象が転んだ

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こんな本が読みたかった〜「現代奇譚集”エニグマをひらいて”」と「脳に刻まれたモラルの起源」

2023年09月03日 12時24分57秒 | 読書

 私がお気に入りのフォロワーさんが紹介する本は、全てが秀作や良書ばかりである。
 決して流行本でもなく、誰もが知ってる様なポピュラーな著書でもないが、読んでて不思議と吸い込まれる。
 そこで今日は、”むぎわら日記”さんが紹介してくれた2冊の本について書く事にする。

 
「現代奇譚集〜エニグマをひらいて」

 著者である鈴木捧氏が多くの体験者から聴き集めた様々な”奇妙な体験談”をまとめたもので、全5章、41話を収録(文庫換算で約300頁)された奇談はその充実したボリュームもあってか、読者を一気に圧倒しそうな勢いがある。
 ありえない場所で熊に遭遇した話や登山中に見た遺体。子どもの頃に数日間誘拐されてた記憶。小学校時代に流行した奇妙なおまじないの種明かし、などどれもが背筋が凍りつきそうな実話怪談ばかりである。

 元々霊感が強い私は、こうしたリアルな怪談話には不思議と縁があり、が故に興味津々でもある。事実、本に登場するような奇怪な体験話は、私が子供の頃を呼び覚ましてくれるし、まるで私の奇妙な体験集のようでもある。 
 タイトル通り、”エニグマ”という日常の中に潜む奇怪な”謎”を追いかける体験談集でもある。
 怪談というと人為的に作られた幽霊話やオカルトの類を期待するかもだが、ここで登場する話は現実に起きたものであり、多少の脚色もあろうが、怪談と呼ぶには明らかに隔たりがある。しかし、著者の巧みな描き方により怪談としての雰囲気も持ち合わせ、読者をグイグイと奇談の中に引き込むだろう。

 思い込みも度が過ぎれば、妄想や幻想に発達し、見てはいけないものを見たり、見てないものを見たと勘違いしたり、実際に見たものを幻に置き換える。が故に、人は正気を見失い、更なる幻想に悩まされる。
 体験談を元にした怪談でありながら、霊感の強い人なら”アルアル”と思わせる物語でもある。
 著者自身の自主出版という力の入れようだが、電子版(Kindle版)のみなので、典型の活字派の私には少し残念だが、鈴木捧氏のHP「試し読み」では無料で4話が公開されてるので、その中の1つを紹介する。


遺体忘れ

 「死体忘れ」「誘惑」「ガガンボ」「ラーメ」の4話が無料紹介されてるが、これだけでも十分に鈴木氏の怪奇ワールドに酔いしれてしまった。

 今日紹介する「死体忘れ」では、ある日、山中で(シートに包まれた)遺体らしきものを見た男の奇談である。
 男はてっきり幻想だと思い、警察への通報を怠った。1週間が経ち、警察に通報しようと思うも”何で今頃?”と疑われるのが怖く、そのままにしておいた。
 しかしその後も、その遺体のイメージが頭から離れなくて、1年後に同じ場所に行くと、遺体がそのまま残っていて、腐敗は進行し、防寒シートから覗く指はミイラの様にカラカラになっている。リュックの中からカップ酒を取り出し、仏さんに手を合わせた。”やっぱり(死体は)本当だったんだ”
 それでも、これが現実とは思いきれず、そのまま下山し、当時付き合ってた彼女に電話すると、涙が溢れて耐えきれなくなり、警察に通報した。
 勿論、”その日初めて見つけた”という前提で・・・今となっても、あの遺体は夢の中の出来事の様な気がする。
 山小屋で見知らぬ人と出会い、コップ酒を飲む度に、こういう奇談を振り返る男の奇怪な物語である。

 奇談とも怪談ともとれるが、追い詰められた人間の錯乱した記憶が、時が経つ程に鮮明に甦るのも不思議な話ではある。
 既に死んだ筈の人間が防寒シートの端を掴み、そのシートにくるまった様を見ただけで遺体と判別できるのだろうか。本人も目の前の死体は幻想だと思い、見たままの現実に目を背けたかったんだろうか。
 万が一生きてたとしたら・・いや、死んでたとしても、”遺体を見捨てた”という罪の意識はなかったのだろうか。
 そういう私がこの様な事態に遭遇したら、同じ様に見て見ぬふりをするだろうか。いや、数日したら正気に戻り、警察にありのままを正直に話すであろうか。

