象が転んだ

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「菊と刀」に思う”義理”チョコ〜バレンタインデー消滅とムラ社会の忖度

2023年02月19日 18時46分12秒 | 独り言&愚痴

 「整形手術の女」に寄せられたコメントに、”(悪く考えずに)バレンタインデーの贈り物と思いましょう”とあった。
 若い頃はバレンタインデーと言えば、イヤらしい?事ばかり考えていた様な気がする。
 決して悪い事でもないが、ありきたりの無機質な”義理チョコ”じゃなく、”義理ナメ”みたいな”いつも仕事ではお世話になってます。チョコじゃなくお口でサービスしようかな”って、ノリのいいエロ女はいないのか?って妄想に近い期待を描いてたもんだ(冗)。
 但し、”義理でナメられても”ってのもなくはないが、隣組や親戚付き合いと同じで”義理”と名の付くものは、ストレスや負担以外の何ものでもない。
 勿論、こんな都合のいい女はいない訳で、あえてバレンタインデーの日に飲み屋に行って、ホステスから義理チョコをもらって自分を慰めていた寂しい時期もある。
 つまり、”義理”ってもんはムラ社会に生きる寂しい中年親父の為にあるのだろうか。

 老いたサラリーマンや上司には、”義理チョコ”と言えば1年に1度の貴重な楽しみであった筈だが、その”義理チョコ”文化が消滅の危機にある。
 日本では昭和30年ごろから長く親しまれているバレンタインデーだが、社会人であれば同僚や上司、学生であればクラスメイトなどに渡す”義理チョコ”は、日本独自の文化ともいえる。
 以下「義理チョコ文化が消滅寸前?」から一部抜粋です。

 名古屋タカシマヤが毎年行ってるバレンタインデーの意識調査によれば、”義理チョコを贈る”と答えた人は全体の3%に留まった。調査開始の2017年には73%が義理チョコを贈ると回答してたから、6年間で実にマイナス70%の急落である。
 また、Job総研の調査でも、参加した448人のうち半数以上が義理チョコ文化に反対し、”渡さない”が81%を占めた。
 反対の理由として、”渡す側も渡される側もコストがかかるし心理的負担になる”とか”コロナ禍で必要性が薄れ、更に物価高騰で負担が大きい”などがある。
 一方、SNSなどで話題にあがるのが、職場でチョコレートを”強要”されたり、チョコレート代を”徴収”されるというもの。つまり、上下関係のある職場などでは義理チョコが”パワハラ”の機会になる。
 また、女性の上司が男性の部下に義理チョコを贈り、“お返し”を要求する行為もパワハラに該当し得るという。
 そんな義理チョコに変わり、存在感を増しているのが、自分への”ご褒美チョコ”だという。
 松屋銀座が行った調査では、自分用のチョコレートを購入すると回答した人は全体の6割に上り、”ご褒美チョコ”にかける平均予算は4415円と、本命用の予算(3748円)を上回った。


忖度が生んだ?義理チョコ

 以上、弁護士JPニュースからでしたが、正直アホ臭くて日本人である事が悲しくなってきた。
 そこまでイヤなら(義理チョコも含め)、バレンタインデーそのものを法律で無効にすればいい。でなければ、自分の思考から排除すればいい。
 コロナ渦で大きく落ち込んだデパートらの何とかバレンタイン商戦を復活させたいとの気持ちも理解できなくはないが、”ご褒美”とは言え、無駄な出費である事に変わりはない。
 一方で、日本のバレンタインデーの市場規模は約1000億円以上も言われ、その大半は”義理チョコ”である。つまり、強欲な商魂と不可解な義理という名の”忖度”でバレンタインデーは支えられてる事になる。

 日本人は”無駄を排除する”のが不得意な民族である。何でもかんでも取り入れ、伝統として延々と受け継ぐ。どんな価値のないものでも”長く続きゃいい”と思うフシがある。
 人情と言えばそれまでだが、これに忖度が加わるから排除し難くなる。
 一方で、バレンタインデー自体が無駄なのに、義理チョコを犯罪者扱いする。
 そういう私は、義理チョコ自体は悪くはないし、罪でもないと思う。義理を果たすか否かは本人の自由で、それがストレスでも金銭的負担でもなければ(相手の承諾を得るという絶対条件付きだが)贈ればいい。
 結局、義理チョコが消滅しても、ご褒美チョコが新たに生まれるだけで、本命に加え、余計な出費が嵩むだけである。
 故に、バレンタインデーそのものを排除すれば、ご褒美も義理も忖度もそして本命もまとめて排除できる。

 愛とはモノやカネではなく、心と身体、つまり精神(プラトニック)と肉体(エロース)の結合体である。つまり、本命も義理も忖度も一切存在しない、ストレスや出費も嵩まない純朴無垢な崇高な世界。
 ”愚直な程にシンプル”にとは、人を愛する時には、更に愛する人を判別する時には絶大なる威力を発揮する(多分)。
 つまり、本命や義理なんていうムラ社会の呪いが存在する限り、日本人はバレンタインデーというカトリックの妄想に支配され続けるのだろうか。
 いつしか、このバレンタインデーは農耕祭に取って代わり、排除出来ない行事になってしまう。核やCO2の削減もそうだが、バレンタインデーやクリスマスなど海外から輸入した賞味期限の切れたイベントの削減目標も掲げるべきだろう。

