象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

食中毒の怖ーいお話

2023年12月29日 03時16分24秒 | 芸能&三面記事

 ネタ的に少し古いが、青森県八戸市の弁当製造会社「吉田屋」の弁当による集団食中毒問題について、八戸市保健所は10月28日、”食中毒患者が29の都道府県で521人になった”と調査の最新情報を公表した。
 食中毒が発生した弁当に使用されているコメは9月14日と15日に岩手県の委託業者から納入されてたが、14日の分にては吉田屋が盛り付けようとした際、温度が45℃と通常より熱かった為、30℃まで冷却していた。
 八戸市保健所は、”コメが納入された時の温度が食中毒に関係あるか”を含め、原因を調査している(青森テレビ)。

 今回の食中毒では、お米に問題があったとされ、保健所の調べでは食中毒の原因となる黄色ブドウ球菌とセレウス菌が検出された。
 おかずや海鮮素材に関係なく、様々な弁当で被害が出てるのが特徴で、普通の米飯だけでなく、お寿司でも問題が起き、様々な広範囲に渡る委託業者との兼ね合いも大きな問題となりそうな勢いだ。
 昔の弁当屋さんは自社で一括して作ってたから、こういう事件が起きた時は、工場内の衛生管理と肉や魚や野菜などの原材料の仕入先を調べるだけで済んだと思う。
 つまり、事はシンプルだったのだ。

 しかし、今や多くの弁当会社では、種類やメニューも豊富で複数の加工食品の委託業者らに大きく依存する傾向にある。その加工業者も下請けがある。
 温度管理や品質管理に問題があったのか?委託業者や配送業者に問題があったのか?
 結局はこうした問題も曖昧に葬り去られ、時と共に忘れ去られる。
 それでいて我ら大衆は、再び外食に夢中になる。それに最近の弁当はとてもカラフルで、食べるというより見て楽しむという傾向が強い。外食がイベント化し、まるでテーマパークの様な派手な舞台装置を見てる錯覚に襲われる。

 つまり、食べる時代から食を見て楽しむ時代に、こうした集団食中毒が発生しても何ら不思議はない。
 私が殆ど外食しないのは、貧乏なせいもあるが、元々腸が弱いからで、それに昔みたいな単純な食中毒ならともかく、今は人が死ぬ。
 そうこう書いてる内に、流しソーメンでも食中毒が発生したではないか・・・

 
食中毒の怖いお話

 こういう事件を聞く度に、外食派でなくてよかったなと痛感するが、そういう私も2度ほど食中毒の怖ーい経験がある。
 地元の某生協の食堂で、仕事仲間と同じ親子丼を注文したのに、私だけが食中毒になった。その時はどうもなかったが、夜寝る頃に恐ろしい程のめまいと頭痛に襲われ、それから1週間もの間、まともな食事は喉を通らなかった。
 中毒というよりショック症状に近かった。仕事は1日休んだだけだが、その後は流動食に近いもので済ませた。
 多分、胃で消化し、腸で吸収する頃に中毒症状が出たのだろう。鶏肉が原因とも思われたが、連れと”違う肉を盛られた”のだろうか?

 色々と思い当たる事を考えたが、唯一考えられるのは、その時に食堂で働いてたオバさんが私が喧嘩した男の愛人?だったという事だけである。それとも私の考え過ぎで、単なる偶然だったのかもしれない。
 実は、これと同じ様な真逆の展開が数年後に起きたのだ。

 先と同じ職場の同僚と米を配達してた時の事。久しぶりに外で食事をしようと私が連れを誘った。その頃の私は2つの仕事を掛け持ちし、とても忙しく殆どが車の中で昼食を済ませていた。
 連れは、私が行こうとする焼き肉店を嫌がった。”あそこはお米の配達で一度揉めたんだよ。それからどうも嫌なんだ。特に厨房で働くオバさんが嫌な奴で・・・”
 私は、久しぶりに焼き肉が食いたかったし、消防団の食事会でたまに行く店だったから、少し強引に誘った。
 ”昔は弁当の仕出し屋だったが、今は焼肉屋に改装してんだから、従業員も変わってる筈だ。それに今は、この店に米の配達もしてないだろ?”
 彼はそれでも渋った。
 私は冗談半分に”嫌な婆さんがいたとしても、同じ物を注文すれば、毒を盛る事もないだろう”と半ば強引に誘う。私はすっかり数年前の食中毒の事を忘れていたのだ。
 連れと私は笑いながら、焼肉屋の暖簾を潜った。

