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日々の思いを記す~タキシード・仮面~

生活しながら思った事、ニュース・テレビ・福祉などいろいろなジャンルに関して綴っていこう(^o^)

延命治療に思う

2011-03-05 20:50:23 | 


胃に穴をあけ、人生の最後をまっとうしようとしている人が増えてきた。寝たきりになって、コミュニケーションが
とれなくなっているにも関わらず穴があいていく。介護施設などでは、食事がきちんと食道を通って胃にたどりついているうちはいいが気管支の方に間違って入るようになると胃に穴をあけるように勧める。取った食事が気管支や肺などにまちがって入っていくと肺炎などかかってしまいへたをすると命まで落とすことがあるからである。

胃に穴をあけてまで長生きする必要があるのだろうか。すべての人を同じように考えることはできないにしても再考する必要が
あるような気がする。以前にも同じ内容で書いたが、一向に減る気配がない。胃に穴をあけた部分についているのは衛生的な問題から定期的に交換しないといけない。そのたびに、痛い思いをすることになる。普段は動かない手で交換を阻止しようとする人もいる。ここまでして長生きしたいと思っているだろうか。

静脈内高カロリー輸液も延命治療に挙げられると思う。旅立つ準備をしている人に対して食事が取れないからといって点滴を使って栄養を与えようとするもの。

人は食事がのどを通らなくなる前に、大半がコミュニケーションが取れなくなったり足腰が弱くなったりして日常生活がままならなくなっていると思う。
今の医療は、「心臓が動いていて呼吸している=生きている」から良いではないかという考えが根底にある。本当にそれでいいのだろうか。

スピリチュアル的に考えれば「死」というのは人生のゴール地点であり新たな世界への旅たちでもあります。ゴールしようとしている人に対して本人の望まない栄養を与えることは「まだゴールはさせないよ、生き地獄をもっと体験していって。消費経済に貢献していって」と言っているようなものだと思うのです。

草なぎ剛氏復活を期待する

2009-04-27 21:04:51 | 

いつも読んでくれている皆さんへありがとうございます。
そして初めてお寄りいただいた方へよろしくお願いします。
私の社会・政治に対する思いを中心に綴っていきます。
社会を見直し新たな時代の幕開けを目指す 自分一人ではたいしたことできないけどね

今回は政治ネタから外れます。あまりにもマスコミの報道がひどいものなので一言

草なぎ剛氏が泥酔して全裸になってしまった今回の話。あまりにも、マスメディアは異常なほどに取り上げている。
なぜここまで騒ぐ必要があるのだろうか?不思議でならない。私の周囲にいる多くの人間もそう感じている。
国民の中には、こういう事にうるさい人もいるだろうが深酒した結果であるなら誰でも起こしうる話である。
罪を憎んで人を憎まずとでも言うところか。

公園で全裸になってしまったことに対しては厳重注意というところだろうか。有名人であることを考えれば
こういうニュースが流れるだけで十分な社会的制裁を受けている。
お酒に飲まれてしまうとこういうことになるという証明になったのではないだろうか。
泥酔と言えば中川前財務大臣を思い出すが・・。

ネットを散策してみると、擁護論もある一方存在そのものを否定するようなコメントも見かける。
「代わりはいくらでもいる」とか「きもい」とか、私から言わせればこのような発言をする方の人格を
疑ってしまう。誰にでも、一生に何度か痛い目に遭遇する時がある。草なぎ剛氏は今回がそのときではないか。

彼の実力は多くの人が認めるところでしょう。だからこそ地デジのキャラクターにも採用された。
鳩山総務大臣は怒り心頭だったようだが、私から言わせればアナログ放送を廃止して地デジに強制移行させる
方が問題で。地デジが広まらなかったとしてもそれは草なぎ剛氏のせいでも何でもなく政府の責任。

それよりもこんな事で大騒ぎしている日本って世界から見たらどう見えるのだろう。平和ぼけしている国としか
見えないと思う。もっと大事な意味のない補正予算の事とか、かんぽの宿の事とか、竹中氏の証人喚問を求めるとか
いろいろ大事な事は山ほどあります。

少し冷静になってください。草なぎ剛氏には半年ぐらい養生してもらい今回のことを芸の肥やしにして
復活なさることを期待します。


ここを訪れる多くの人が、いろいろな方のブログも読んでいると思う。
多くの方が、日本はこのままでは危ないと感じて書いているはず。
でも、この危機感はネットを利用しない方には届けられない。メディアが支配されている今、
口コミで広げるしかないと思う。それぞれが、危機を感じたならば家族に、
友達に「最近、働いても働いても生活楽にならないなと思っていたら、こんな事がネットに載っていたよ」と
話をしてほしい。別に私の書いたものでなくてもいい。他に為になるサイトはいくらでもあります。
一人一人の思いを広げていきましょう。



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日本人の弱点~アメリカの日本改造計画より~

2008-08-10 17:25:48 | 

久々の投稿になる。書きたいことが無かった訳ではなかったが忙しさにかまけて遠のいていた。今回は、ウォーミングアップということで短めに。

「アメリカの日本改造計画」という本は私のお気に入りの一冊。また読み直して気に入った部分があったのでここに書いてみようと思う。多くの人が、賛同できるのではないかと思っています。佐藤優さんと関岡英之さんの対談の中で話されたことです。

内容をまとめると団体行動とチームワークは違う 日本人は団体行動は比較的得意なんだけれどもチームワークは苦手。団体行動というのは、はとバスに乗っているのと同じで「右に行け」と言われたら全員右に行けばいい。チームワークというのは、個性の違う連中を集めてお互い認め合いチーム全体で弱いところをできるだけ少なくして強いところをより伸ばすという形で実力以上の成果を出す。個人の総和では出てこないようなものを有機的にかみ合わせる事で出していくことがチームワークだと思うと述べている。

まさにその通りだと思う。前回の郵政選挙の時などは、その典型ではないだろうか。


長く生きるってことは大事なことかのかな?

