昨日、こどもがバービー人形と遊んでいる最中、私に言った。
「ママ、もうバービーと遊んでいてもつまらない。私これみんなリサイクルする」
そして自分でみんな大きなごみ袋にまとめて入れてしまった。
一番大きなプラスチックの衣装ケースいっぱいで、それでも入りきれなかったバービーアイテム。
のぞいてみたら、その箱は空っぽになっていた。
その箱がすっきりするとかなりこども部屋が片付くので助かるのだが、母親の私としてはなんとも複雑な心境だった。
ほんのちょっと遊んだおもちゃのリサイクルならあんまりこうは思わなかっただろう。
でも数年ほんとにはまって遊んできた玩具だったから。
リサイクルしやすいように、ひとつづつ取り出して、人形本体、洋服、靴やバッグなどの付属品、バービーのお家、家具、花屋さんセット、などなど別々に袋に入れて、救世軍へ持っていくために車のトランクへ運び出した。
恐るべし、人形本体はなんと22体もあった。
バービーがほとんどだが、ディズニーのプリンセス系、ブラッツ(Bratz)系も少し。
そして最後がせがまれて買った唯一の男の子。(ここ参照)
人形の一体一体がどうやって家にやってきたか、今でもありありと思い出せる。
3歳のお誕生日に頂いたのが一番はじめ。
それから外出先や旅先で「買って~買って~」とせがまれたもの、またプレゼントでいただいたもの…。
一度は欲しくて店先に座り込んで泣きべそをかかれた事もあった…。
6歳の誕生日には、手作りケーキに立てるため、たくさんあるのに新品をわざわざこっそりと買いに行ったっけ。(写真)
そしてそれでどう遊んでいたかも、ほとんど全て脳裏に焼きついている。
箱のふたで作った「車」に乗せてあっちからこっちへ動き回ったり、ウエストが超細く、お尻が大きいバービーの着替えに四苦八苦したり。
髪の毛をいじりまわしてからまりまくり、助けを求めてきたり…。
買ってすぐに持って外出した時に靴をなくしてしまい、泣かれたなあ。
一時期は中国舞のレッスンにも持参した。(5歳の頃、肩を回す動きのものに人形持参が必須だった)
クラスメイトとドレスの見せあいっこして、ひそかに張り合っていたっけ。
そう、5歳の時が一番バービー命だったかな。
ネットでも延々と遊んでいたなあ…。
バービーの洋服の手作り本を買ったのに、不器用な私は結局一度も作ってあげられなかった。とほほ。
その本はこどもの絵本代わりに活躍してくれたけど。
ここ数ヶ月で、毎日顔をつき合わせている親の私ですらびっくりするほど、こどもの顔は変わってきている。
もう確実に幼児の顔ではない。
だんだんしっかりとした、お姉さんになってきている。
もうバービーに興味がなくなるのも当然なのね。
実は夜に、胸がきゅうと締め付けられるような気分になり、家族には悪いと知りつつ不機嫌になってしまった。
そして、こどもが寝てから寝顔を見ているうちに涙が出てきてしまった。
子離れ、というか幼児期のこどもとさよならできないでうつうつするなんて私だけかもしれない。
でもほんとうに楽しかったから。今だって楽しいけど、前はもっと甘美なものがあった。
今確かに言えることは、その幼児期のこども時代に、毎日しっかりと一緒に過ごしてあげられた事、同じ目の高さで、同じ方向を一緒に見てあげられた事は本当によかったと思う。
小学校に入ってからは、毎日宿題と習い事に追われ、テレビすらも全く見られないようになってしまったが、幼稚園までの時代に、その時だからできる事、本人のやりたい事はできる限りさせてあげられてよかった。
今じゃ私が一人で外出するのも全く平気なこどもだが、幼児期はママ、ママとひっつき虫で、私がいないと大泣きするのでこども抜きで外出するのは本当に至難の業だった。わ~懐かしい~。
幼稚園年長の時に聞いた、小学生の先輩ママである、香港人の友人の力強い言葉をよく覚えている。
「幼稚園時代はね、ハネムーンの時期なのよ」
そういう時期を平和に健康に、一緒に笑って過ごせたこと、八百万の神様に感謝したい。
今では一緒に歌ったり踊ったりするよりも、ガミガミ叱っている方が多くなってしまった。
まだまだ子供ではあるけれど、最近はある意味対等に話ができるようにもなってきた。
これからも、また楽しみ。
私自身、幼児時代にリカちゃん人形で遊んだことは今でもよく覚えている。
でもうちのこどもは覚えていてくれるかな…。
この間、2歳の時にあんなにはまったはずのアンパンマンのキャラクターをすっかり忘れているのを知ってがっかりしたんだけど…。
香港の卒業シーズンは終わったばかり。
私も、「ちいさなこども」のママからは卒業だな。
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