ルイ・ロットの館

ルイ・ロットにハマった笛吹きのブログ。

Lot Journal

2011-11-28 21:34:18 | 日記
2005年にDavid and Nina Shoreyが出した " The Louis Lot Company Journals " を最近、時間を見つけては眺めています。




これには楽器の注文や修理、支払の記録などが書き記されています。

残念ながら、盗難にあったとかで?全てが残っているわけではないのですが、興味深い内容になっています。



それを「フランスの偉大なフルート製作家たち~ロット一族とゴドフロワ一族1650年~1900年」と対照しながら見て行くと

面白いことが分かったりします。





これはタファネルですが、ここでタファネルが吹いているのはドリュース・システムのGisキイを持った#600のフルートらしいのですが、

これは元々ドリュースが注文したものと記述があります。

神経痛が原因でコンセルヴァトワールで教えるのを辞めたドリュースがタファネルに譲ったものなのでしょうか?




#2104のフルートはこの「フランスの偉大なフルート製作家たち」によれば、

1875年12月30日にタファネルが注文したものとありますが、

その記録はこの「ロット・ジャーナル」には残っていません。どこからの記述なのでしょうか? 手紙でも残っていたのでしょうか?

その#2104は1890年10月8日に修理の記録が残っていますが、その依頼主はタファネルではなく他の名前が見てとれます。

タファネルが譲ったのでしょうか? それともシリアル・ナンバーの書き間違いかもしれません。


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ちょっと前にタファネルが注文したフルートが売りに出ているというので仲間内で話題になったことがありました。

この楽器です。


#4452なのですが、タファネルの名前が出て来たのはこの記述によっています。


ところがこれは価格表のNo.7の楽器なので洋銀製でしかもH足部管の楽器であり、その点では400フランという値段も合っています。

この画像の楽器はC足部管です。

この#4452は実はもう一つ記述が残っています。


これは価格表のNo.5の、銀製でC足部管の楽器です。

この画像だけでは銀の楽器か洋銀に銀メッキかは判断できかねますが、後者の記述の楽器とするのが妥当なように感じます。


これはどういうことなのでしょうか?

ロット自身が書き間違ったことも充分考えられます。

間違って2本同じ番号で作ってしまったとも。




   と、ここまで書いたらちょうどフランスの友人(この楽器屋さん)からメールが来ました。


      「おそらく#4452は2本、銀製と洋銀で銀メッキのがあったのだろう。

            でも自分のところにあったのは銀メッキの楽器だった。」


    とのことです。

    記録を見る限り、H足部管であるはず、なのですが、まあ、そこは不明です。





もうひとつ。

#401のフルートをドゥノーが購入したと前述の「フランスの偉大なフルート製作家たち」にはあるのですが、

この#401を「ロット・ジャーナル」で調べると、先ず出て来るのは、

かのアドルフ・サックスが注文したピッコロで、

ドゥノーが注文した方には番号の後に(bis)=再び、 と書いてあります。

う~~~ん どういうことなんでしょうね?

間違えて前と同じ番号を付けてしまったけど、この時はそれに気が付いたのでbisと記録しておいたのか?


#807もbisがあるし、#809もふたつ。#816もやはりふたつあり後のはbisとなっています。

それぞれ注文主も楽器も違います。

どういうことなのでしょうね?



「フランスの偉大なフルート製作家たち」にあるシリアル・ナンバーで見て行くと、注文主と後の持ち主が違うこともしばしば。

ドリュースは結構な数の楽器を注文しているのですが、誰かの代わりに注文していたものか?



読めば読む程、疑問が湧いてきます。



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現在、私の手元にあるロットでここに記録が残っているのは・・・・

どれもありません(苦笑)。



過去に持っていたものの中に3本だけ、修理の記録が残っていたり、

#126というピッコロがありましたが、

#125の記録の後を辿るとそれに違いないだろうピッコロの記録(D♭管、親指のブリチアルディ・キイなし)があるだけなのですが、

そういうのを見ると、楽器には番号を入れたのに、記録し忘れた、ということもしばしばあったのかもしれません。



1855年にロットが創業して、最初の注文は銀のキイの木管円筒管フルートでしたが、

#1、#2と続いて、修理や内金の受け取りの記録の後にロット・ジャーナルに次に出てくる番号は#14です。

その間を読んでみると番号の記述は無いものの、確かにその間を埋める数の楽器の注文を受けています。

その初期に番号が見当たらない#10も後に修理の記述に出て来るので、楽器自体には番号が入っていたということですね。




   興味深いところでは、ロンドンのルーダル・ローズ商会から2本のオーボエや、

   文字の判読が出来ないので分からないのですが、クラリネットの為の「ナントカ」の注文を受けたりもしています。

   これはロットが義父のゴドフロワと一緒に仕事をしていたときの名残なのではないかと思われます。




残っている3冊のうちの1冊目はルイ・ロット本人の時代の記録ですが、1864年、#817までの記録に留まっています。

1865年から1886年と1893年から1918年の記録が欠如しています。

盗難にあったロット・ジャーナルの中に私の#881、#981、#1800などの記録も見受けられるに違いありません。

どこのどなたが注文したものか?

気になります。



返す返すも残念でなりません。

盗んだヤツには、今からでも返却してね、と伝えたい(涙)









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2 コメント

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Unknown (tetsu)
2011-11-29 20:35:00
JournalsもGianniniも手元にありませんが、お邪魔します。
Journalsは#817までの記録が残っている、というのは初めて知りました。
欠落しているのは知っていたし、パラパラとみたとき、どこがないかみればすぐわかったはずなのですが。

今、手元にある#1001の前のオーナーは有田さんでした。有田さんは所有していただけで、管は真っ黒、パッドは膨れ上がっていて、吹ける状態ではありませんでした。
この前、ガタ取りに出したところ、オーバホールみたいな手間をかけてもらって戻ってきました。キーポストの半田付けもやり直して、全体で2,3g軽くなりました。

#1001を買ったとき、社長がJournalの話をして、「有田さんがなくなったJournalをまた作り直そうとしている。名前を載せてもいいか。」
と聞かれて、「いいですよ。」と答えてしまいました。
100年もたったら、「どこのどいつだ?」ということになるのでしょう。

ttp://launch.groups.yahoo.com/group/LouisLot/message/1027
にもJournalの話題があります。
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RE:Unknown (louislot1800)
2011-11-29 21:31:02
tetsuさん

有田さんが現存するロットの記録を残しておく、みたいな話は私も知り合いから聞いたことがありますけど、

それは「Journal」を作り直すというのとは意味合いが違いますよね。

「Journal」はあくまでもLot商会の仕事の日誌ですから。
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