象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

世界核戦争の回避は偶然か?それとも必然か?〜”キューバ危機”その3”

2024年06月18日 07時12分17秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 21年9月末以来の”キューバ危機”ですが、映画「13デイズ」(2000)でも描かれた様に、13日間の両大国の攻防が大きな焦点となりました。多少は脚色されてますが、米国政府の混乱と薄氷を踏む様な意思決定のプロセスを描いた作品としてはよく出来てると思った。

 「決定の本質」(1971)の中で著者のグレアム・アリソンは、この本では、キューバ危機を分析する為の複数の”視座”とそれらが導き出す結果の多様性を問うている。その際に、分析の結果以上に分析の際に用いられた複数の意思決定モデルが厳密に検証された。
 特にグレアム氏は、キューバ危機における米国政府の意思決定を分析し、3つのフレームワーク(視座)を用いた。 
 1つ目が合理的アクターモデル。簡単に言えば、優秀な人たちが合理的な判断をした結果、危機を回避できたという単純な理論。
 2つ目が組織行動モデル。政府の様な巨大組織は、相矛盾する規則や手続きが複雑に絡み合いつつ成り立ち、時にはリーダーも関与できない所で、規則や手続きに従って事が進んでしまう理論。
 映画「13デイズ」でも、緊張の最中に米国がソ連を挑発しかねない核実験を実行し、J・F・ケネディ(B・グリーンウッド)らが激怒するシーンがある。あれはまさに組織行動モデルで説明できる事態だ。
 以下、「”13デイズ”に学ぶ意思決定のリアル」より大まかに纏めます。


巨大組織と意思決定のメカニズム

 3つ目が政府内政治モデルで、政治家同士の駆け引きや足の引っ張り合い、権力を失う恐怖などのバランスにより、政府としての意思決定が行われるという理論。
 前回「その2」でも述べた様に、当時のケネディは、前年のピッグス湾事件での失敗で”軍事作戦に関しては指導力がない”と評され、ここで弱腰な所を見せれば権力を失いかねない立場にあった。一方、軍部は自らの存在意義を示す為に空爆による先制攻撃を主張する。またケネディは、この後に控える中間選挙も意識する必要があった。

 つまり、米国政府の当時の意思決定は、これらの要素が複雑に絡み合った結果だったと事になる。
 結局、3番目の”政府内政治モデル”こそが当時の米国政府の実態を最も的確に説明するもので、これに2番目の”組織行動モデル”を加える事で、意思決定の全体像が見えてくる。
 もっと言えば、1番目の”合理的アクターモデル”では一連の政府の動きを説明できないし、キューバ危機を回避できたのは、合理的な判断の結果ではなく、幾つもの偶然が重なった結果にすぎない。
 一方でケネディは、最悪の事態をイメージできていた。そこが軍部との違いで、軍部は米国が先制攻撃した場合、”ソ連は核戦争の恐怖から何もできない”と主張。だが、”攻撃を受けた場合には報復する”と断言。
 こうした軍部の想像力不足は、明らかな矛盾を政府内にもたらしていた。つまり”イメージできないものはマネージできない”
 ケネディも(恐らく)フルシチョフも、最悪の事態に対するイメージがあったからこそ、核戦争の危機が回避できたとも言える。しかし、この結論に至るまでに事態は二転三転し、核戦争一歩手前まで行っていた事も事実である。

 恐怖・不安・疑心暗鬼といった負の感情は意思決定を大きく歪める。キューバ危機もウクライナ侵攻も、共にロシア(旧ソ連)側の恐怖と疑心暗鬼が発端であった。軍事侵攻は決して正当化できないが、プーチンをそこまで追い詰めたものは何かを認識する必要がある。
 つまり、相手の心の内をしっかりとイメージする必要がある。
 以上、RECRUITWORKSからでした。

 確かに、偶然こそが巨大組織での意思決定のリアルとなった訳だが、そうした偶然をも的確に分析するグレアム氏の洞察と考察には頭が下がる。
 ただ、イメージがそのままマネージに繋がる筈もない。一方で洞察力に長ける人は、自分だけでなくあらゆる人の立場を創造し、物事を考察できるという特徴がある。つまり、イメージ→考察→洞察→マネージとなる。
 因みに、考察とは”よく調べて考える事”で、洞察は”色んな情報から見えてくる本質”と定義される。言い換えれば、イメージを明確な形にする事が洞察とも言える。但し、その為には観察力という人や物事を見る目というも必要である。
 プーチンがバイデン政権の何処を見て、バイデンがプーチン政権の何処を見てるかで、戦局は大きく変わりそうだが、今の時点ではプーチンのシナリオ通りである。言い換えれば、バイデンの失策とも言える。