 つまり、腐った死体に群がるハエと同じで、腐った義理(チョコ)を生み出すだけのバレンタインデーは排除すべきである。
 普段は死んだ様に寝込んでるオバサンが葬儀や仏時になるとゾンビみたいに生き返る。同じ様に、普段は冬眠するヘビみたいに大人しい女がバレンタインデーとなると、本命とか義理とかでキーキー喚き立てる。ご褒美チョコも、そんな人種が買い漁るのかもしれない。


最後に〜義理と日本人

 アメリカ、ブラジル、イギリス、フランス、リトアニアなどキリスト教文化圏の国のどの外国人も(バレンタインデーでの)”義理チョコはない”と語る。つまり、渡ししたくない相手にプレゼントをする考え方は全くないし、そんな習慣もないと。
 日本人の”義理”という心情を初めて世界に紹介したのは、文化人類学者のルース・ベネディクト(1887年–1948年、米)だとされる。1946年と古いが、恩や義理などの日本人独特の考え方や文化を説明した「菊と刀」は(様々な批判もあるが)今もなお日本人論の名著である。

 つまり、日本の義理を表す英語はないらしい。それに近い言葉に”義務”があるが、欧米でいう義務と日本の義理は違う。故に、義理に相当する言葉は英語には全く見当たらない。
 事実、“一般に・・<義理を返す>とは同輩に<恩を返す>義務である・・・世間に対する義理とは(大ざっぱにいえば)契約関係の履行と言える”と著者のベネディクトが語ってる様に、義理とは返さないといけないもので、これを負っていて相手に返せないのは凄く辛い。俗に言う”義理ほど辛いものはない”とはこの事だ。
 でも欧米人から見ると、義理があるから”不本意ながらする”という行動はとても独特で”義理とはあらゆる風変わりな道徳的義務の中で最も珍しいものの一つで、特に日本的なものである”とまで書く。
 お陰で”義理を知らない人”という非難を日本人は酷く嫌がる。つまり、”恥知らず”と同じ意味で、現代人なら全人間性を否定された様なダメージを受ける。

 この義理と恩はセットになってるが、欧米人には”受けた恩は必ず返す”という心情が薄い。
 本当は気が乗らないが(人間関係や世間との関係で)不本意ながらする。
 日本人に比べれば欧米人はドライな性格で”本当は行きたくないが、つきあいで行く”という事が殆どない。自分の仕事が終われば、他人が残業してようがすぐに帰る。そんな事に心理的負担も罪悪感も感じない。”行きたい気分じゃないから”って平気で帰ってしまう。
 でも、誰もそれを気にしない。
 こういう事からも、日本人の義理は本当に独特だし、理解するに難しい。
 ベネディクトが指摘する義理は戦中・戦前の日本人のもので、令和時代の日本人が思う義理とは違うだろう。が、この本でいう義理は現代の日本人にも十分通じる所がある。
 以上、「外国人には謎?日本人の義理という心情」から一部抜粋でした。

 確かに、「菊と刀」の視点で見れば、日本人特有の義理と人情よりも、義理チョコやバレンタイン商戦の方がずっと不可解で奇怪な慣習に映る。
 そういう事に全く気づかないまま、日本人は同じ無駄を何度も繰り返し、いつの間にか伝統文化に作り直してしまう。
 アホ臭と薄々判っていながら義理チョコに変わる何かを追い求める。
 本命から義理(忖度や人情)そしてご褒美へと、バレンタインチョコの歴史は無駄に変質してきた。
 一方で、日本人には”恥の文化”がある。これは欧米の”罪の文化”と対を成す。
 だが、バレンタインデーでの義理チョコこそが、恥を曝け出し続ける日本人の本来の姿なのかもしれない。 



2 コメント

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象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2023-02-19 20:08:09
お邪魔します。

“義理と人情を 秤にかけりゃ
義理が重たい 男の世界”
---と歌ったのは「唐獅子牡丹」の高倉健さんだったでしょうか。
受けた恩に報いるため義理に殉ずるのは、
任侠やマフィアなど特殊な世界に生きる人のものなのかもしれません。
世話になった御礼はしますが、義理を返すとなると少々重荷に感じます。

個人的には義理チョコが廃れる傾向にホッとしています。あれはギフト業界のビジネス、悪しき習慣。
ご褒美チョコは他者に影響のない自己完結ですから「ご自由にどうぞ」ですね。

”義理ナメ”、ウケました(笑)
では、また。
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りくすけサン (象が転んだ)
2023-02-20 03:24:43
いつもコメント有り難うです。
義理って
後々、ボディブローみたいにズシンと効いてくるんですよね。
その時は何気ない贈り物かもですが、次第に苦痛になり、精神を病む女性もいるんでしょうか。

言われる通り、ギフト業界の悪しき商魂でもありますよね。
田舎のスーパーでもバレンタインデーのチョコが山の様に積まれてましたが、どんな人が買うんだろうと思って・・
踊る阿呆に見る阿呆じゃないですが、買う人がいるから、又は貰って喜ぶ人がいるからバレンタインデーはなくならないんでしょうか。

気持ちを形に表すってのも、習慣となるとやはり苦痛になる。その苦痛はいつしかある種のジレンマになり、抜け出せなくなる。
これを、義理チョコの呪いと言うんですかね。
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