Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

人のセックスを笑うな

2009-07-23 | 日本映画(は行)
★★★★☆ 2007年/日本 監督/井口奈己
「オンナの心とオトコの視点」


ずいぶん前に見たのですが、語りたいことが多くて後回しにしているうちにほぼ1年経過…。ようやくのレビューです。

さて、どこから話しましょうか。まずは、その柔らかなふわふわとした演出のトーンですね。恋愛模様だけに誰もが登場人物に感情移入して見てしまいます。私の場合、当然同年代のユリ目線で見てしまうだろうと思っていました。しかし、蓋を開けてみて愕然。全く見当はずれ。このユリって女、何とまあ嫌なオンナでしょう!「さわってみたかった」からって若い男と寝るってのは、道端で男ひっかけるのと同じですよ。結婚していることを言わないのも、大人の女としてはあまりにもアンフェア。女の風上にもおけませんね。恋愛はお互いが同じ地平に立ってこそ成立するもんです。いい年してそんなことも知らんのか。恋愛をナメんじゃねえ、アーンド調子こいてんじゃねーよってことです。みるめは一発殴っていいです。しかも、連絡先も言わずにほったらかしで海外逃亡。人は一般的にこれを「ヤリ逃げ」と言うのです。

みるめではなく猪熊さんを選んだと考えている方が多いのにも驚きです。このふたりは、同じ土俵には全く立っていませんよ。猪熊さんを取るか、みるめを取るかでユリは苦しんだりなぞ、これっぽっちもしていませんって。同年代、既婚者の私だから、若い男をさわってみたい直球の欲望も、そこからするりと逃げ去ってしまうずる賢さも手に取るようにわかるのかも知れない。ああ、イヤだイヤだ。

とまあ、ユリの良さなど微塵も感じられませんでしたが、みるめの切なさには完璧に同化しました。好きな人の本当の姿がわからない。本当の気持ちがわからない。そこでみっともなく右往左往して、どうしようもないため息をつくのは21の学生だろうが、40過ぎのオバハンだろうが全く同じ。ユリは思ったよりも早く作品からいなくなり、ラストの15分くらいはずっとみるめの傷心の姿を追いかけます。これがとても良かった。延々、失恋の余韻が続くのです。みるめくんと一緒にしみじみブロークン・ハート噛み締めました。

さて、一方。
前作「犬猫」に引き続き、面白いカットやシークエンスにあふれています。これは、入退場の映画ですね。左から右へ、右から左へ。とにかく人が入って、抜けて行く。人物が中心にいるカットでも、背景で子どもたちが左から入り、右に抜けていったり。最も印象的なのは、展覧会会場でえんちゃんがお菓子を食べるところです。左手がスクリーンの枠を出たり入ったりして、何かもぐもぐと食べています。しかし、手が動いているだけで何を食べているかは全くわかりません。そして、食べくずだけが残ったお菓子のお皿が映し出される。ラストもぐるっと車がスクリーンを一周してから退場。なかなか目を楽しませてくれます。

こうした構図の面白さは映画の一番の醍醐味だろうと思いますので、いろんなネタを提供してくれる作品には間違いありません。ただ、ちょっと心配なのはこうしたスクリーンの切り取り方が「看破される」シロモノになってしまっていることです。つまり、仕掛けの巧妙さを観客が見破ることの快感が、作品全体を味わう快感よりも、先立ってしまってはいないか、ということです。この構図の妙は井口監督のセンスだろうと思いますが、最終的に胸にドカッと刺さる作品たちって、決して「構図が面白かったね」が開口一番のセリフにはなりません。ここをどう突破していくかが、今後の井口監督の鍵になりそうな気がしています。

いずれにしろ、恋愛物語として感傷に浸らせる部分は女性観客のハートをつかみ、カットやシークエンスにおいては男性観客を語らせる。そんな両性具有的な才能を持った監督と言えるのかも知れません。次作も楽しみです。

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