Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

2006-05-20 | 外国映画(は行)
★★★★★ 2001年/アメリカ 監督/ジョン・キャメロン・ミッチェル

「ミュージカル嫌いの私が、この映画だけは別格と思える」


物語をつらぬくのは「自分探し」。いかにもオーソドックスなモチーフであるが、劇中の楽曲のすばらしさ、ヘドウィグの魅力的キャラクターがとにかく際だっている。映画が始まって、速攻ギュワワ~ンと響くヘビィなギターの音色。そして、どぎついメーキャップで奇抜な衣装のヘドウィグが羽根を広げて登場。「ヘドウィグ参上!」のオープニング。もう私は開始10秒でこの映画の虜になっちゃった。

自分で企画し、ミュージカルとして育て上げた作品だけに、ジョン・キャメロン・ミッチェルは、映画の中でまさにヘドウィグとして生きている。その生々しさ、魂の叫びに心を打たれる。ロックは好きじゃないけど、唯一グラムロックだけは許せるという体質の私には、全ての楽曲がピンポイント。「オリジン・オブ・ラブ」もいいけど、私が一番好きなのは「ウィグ・イン・ア・ボックス 」。しかし、どの曲も何度聞いても飽きない。それはとてもすごいことだと思う。

ミュージカルは舞台。映画はスクリーン。いくらミュージカルが成功したからと言って、映画的に良いものが作れる保証はない。しかし、この作品は、よくもまあここまで完成度の高いものに仕上がったなあ、と感心する。トミーのコンサートを追いかける現在、そしてヘドウィグの幼少期からトミーとの離別までを描く過去、この両者が実にテンポ良く展開していく。そしてパワフルな演奏シーンが全体の流れに緩急をつけ、しかも歌詞の内容がそれぞれのエピソードを補填する。この構成は完璧なんじゃないの?

92分ってこともあるけど、終わった瞬間からまた最初から見たくなるんだよね。この中毒性は何なのだろう。ミュージカルでも「ヘドヘッド」を付けたコアなリピーターがたくさんいたってことだし、三上博史版のミュージカルでもかなりのリピーターがいた模様。でもきっと、それは音楽の力なんだろうな。ヘドウィグの激しくピュアな生き方が音楽を通じて伝えられることで、まるで自分自身の体験のように体に染みこむんだ。そしたら、次回以降音楽を聴いちゃうだけでジーンとしてくる。まるでパブロフの犬。そう考えると、音楽って偉大だな、とつくづく感じる。

かたわれ探しなど愚かなこと。自分という人間は欠けてはいない。私は私でひとつのパーフェクトな存在なのだ。そんな力強いメッセージは、男性、女性、といった性差を超えて全ての人々の心に深く突き刺さる。

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