核ミサイル基地発見

 さてと、ここからが前回「その2」の続きとなりますが、10月14日、U-2機によりハバナ南方を偵察し、解析した所、アメリカ本土を射程内とするソ連製準中距離弾道ミサイル(MRBM)の存在を発見。更にその後3つの中距離弾道ミサイル(IRBM)を発見した。
 すぐさまホワイトハウスに伝えられ、16日に緊急会議を招集する。この席でケネディは、直面する危険とこれに対処するあらゆる行動を即時徹底的に調査し、同時に機密保持をも強く命じた。
 この10月16日からの”13日間”こそが歴史に深く刻まれ、核戦争の寸前までいったキューバ危機の期間である。
 特に、16〜19日までの96時間、日中夜を問わず空中写真の分析が進み、近距離攻撃用ミサイルの配置地点が6カ所、中距離用ミサイル用の基地にする為に掘られた個所が3カ所見つかった。

 緊急会議のメンバーは、
 ①ソ連に対し外交的圧力と警告および頂上会談(外交交渉のみ)
 ②カストロへの秘密裏のアプローチ
 ③海上封鎖④空爆⑤軍事侵攻 
 ⑥何もしないの、計6つの選択肢を挙げた。
 ①と⑥は最初から真剣に検討されたが、ケネディは即座に却下した。その後、②と⑤も却下となる。因みに、⑤の軍事侵攻のプランはルメイだけだった。
 つまり、ケネディの”侵攻は最後の手であって最初の手ではない”との意見が全体のコンセンサスとなる。
 残るは③の海上封鎖か④の空爆で、最初は空爆が有力な選択肢であったが、少なくとも17日の段階までケネディも空爆に傾いてたとされる。

 国防長官のマクナマラは、16日夕方の会議で海上封鎖をし、キューバの動きを見守り、その反応によっては”ソ連と戦うべきだ”と述べた。司法長官のロバート・ケネディは、事前警告無しの空爆は”真珠湾攻撃の裏返し”で歴史に汚名を残すと述べ、事前警告をした場合は逆にソ連に反撃のチャンスを与え、危険な状況となると予想した。一方で、テイラー統合参謀部長は、キューバの軍事的な目標全体を対象とした大規模な空爆が必要と認識していた。
 つまり、ケネディの側近は皆、強硬派だった事になる。

 17日の会議でスティーブンソン国連大使は、”平和的解決手段が全て無駄に終わるまで空爆はしてはならない”と大統領に強く主張した。ここで、空爆の前に事前警告の必要が議論の焦点となる。
 統合参謀本部はキューバへの空爆を支持したが、マクナマラやR・ケネディは海上封鎖を主張。マコーンCIA長官は事前通告無しの空爆には反対で、フルシチョフに24時間の猶予を与え、最後通牒に応じない場合に攻撃を行うと主張した。
 ケネディはアイゼンハワーに電話で意見を聞いたが、元々穏健派である前大統領もキューバにある軍事目標全体への空爆を支持する。一方、スティーブンソン国連大使は”トルコにある核ミサイルとキューバにある核ミサイルとを取り引きする事を検討する”よう求めた。


海上封鎖か?空爆か?

 18日の会議でR・ケネディは、
 ①1週間の準備と西欧諸国とラテンアメリカ諸国への通告の後、24日に中距離ミサイルMRBMの施設を爆撃する。
 ②フルシチョフへの警告の後に、MRBMの施設を爆撃する。
 ③ミサイルの存在・今後阻止する決意・戦争の決意・キューバ侵攻の決意をソ連に通告する。
 ④政治的予備会談を実施し、失敗の場合には空爆と侵攻を行う。
 ⑤政治的予備折衝なしに空爆と侵攻を行う。との5つの選択肢を提示した。

