100%本当の事を書く訳にはいかない。コールガールにだってプライバシーはある。それでも十全に気を遣って書いてる事は確かだ。ドキュメントだからルポだからとて、ズケズケと何でも書いていいもんではない。ブログと違い、プロにはプロの厳しいルールがある。
そういうわたしもある程度、この手の”遊び”にはのめり込んだ方だから、著者のジャネット嬢の言いたい事は直に伝わってくる。
男だが不思議と他人事には思えない。人はバイセクシャルな生き物であり、女を買う側も買われる女の気持ちが、全く理解できん訳でもない。
それらを考慮しても、これこそ純然たる人間ドラマであり、バルザックやゾラが表現してきた現代版の、それも超大国アメリカの人間喜奇悲劇なのだ。それも実体験を元にしてるから、実に危なっかしく刺々しい。
それを色濃く物語ってるのが。原書の副題"Confessions of an Ivy League Lady of Pleasure"(女子大生の悦楽と告白)と、邦訳の副題(私は大学教師、そして売春婦)に比べると、ずっと柔らかく砕けている。
でも、那波かおり嬢の翻訳が実に素晴らしく、個人的には、"Confessions of Double Life”(2重生活)の方がよかったかな。
因みに、副題を”エリート大学講師の悦楽と告解”に変更します。
"Ivy League Lady"の放蕩
彼女が属してる組織は、大半が有名な米東部の女子大生である事から、"Ivy League Lady"という言葉を使ったんでしょうか。これは、彼女だけでなく、彼女達の悦楽の叫び、いや放縦の告白とも取れます。
つまり、夜の街に解き放たれた若き女性達の本性というか、放蕩への咆哮とういうか。野郎だけでなく、若い女性も夜の街へ出れば、悦楽という放蕩を求める。
色んな訳し方があると思いますが。売春というものを、人間の欲望や本性という観点から捉えたとも言えます。
でも、日本の女性がよくこの本を訳せたなって、つくづく感心する。男の私だって読んでるだけでも、結構ストレスを感じる。那波かおり嬢の勇気には頭が下がる。
コールガールになって、以前より性に対し真剣に考える様になった。SEXに対し相手を選ぶ様になった。昔の方が相手を選ばずいい加減なSEXをしていた。退屈しのぎに性に耽り、何ら道徳心も持ち合わせてなかった。
私の前にペ○スを付き出す男なんて一人としていなかった。当時の私はごく普通の勉強の出来るいい子だった。
しかし今や、愛とお金の2つのみがSEXとの引換だ。故に、夜の眠りは以前より安らかになった程だ。
私は、全ての客に公平に品位を保って接する。それがプロなのだ。性を生業にしてるからとて、24時間誰とでもタダで身体を開くバカがどこにいる。
しかし、男は性を売り物にする女を好奇の目で"好きモノ"と決め付ける。親友のセスも同じだった。
今夜の客は、瀟洒なアパートに一人で住んでる金持ちで、典型のマザコンだ。性の嗜好性が歪んだ親父の哀れさが、彼女を苦しめた。心の痛手を癒やす為、セラピストではなくコールガールを選んだ。
この体験は、彼女の魂を最後まで揺さぶった。人は自身の定義という枠に縛られ生きてる。が、こんな仕事をしてると、遥かに多様な性の嗜好を知る。
男は、個人的な関係より、プロの相手の方に禁断のファンタジーを求める輩も少なくない。
フェラ$50、本番は$100
私は車を持ってたから、ある常連にも自分にも非常に好都合だった。交通費は客とコールガールの折半だが、送迎代は$60と馬鹿げた額だ。脚がないと自由が全く効かず、タクシーで帰宅する羽目も。コールガールにとって、脚を持つ事は大きな武器でもある。
高値を付ける客に限って、チビでデブで要求も多いが、早漏だけが唯一の救いだ。
多くのエスコートサービスは、オプション刻みで料金を設定する。フェラ$50、本番は1回で$100。それ以外の魅惑なオプションは、コールガールと客とで交渉する。
ピーチの組織の利点の1つは、そんな煩わしい気の遠くなる様な交渉を、彼女が全てしてくれる事。客が不平を言っても自ら責任を取らずに済む。
それに、彼女のやり方も気に入ってた。客は特殊の行為やゲームなどに金を払うのではなく、1時間という時間にお金を払う。時間内なら、客の望むだけ、何度達してもいいし、あらゆるファンタジーを楽しむ事が出来る。
唯一の難点は運転手を見つける事。ゴミ溜めから札束を見つけると同様に難しい。その上、シャブ中も多い。