2008-01-06 12:54:05 | 
今の日本は閉塞感が漂っている。このまま長生きしても幸せなことはないのではないかと思っています。

医療技術が進歩して日本は世界における長寿国となっていますが、中身の伴っている長寿国なのでしょうか?自分の意思を伝えることができて、それを尊重して生活することができる。それをできる高齢者はどれだけいるのだろうか。

私の知る多くの先輩がたは、一生懸命働き続け子どもを育て上げ年を積み重ねてきた。その後体の機能が衰え始め、認知症も出始める。人はその人なりの寿命を持っていると思う。生きる機能が衰え始めれば、自然に死へと向かい始める。

それなのに、食事が取れていないからといい高カロリーの輸液を身体に入れ無理に動かす。口から食事が取れないからといって胃に直接、穴を開けそこから流動食を流す。甘味もなにも感じない。生きている楽しみがあるのだろうかと思ってしまう。それでも、本人の意思とは関係なく長生きさせられる。本人が意思をきちんと伝えることができて、その上でエネルギーを入れてほしいと願っているのなら否定はしない。

でも、多くの高カロリーを入れられる人や胃に穴を開けられる人は、自分の意思を伝えることはできない。話かけても返事らしいものは返ってこない人が多い。

技術が悪いわけではない。それを用いる側の考え方が大事なのだと思う。この手術をすれば、それなりに自立した生活が送れるとの前提の上で一時的に高カロリーの点滴を流すのはいいだろう。でも、死の近づいた死に向かって旅を始めようとする人に向かって延命治療をするのは考え物だと思う。

子どもは親に長生きしてもらいたいと思う。しかし、親は早く向こうの世界に行きたいと願う。おじいさんやおばあさんの口にする「早く迎えにきてくれないかね」という言葉がすべてを表していると思う。

しかし、病院にいる限り治療をしないと置いてもらえない。病院も何もしないでいると経営が成り立たない。何もしなくても経営が成り立つよな制度にするしかない。そうすると、財源問題として騒がれる。

私たちは、死というものを家の中から病院に移してしまいました。昔は、家族に見守れながら自分の生活していた場所で死を迎えることができた。でも、今はそれをしようとすると虐待ととられてしまう。孤独死が増加しつつある現在、死への取り組みかたを考え直す時期がきているのではないか。先輩たちが死に向かって歩んでいく背中を子どもたちに見せ、生きることの大切さを実感させるべきではないのだろうか。

「生きる」ってどういうこと?

2007-02-25 22:09:24 | 
「私は今生きている」とよく使う「生きる」

この「生きる」とは、実際にどういう状態のことなのだろう。「生きる」とは「息を吸うこと」これは間違ってはいないと思う。でもなんか味気ないような気がする。「生きる」とは「意思の疎通を図ること」でも「寝たきりで意思の疎通が図れない」状態の時は生きるとは言わないのか。

自問自答が永遠に続けられる。

これで今日も寝られなくなってしまうかも!

一人じゃないんだよ

2005-09-24 22:28:10 | 
「君は何を悩んでいるの?」
「僕は勉強してもどうせ出来ないんだからやっても無駄って言うんだ」
「そんな事ないよ。きっと今にできるようになる。努力するものは報われるんだ」
「そうだよね!僕がんばるよ」

今、小学生の頃を思い出している。小さい頃は、本当に身体も小さく不健康。言葉も覚えが悪かった。はっきり喋ることさえままならない状況。ついでにいじめられっ子だった。きっと、親は心配していたと思う「この子は大丈夫なのだろうか?」と。
帰ってきても友達と遊びに行くということは小学校の高学年になるまで無かったと思う。帰ってきたら、家に引きこもりテレビを見ていた。今思うと、人との交流が下手だった。勉強しようとしても、兄に「やっても無駄だからやらない方がいい」と言われ頭に血が上り教科書を投げ捨てていた。なにせ勉強部屋が一緒だったから逃げようが無く、無駄に時間が過ぎていた。

兄は要領が良く、運動もでき無難に学生生活を過ごした。それに、比べ物覚えは悪く運動も苦手。そんな時、母に「努力する人は必ず報われるから」と励ましてもらったのを覚えている。

4年生の頃、宿題ではないが家庭学習と称して毎日家で勉強したノートを毎朝提出していた。私は、板書したノートを見ながら、これは大事だなと思う所を片っ端から別なノートに書き写していた。だから、あっという間に分厚いノートも無くなってしまう。ある時、同級生の一人が私のノートを見ながら言った「授業でやったのを、写しているだけじゃない」と。私は、何かずるい事をしたかと不安がよぎった。でも、先生は「写すだけでも勉強になるからいいんだよ」と言ってくれた。
それから何人かは、私のように板書したものから大事なところだけを写すようになった。この時の事は、今でも良く覚えている。

当時は、誰も助けてくれなくて辛い思いをしていました。でも、今思うといかに多くの人に見守られていたのかと考えさせられます。父、母に、祖父に、親戚に、先生に、地域の人に。気づいていなかっただけなんです。

もし、現在一人で悩んだり苦しんだりしている人がいたら、周りを見回してほしい。きっと、誰かはあなたの事を見守ってくれているはずだから。