誤嚥性肺炎で市立病院に運ばれてから数ヶ月。ホスピスのような病院に移った じぃちゃんに会いに
仕事を終えた午後、母を乗せて 行ってきました。
藁科川の上流は、「市内でこんなトコロがあったのか」と 驚くような田舎道で
左手には河川敷の菜の花と桜と田んぼ、右手には茶畑と山・・といった 自然豊かな1本道でした。
病院の駐車場は 桜並木が満開で、人がいないのが不思議なくらいです。
終末期医療の現場だからかな・・・。大きな病院なのに見舞い客はまばらで、静かです。
かつて。
私が高校生のとき、「おじいちゃん」と呼ばれるのが嫌で『おじさん、ね』と言った じぃちゃん。
厳格で誇り高く、いつもタバコ臭くて言葉少なで THE“昭和の男" という感じだった じぃちゃん。
近くの中学校の鉄棒で、「大車輪」を見せてくれた じぃちゃん。
かすかに見えるであろう右目で私の顔を見て 何かを喋ろうとしてくれました。
「何か、話しかけてやって」 と 母は言うけど・・・。涙が出そうで言葉に詰まってしまいました。
今は点滴だけで、飲むことも食べることも できないんだそうです。
帰りに、ふと 『お茶カフェ』 の文字を見つけて、「寄ってみるか」 というコトに。
佐藤園という会社の一角に設けられていて
無料でお茶とお菓子を振舞ってもらいました
普段、コーラしか飲まない私だけど。・・・お茶、身体に染み渡るような感じで 美味しかったです。
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そっかぁ~。りえさんのおじぃちゃん、優しかったんだ~。
私は早くできた初孫だったためか じぃちゃんの心構えができてなかったらしく…
可愛がられた覚え、ないです。
それでもやっぱり、変わり果てた姿に衝撃を受けました。
おじぃちゃん、ちゃんと目でわかってくれた合図してくれて嬉しいですね。
おじいちゃんって言葉少ないけど、雰囲気で優しさが伝わってきて、大好きだったなぁ。私は初孫だったので、すごく大事にしてもらったし、色々連れて行って貰った事、今でも覚えてます(^_^)もう亡くなって10年ぐらい経つけど…