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ずっと疎遠だった兄が
いつの間にか亡くなっていたと知らされて、数年が経つ
子供の頃、私の目から見てもイケメンで、無口で、几帳面で
特に母のお気に入りだった気がする
妹の私に対しても、自分から話かけるような事もなく、
兄妹と言うほど近い感じもなかった
私が小さい頃、母がよく口にしていた事は
「お兄ちゃんはおとなしくて端正な顔立ちしてて、
お前と入れ替われば良かったのに」と
その時は何も思わなかったけれど、突き詰めれば、
それは女の子にはひどい言い方だったのかも・・・(笑)
その兄が、東京で就職して結婚して子供も生まれて
無口な割に、ちゃんと生きていけるんだ・・と思っていた
月日が経って、私も人生の紆余曲折を経験している頃
同じく兄も、人生の荒波にもまれていたのだと思う
両親に対してもめったに連絡しなかったのは、おとなしい性格からなのか
自分の事で精一杯だったのか・・・
やがて、父が亡くなり、母が一人になると
母がよく口にしていた
「お前がいてくれてよかった、本当によかった」と
やがて、兄とは連絡が取れなくなり
母が亡くなっても、知らせる事が出来なかった
そして、しばらくして、兄が亡くなったというお知らせ・・・・
俳優になりそうな端正な顔立ちと、無口で雰囲気のある風情
でも、人生を淡々と生きて行くには難しかったのかもしれない
敬老の日に、実家で兄妹で、夜遅くまで話をしたと言う友人・・・
いいなぁ~家族だなぁ~・・・と思う
↓ 去年の同じ日の彼岸花・・・・今年は暑すぎて、まだ満開ではありません
出だしが「赤い花なら~曼珠沙華」と子供の時、意味も分からず歌っていた歌に似ているので、そうかな~と思いました。
彼岸花=曼珠沙華ですよね?
田舎でこの季節に一斉に開花する真っ赤な花と言えばこれしかなかったです。で、「毒があるけえ近づいてはいけん」なんて言われてました。
お兄さんハンサムだったのね。でも、兄妹となると「仲良くママゴト」とはいかなかったのね。
私は一人っ子だったので、ずーっと一人ぼっちでした。
おかあさん、さらりと「凄く傷つく発言」されたのですね、それは肉親だからでしょうね。
私の母も白内障の手術を受けて、帰宅して開口一番「まあ、あんた、老けたねえ」でしたもん(苦笑
もう田舎の家も道路の下になり、親戚も皆あの世に行き、私にとって、故郷は遠くにありて・・・になっちゃいました。
こうやって、人生は流れて行くのかなあ・・・ミソラヒバリさんの唄のように。
彼岸花のバック音楽はフリーの音楽サイトでお借りした音楽です
確かに毒があると言われていましたよね~
兄は確かにハンサムでしたが、母の、入れ替わったらいいのに
と言う言葉はずっと後に大人になってから、これは失言かも ?
なんて思っただけで、傷つくとかは全くありませんでした
だって、本当に端正な顔立ちだったのですもの(^_^;)
親子だと、色々な事を平気で口にするものです
ただ、私は子供に対しての発言は気をつけたつもり・・・ ?
でも、無意識に色々と暴言を吐いていたかもしれません(笑)