる仕組みなど一つもない。あるのはただただ効率と、安全のためのうわっつらだけのやりとりだけである。今の火葬場ははっきり言って「物理的処理場」にすぎない。そこには「お別れする」という感覚経験が一つも考慮されていない。そして皮肉にも吉田の火祭りや五山の送り火でそれを微妙に体感してしまうのはどういうわけなのだろう。ガンジーの葬儀の時あつまった30万の人たちは「お別れ」の感覚経験と共に自分が大きく変わってゆくダイナミズムを経験していたのではないか。おそらくあの葬儀は綿密にそれらを計算(それは伝統的に無意識的に)されていたがためにさらに高められたであろうが、葬儀というものはそういうものではなかったのか。いつから「死んだ」ということを認知するだけの場になってしまったのだろう。そしてもう一つ、今の医療の枠内ではどんなにあがいても死の認知を超えることはできない。何故なら医療は「認知」が主体の学問だからである。