Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

博士の愛した数式

2006-08-05 | 日本映画(は行)
★★★★ 2005年/日本 監督/小泉堯史

「人と人が信頼を関係を築くことの大切さ」



博士は80分しか記憶が持たない。だから、博士の前で不愉快な態度を取っても、一生懸命尽くしていても、いずれにしても博士は80分立てば忘れてしまうのだ。でも、家政婦の深津絵里は常に博士の前で真摯な態度でいることをつらぬく。息子には「その話は一度聞いたことがある」と決して博士の前では言わぬようにと諭し、博士が悲しい顔をせぬよう心を尽くす。おそらくそれは、人が人に対して礼儀を持って接する、という人間本来の基本的な行動なのだと思う。でも、大抵の人間には、なかなかそれができない。しかし、人が人を信頼し、尊敬を持って接するからこそかけがえのない時間や体験が生まれるのだ、ということをこの物語は伝えてくれる。

家政婦役の深津絵里が予想外に良かった。ちょっとおばさんっぽい服装で、人のいい家政婦というのを自然体で演技していたと思う。旬の女優ということで、キレイに見せようとしたり、自己主張するようなところがあれば、一気にこの映画のトーンは崩れていたと思う。

原作は既読。というわけでこの物語のおもしろさは何といっても「数学の面白さに触れる」ことである。その点は映画でも十分にその役割を果たせていたように思う。一緒に見ていた息子は吉岡秀隆演じる成長したルートの授業シーンが面白かったようで、ずっとこの授業が見ていたい、と言っていた。吉岡秀隆の演技は、どこかで見たようなつたない感じだが、今回の場合は教師に成り立ての雰囲気と上手く合っていた。まあ、何をやっても純に見えるのは間違いないのだが…。

博士と義理の姉の関係性については、原作より強調されてたんじゃないかな。それはとても良かった。朴訥で数学のことしか頭にないように見える博士が、義理の兄の奥さんを愛していた。その事実は博士のキャラクターにより人間味を加えることができた。

博士が熱を出して倒れてしまうことと、それをきっかけに解雇されてしまうことは、大きな事件なんだけども、そこを乗り越えていく、という見せ方はしないんだよね、敢えて。象徴的なのはラストシーンで大きくなったルートが博士に頭をなでてもらい、キャッチボールをする場面。それを家政婦と義理の姉が見守る。そこには疑似家族が存在する。それぞれの心の中の風景。これは「泣くための映画」なんて言い方が存在する昨今、小泉監督は敢えて泣かせないような演出を心がけたのかも知れない。ただ個人的には、原作を読んでいる時に感じた、こみ上げるような気持ちを味わいたかったというのも正直な感想。山もなく、谷もなく、ただ暖かな風を感じる映画。それはそれでアリだ。好き嫌いは別にして。

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