 国務長官のラスクは①に反対し、国防省関係者は②に反対した。国務省らは③に賛成であったが、空爆の前提ではなく監視強化が前提であった。④と⑤には意見は無かった。
 ソ連担当顧問(後の駐ソ大使)のトンプソンは、フルシチョフがベルリン問題での取引を目的にミサイルを配備し、アメリカの譲歩を引き出す為と考え、”フルシチョフに交渉の機会を与える事が大事だ”と主張。それに、いきなりの軍事行動では報復を呼ぶだけで、海上封鎖であればソ連は封鎖を突破しないと考えるが、ミサイル基地の作業中止および撤去は難しいとの懸念を示す。
 スティーブンソン国連大使は、キューバへの攻撃はソ連がトルコやベルリンに報復行動に出る可能性が高く、結果として核戦争になると、再度強調した。

 結局、この段階で封鎖と空爆の2つの選択肢が残ったが、実際は二者択一ではなく、”海上封鎖から空爆へ”という考えと、どちらにせよ”最後はキューバ侵攻へ”という考えで、メンバーの大半も最後は侵攻する必要を理解していた。
 そして海上封鎖の場合に、フルシチョフが撤去に応じる代りに要求する要素に、トルコのミサイルが浮上してきた。それに、海上封鎖を正当化する為に”隔離”という言葉を提案する。
 ここまで強硬に空爆を主張してきた軍も最初は封鎖し、フルシチョフの出方によっては空爆か軍事侵攻も視野に入れる事でその主張を後退させた。その上、封鎖の場合に撤去させるのは攻撃用ミサイルだけとするとし、この日のケネディは”海上封鎖の選択”に大きく傾く。

 この日の午後5時に、国連総会に訪米してたソ連外相A・グロムイコが儀礼としてホワイトハウスを訪ねてきた。
 ケネディは、この場では攻撃用核ミサイルを発見した事を一切語らず、またグロムイコはソ連の対キューバ援助は”キューバの国防に寄与する目的を追及したもの”として、”決して攻撃的なものではない”と述べ、”キューバに配備されたミサイルは防御用の通常兵器である”と9月に述べた事を繰り返し述べただけで終わる。
 このグロムイコとのケネディの会談は、その後冷戦史上に残る最も奇妙で緊張した会談であり、茶番劇でもあった。グロムイコはモスクワに”会談は満足のいくものだった”と報告している。ケネディが何かを掴んでるとは微塵も感じなかったのだ。
 そしてケネディは4日後の声明で、グロムイコとのやりとりを明らかにし、”(グロムイコの言った事は)偽りだった”と非難した。
 この日の夜、急速に海上封鎖が有力な案になったのは言うまでもない。
 以上、前回と同様に「キューバ危機〜ミラーイメージングの罠」を参考にしました。


最後に

 冒頭でも書いた様に、「決定の本質 キューバ・ミサイル危機の分析」は、政治学の古典として長く読み継がれ、謎に満ちたキューバ危機回避の政治的意思決定論の傑作である。

 1999年、新たに再編された新版の序文には”実際に戦端が開かれていたら、1億人のアメリカ人、1億人以上のロシア人、そして数百万人のヨーロッパ人も死に・・”とあるが、ケネディが”あのオッサンの言う事を鵜呑みにしてたら、アメリカは丸焦げになってただろう”と振り返った。そのオッサンとは”鬼畜”カーチス・ルメイである事は言うまでもない。
 事実、キューバにある合計60基(R12=36基、R14=24基)ある核ミサイル基地のうち、アメリカ軍が偵察で見つけたのは僅かに14箇所ほどで、准中距離のR12ですらワシントンDCにまで届く。更に、キューバに集められた核兵器の破壊力は総計80Mt以上で、第2次大戦で連合軍が使った爆弾の総計の約20倍とされる。 
 一方で、フルシチョフはケネディーの女癖が悪く弱腰なのを既に見抜いてた。が、最後はその弱腰が柔軟で冷静な取引に繋がり、世界核戦争を回避できたとも言えなくもない。
 しかし、そのフルシチョフも弱腰と避難され、失脚の原因を作る。つまり、世の中何が救いになるのか?は、神様もわからないのだろう。

 次回は、ケネディ政権による海上封鎖とフルシチョフの苦肉の決断について述べたいと思います。



コメントを投稿