Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

あの子を探して

2008-04-07 | 外国映画(あ行)
★★★☆ 1995年/中国  監督/チャン・イーモウ
「どこまで素直に受け止めていいか、わからない」


過疎の村の小学校の代用教員になった13歳の少女ウェイは、1ヶ月間生徒が誰ひとり学校を辞めなかったら50元もらえるということで、授業もそっちのけでひたすら生徒たちの監視を続けていく。そんなある日、クラスのひとりホエクーが、出稼ぎに行ってしまった。ウェイはチャンを探しに町へ赴くのだが…。

これほど、感想を書くのが難しい作品は未だかつてないかも。なぜなら、セミ・ドキュメンタリーという構成は、どこまでが現実でどこからが虚構なのか、わからなくなってしまうからだ。表向きは感動作品であり、もちろん、このまま素直に受け止めればいい。ラストの黒板のシーンなんて、とっても美しくて思わず泣けてきた。ところが、このシーンにとあるナレーションがかぶさって、一気に私の涙が止まる。それは、ウェイがテレビに出たことによって、これこれの寄付があり、そのお金をこのように使いました、と言う内容のものなのだ。

ホエクーが出稼ぎに出かけ、必至にウェイが街で彼を捜し、テレビで涙の訴えをする。それらは、私はあくまでも素人の子供たちを使った架空の物語だと思っていた。もちろん、この物語の背景である中国や抱える教育問題は事実なんだろうと思う。過疎で貧しい子供たちが直面している現実。それこそがこの作品の訴えたいことであろう。しかしながら、この物語がきちんとした脚本に基づいたものだとしたら、この寄付をした人はいっぱい食わされたということにならないだろうか。

それとも、ウェイが代用教員になったことも、ホエクーが出稼ぎに出かけたことも、事実なの?だったら、寄付の話も納得できるんだけど。本作、メイキングが出ているらしいので、この疑問もそれを見ればわかることなのかも知れない。でも、メイキングを見ないとはっきりとした感想が書けない作品って、どうも納得できない。だから、セミ・ドキュメンタリーという作風は感想が書きづらいのだ。

出てくる大人が、子供たち対して冷たい。これにしても、本当にそういう反応だったのか、それともイーモウ監督の演出なのか。どちらかによって、私の感想も変わってくる。ああ、ややこしい。

子供たちの生き生きとした様子は見ていて気持ちよかった。貧しいながらも女の子たちが来ている洋服がかわいくてね。やっぱり女の子だから赤い色の洋服が多くて、それが村の景色と相まってすごくきれいに見える。ホエクーに勉強をさせたいわけじゃなくて、ただお金が欲しいから探しに行くんだって言う動機も実に子どもらしくていいなと思う。ウェイという女の子の性格は、とても頑固なのよね。融通が効かないの。いつもぶすっとしているし。その辺は妙なヒューマニズムを持ち込んでなくて、とてもいいと思う。ラストに向けて「いい話だなあ」とじわ~んとしていただけに、なんで最後の最後になって現実に戻すようなナレーションを入れたのか、本当に合点がいかない。

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