日々の思いを記す~タキシード・仮面~

生活しながら思った事、ニュース・テレビ・福祉などいろいろなジャンルに関して綴っていこう(^o^)

長く生きるってことは大事なことかのかな?

2008-01-06 12:54:05 | 
今の日本は閉塞感が漂っている。このまま長生きしても幸せなことはないのではないかと思っています。

医療技術が進歩して日本は世界における長寿国となっていますが、中身の伴っている長寿国なのでしょうか?自分の意思を伝えることができて、それを尊重して生活することができる。それをできる高齢者はどれだけいるのだろうか。

私の知る多くの先輩がたは、一生懸命働き続け子どもを育て上げ年を積み重ねてきた。その後体の機能が衰え始め、認知症も出始める。人はその人なりの寿命を持っていると思う。生きる機能が衰え始めれば、自然に死へと向かい始める。

それなのに、食事が取れていないからといい高カロリーの輸液を身体に入れ無理に動かす。口から食事が取れないからといって胃に直接、穴を開けそこから流動食を流す。甘味もなにも感じない。生きている楽しみがあるのだろうかと思ってしまう。それでも、本人の意思とは関係なく長生きさせられる。本人が意思をきちんと伝えることができて、その上でエネルギーを入れてほしいと願っているのなら否定はしない。

でも、多くの高カロリーを入れられる人や胃に穴を開けられる人は、自分の意思を伝えることはできない。話かけても返事らしいものは返ってこない人が多い。

技術が悪いわけではない。それを用いる側の考え方が大事なのだと思う。この手術をすれば、それなりに自立した生活が送れるとの前提の上で一時的に高カロリーの点滴を流すのはいいだろう。でも、死の近づいた死に向かって旅を始めようとする人に向かって延命治療をするのは考え物だと思う。

子どもは親に長生きしてもらいたいと思う。しかし、親は早く向こうの世界に行きたいと願う。おじいさんやおばあさんの口にする「早く迎えにきてくれないかね」という言葉がすべてを表していると思う。

しかし、病院にいる限り治療をしないと置いてもらえない。病院も何もしないでいると経営が成り立たない。何もしなくても経営が成り立つよな制度にするしかない。そうすると、財源問題として騒がれる。

私たちは、死というものを家の中から病院に移してしまいました。昔は、家族に見守れながら自分の生活していた場所で死を迎えることができた。でも、今はそれをしようとすると虐待ととられてしまう。孤独死が増加しつつある現在、死への取り組みかたを考え直す時期がきているのではないか。先輩たちが死に向かって歩んでいく背中を子どもたちに見せ、生きることの大切さを実感させるべきではないのだろうか。