 オバさんが注文に来る。
 私達2人は同じ焼肉定食を注文した。
 ”どう?あの時と同じイヤな婆さんか?”
 連れは首を降る。
 ”どうやら考え過ぎだったみたいだ。店の雰囲気も全然変わってるし・・・”
 焼き肉はそれほど美味しくもなかったが、連れは”まずまず”と満足そうに食っていた。
 しかし私には、少し引っかかるものがあった。というのも、注文にきた婆さんの、ほんの一瞬の嫌味な表情が不思議と記憶に残っていたのだ。
 ”何事もなければいいのだが・・”
 連れはその時はゴキゲンだった。
 ”思った以上に美味しかったよ。店が変わるとこうも違うのかな”
 私は(美味しかったとは思えんかったが)”これで毒守られたら洒落にならんだろうに”と、2人で笑い転げていた。

 私は別の仕事の用件があったので、連れと別れた。数時間して事務所に戻り、再び米を配達しようと連れを探すも何処にもいない。
 事務の女性が”〇〇さんは今さっき救急車で運ばれましたよ。もう周りは騒然としちゃって・・”と少し青ざめた表情で語りかけた。
 ”やっぱりか・・食中毒だ”
 その日は私が一人で米を配達したから、仕事を終わるのがとても遅くなり、見舞いには行けなかった。
 翌日も翌々日も連れは休んだ。(少し責任を感じた)私は、電話で無理をしないようにと言ったが、連れはその翌日には何とか出勤していた。 
 症状は私と全く同じだった。
 連れはビスケットばかり食っていた。
 彼は食中毒を起こした焼肉屋の前を通る度に苦笑いをしていた。
 ”マズくはなかったんだけど、厨房にあの嫌味な婆さんがしぶとく潜んでたのかな”
 ”その時は黙ってたけど、注文に来たあの婆さん、お前の事を覚えてたみたいだ”

 ”あの人の良さそうな婆さんがか?”
 ”人は見かけによらないって、特に歳をとる程に狡猾になるんだよ”

 その時、私は数年前の食中毒を思い出した。
 その話をしたら、連れは大笑いしていた。
 私は冗談半分に”そんなに笑うか。だったらもう一度あの店で焼き肉を食ってもいいんだぜ”
 連れは、それでも笑っていた。


最後に

 実はその僅か1年程の後に、私は2度目の食中毒を起こした。これまた、同じ職場の同僚たちと事務所で飲み食いをしてた時の事である。
 私達は近くの(これまた偶然か)ACOOPの店で惣菜を幾つか買ってきて、それを肴に酒を飲んでいた。
 この頃も仕事は忙しく、夜の9時や10時までというのが当たり前の様に続き、事務所で夜の飲み食いをするのが常であった。
 特に給料前は、夜遅くのタイムセールの惣菜で済ませる事が多く、6人の内、私を含め2人だけが食中毒に襲われた。しかし症状はそこまで酷くなく、胃が凭れ痙攣する位で済んだ。
 翌日の夜、事務所で酒を飲みながら1つ1つ検証した。するとどうやら、”さつまいもの天ぷら”が原因だったようだ。
 つまり、僅か数年のスパンで、鶏肉→牛肉→さつまいもの順で食中毒が発生したのだ。
 これを偶然と呼べるのだろうか?
 事実、それ以降は一度も食中毒には罹ってはいない。これも単なる偶然なのだろうか?

 という事で、食中毒の怖ーいお話でした。



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