 因みに、自殺者の死体を見て見ぬふりをした場合は罪は問われない。但し、勝手に埋葬したり衣服や金品を奪った場合は罪に問われるかもしれないと。


引き返す勇気と知恵

 「道迷い遭難」でも書いたが、”<まずいな>と思った時に引き返せない心理的ハードルと、何とかなるだろうという根拠のない楽観。この2つは、まさに迷子になった心境そのものである。<まずいな!>と思った時にしなければならない事は、<来た道を戻る事>なのに、なぜか先に進んで益々迷ってしまう”の典型ではないか。
 倫理的な理想論で言えばだが、男がすべきは<来た道を戻り>死体かどうかを確認し、警察に通報する事だった。しかし彼は先へと進んでしまった。
 山登りのベテランであるが故に(よくある事として)起こりうるミス?かもだが、全くの素人だったら、動揺または錯乱して自分を見失い、挙げ句に友人(又は家族)に相談し、警察に通報してもらうであろうか。いや、それとも条件反射的に110番を押したであろうか。
 男は”これは幻想だ”と思い込み、勝手に先へと進んでしまった。気がついたら1週間が経ち、1年が経っていた。
 こうした思い込みは、自分を追い詰め、”道迷い遭難”に陥る大きな要素となる。

 2021年当時の管首相は、東京五輪のコロナ対策でも誤ったカードを切り、福島原発の汚染水の処分にても”海洋放出”という危険なカードを切った。
 この2つとも、引き返す事を拒み”何とかなるだろう”という根拠のない楽観論であった。これが、総裁選立候補を直前ドタキャンした大きな原因になったのは明らかだった。
 こうした根拠のない楽観論は、故安倍前政権から今の岸田政権にもしっかりと受け継がれている。
 つまり、”自分を見失わない”という視点でこの「エニグマをひらいて」を読めば、単なるリアルな怪談だけでなく、色んな楽しみ方が出来る一冊でもある。


最後に〜モラルは脳が決める

 「脳に刻まれたモラルの起源」(金井良太著)も実に興味深い著書だ。
 道徳や倫理といったモラルは、人間に固有の客観的な理性に基づく判断だと考えられ、主観的で情動的な判断と区別されてきた。
 しかし、最近の脳科学や進化心理学の研究によれば、モラルは人類が進化的に獲得したもので、むしろ生得的な認知能力に由来するという。つまり、生存戦略として”モラルは必須である”と脳が判断した結果である。
 こうした研究によれば、ある箇所の脳領野の灰白質の量を調べる事で、その人が保守派かリベラル派かが、ある程度は予測出来るという。
 一方で、体の接触があれば脳内からオキシトシンが放出され、内集団への忠誠を促し、自民族中心主義に結びつく。つまり、ハグは仲間意識を高めるという。

 人が生き延びる過程において、モラルは生存戦略として脳に刻まれ、こうして進化した脳は、そもそも近代の合理化なんて最初から求めてはいないのかもしれない。もっと言えば、人類が生み出した文明や文化は、生存戦略においては重要ではないと脳が判断してるのかもしれない。
 脳が違えば、価値観や倫理観も異なる。つまり、成功に幸せに何を求めるかすらも脳で決まる。
 一方で、”人殺しは悪である”という倫理観も脳が決める。つまり、健全な脳は健全な倫理観を保持する。そして、その健全な倫理観は健全な生存本能へと結びつく。
 そうやって人類は生き延びていくのであろうか。

 但し、ネット上で友達が多いから脳の活性領域が大きくなるとか、その逆も真なりで、”環境や遺伝で脳の構造が決まる”という結論は危険すぎる気がする。
 つまり、脳は私達が思ってる以上に柔軟で器用なのであろう。
 進化的に見れば、人の性質はある程度決まってて、その中で攻撃性と協調性という両極端の性質が強化され、複雑化した。
 しかし、人は”変われる”生き物である。人だけが自らの環境を自らの意思で変える頭脳を得た。即ち、自らに対する進化の強さと方向を変える力を持つ。
 つまり、私達人類は自らの意思で未来を選ぶ事が出来るし、その必要がある。その為には、健全な脳みそが必要なのである。

 という事で、最後は理屈っぽくなりましたが、読書の秋にはピッタリの2冊だと思います。
 では・・・



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