運転手を義務付ける組織も多く、そんな組織は女を酷使する。一晩5件のノルマを課し、気付け薬を与え、シャブ漬けにする。女は仕事をこなす為、大量のコカインを必要とし、稼いだ金の殆どが、運転手のものになる。売春が金になりそうでならないのはその為だ。
コカインと売春
当時は、誰もがコカインに手を出した。エクスタシーはクラブに返り咲いておらず、ヘロインは流行遅れに。そこに、中南米からの大量の人口流入があり、コカインも大量に密輸された。
私もコカインを使った。余りの多忙に身体が付いてかないのだ。朝の眠気と疲労、この2つを解決するには"朝の一筋のコカイン"に限る。女たちはそれを"王者の朝食"と呼ぶ。こうして、多くのコールガールは、肉体と精神を自ら病んでいく。
しかし、私は中毒者にはならなかった。街にドラッグが蔓延してたのは、ほんの数年間だけだった。かつてのコカイン中毒者は郊外生活者となり、怠惰な日常生活という、ドラッグとは別の自滅の道を歩み始めた。コカインもアルコールも大量に摂取したが、運が良かっただけかも。
どんな職業にも中毒者はいる。特に、売春の世界は薬物と縁が深い。その一人、中国娘のソフィーは、知的で聡明で心優き、フリーのコールガールだ。
彼女は四カ国語が話せた。コカインを重曹と共に試験管に入れ、炙って精製し、クラックに加工し、静脈に打つ程の凝り様だ。
彼女はコカインが全てだった。コカインに為なら誰でも裏切り、何でもした。
結局、コカインは彼女の求める心を砕く全てであった。しかし、私の生涯の最高の友人でもあった。
ソフィーとの出会い
ソフィーは裕福で高名な家庭の一人娘で、小さい頃は才気煥発な秀才娘で、猫可愛がりされた。しかし、思春期に達すると父親は牙を剥いた。母親も封建的家系の出で、悍ましい父のレイプを見て見ぬふりをした。
娼婦の中には、近親者による虐待や性的暴力を受けた者が少なくない。ピーチはそういう女性を最初から排除した。彼女もまた、過去の亡霊を抱え込み、苦しむ人だった。
亡霊者達は、彼女の中に毒を吐き散らした。ピーチは他人の傷口に、毒を吐きたくなかった。彼女もまた、自殺未遂の経験者でもあったのだ。
"最も豊かな実ある旅は、魂の内奥に向かう探求である"
ソフィーも”自分の内側をめざす旅人”だった。彼女は勤勉で読書家でもあった。大方の人は、フィクションを筋立てや登場人物・行動・会話などの観点から読み解こうとするが、彼女はその作品が仄かす真理を彼女の秘密の小道を辿り到達しようとした。
彼女も他の女性と同様に、普通である事を受け入れ、それを望んだ。トマスアクイナスではないが、彼女は"自らの人生を全く価値のないもの"と達観するようになっていた。
彼女の方から、クラックのパイプを渡される時が来た。このエクスタシーに近い陶酔感は、これまで経験したどのSEXよりも勝っていた。
しかし、それから私の中で大きな葛藤が、"ダンテの地獄巡り"が始まる。
確かに、彼女が所属するコールガールの基準が少なくともガレッジ以上という学歴を求めてる所から、Ivy League Ladyの若い子が多いのでしょうか。
しかし、この本の翻訳者さんて、女性だったんですね。どうしても男性なら興味本みたいになりますものね。
私もサイトで調べたんですが、日本語版のカバーは全くイケてないです。白とピンクのデザインは頂けない。どうしても男性視点でデザインしたのでしょうか。
流石、本場英語版の奴は、非常にシックなデザインです。ほんの少し胸をはだけた黒のブラウスに、コールガール募集の新聞広告の切れ端。カバーだけ見たら、何の本か分からない程です。
こういう所にも売春に関しての日米の見識の違い理解の違いって露骨に表れてますね。私も段々興味深くなりました。これからも期待してます。
つまり、夜の街に解き放たれた女性達の本性というか、放蕩というか咆哮とういうか。色んな訳し方があると思います。tokotokotoさんなりに考えてみるのも面白いでしょうね。
売春というものを、人間の欲望や本性という観点から捉えたとも言えますね。
日本と欧米では売春に関する考え方が違うのではと。勿論、歴史も向こうの方が圧倒的に古く深い筈だし。
ローマ時代には男娼とかも多かったらしいし。向こうの人はマセてるというかスレてるというか。見る人が見れば呆れますかね。
全く言われる通りです。人種が住む土地が違えば、歴史も風俗もベツモノになるんですね。日本じゃ少し考えられないです。私が旧いのかもしれませんが。
最初は金の為にヤリ、その後はヤレば金になる。と著者も言ってますが。ハンバーガービジネスだって、牛をする事で成り立ってますもの。所詮、元手が掛らない、手っ取り早いビジネスなんですかね。付いていけそうにもないですが。