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”信じる者は救われる”
オリンピックのシーズンになると、必ずこの言葉がよく使われる。流石にウンザリ感も漂うが。
”自分を信じろ!パートナーを信じろ!今までやって来た事を信じろ”と、熱血コーチがゲキを飛ばす。
選手も選手で、”今までコーチを信じてきたからこそ、ここまでやってこれました。来年の東京でも頑張ります”と真顔で語る。
”分かりました機長。私何だか今、身体が熱いんです”と、堀ちえみチャンが出てきそうな勢いですな(笑)。
島国育ちの平和ボンボンな日本人は、こういった浪花節的なフレーズにとても弱い。選手も口が裂けても熱血コーチに向かって、”信じる者はアホを見る”とは言えない。
しかし、”信じる者は救われる”の言葉は果たして本当だろうか?オリンピック自体が虚構の祭典だとしたら?
ホモサピエンスが虚構をベースに大繁殖した様に、現代のネット社会がフェイクニュースを土台に繁栄した事実が無視できない様に。
かつて、地球の周りを太陽が周るという”天動説”は、広く長くそして、堅く信じられてきた。そして、それは神学と結び付き大きく繁殖する。お陰で、中世ヨーロッパの民は天動説を信じて疑わなかった。
しかし、コペルニクスやブラーエ、ケプラーの登場により、長く信じられてきた筈の”天動説”は”地動説”に置き変わり、今ではこの”地動説”こそが、広く信じられるべきものとなっている。
長く広く信じてきたものが崩壊する時、時代と人は不思議と冷酷になれる。そして、いつもと同じ様に、時と人は自然に流れていく。
そこで、再び堀ちえみが登場する。
”機長、私何を信じていいのか?今身体がとっても寒いんです”
機長に迷いは全くない。
”オレを信じるんだ!オレは天動説でも地動説でもない。生身の熱い肉棒?だ。さあ〜、触ってごらん”
”駄目です機長!そんな事、絶対に出来ませ〜ん”って、エロい会話が聞こえてきそうだ(笑)。
つまり、信じてた事は嘘だったのだ。天動説が破棄された歴史的事実を直視すれば、”信じる者は見事に捨てられた”という事になる。
しかし、捨てられても人は再び何かを信じようと何かに縋る。信じては救われ、信じては捨てられ、その積み重ねの過程で人は大きく成長し、進化する。
アインシュタインがニュートン力学を否定したお陰で、相対性理論が生まれた(”アインシュタイン•ストーリー”参照です)。
我らサピエンスは虚構のお陰で大きく繁殖し、その虚構を覆す事で生き延びてきた。つまり、信じてきた事を次から次へと覆し、知を開放する事で、大きく進化してきたのだ。
知と信仰は対極にあるのかも知れない。
そういう私は子供の頃、”河童伝説”を固く信じていた(笑)。しかも、それは「信仰」に近かった。でもそれは、明らかな子供だましの幼稚な嘘でもあった。
河童伝説に捨てられた私はそれ以来、信仰を失った様な気がする。
しかし、宗教やスポーツなどの分野では、未だに”信じる事は救われる”のだ。
今、ローマ法王(教皇)が38年ぶりに来日している。哀しいかな、今となっては話題にもならない。唯一話題となってるのは、”聖職者による児童への性的虐待”の真実だけだ。
38年前と言えば、私が高校の頃だった。あの頃は結構な騒ぎとなったのを覚えてる。ある者は発狂しかけ、そしてある者は突然、詭弁に強弁になった。
ローマ教皇は、核廃絶を強く訴えてはいる。しかし、偽善者の詭弁にしか聞こえない。
これ程までに自然科学の考えが進歩し、人間の”知”が開放された高度で複雑な現代社会において、神の存在をどれだけの人が信じる事が出来るのか?勿論そういう時代だからこそ、神を信じれるのだが。
”信”から”知”へ、確実に歴史は動きつつある。
そういう私は無神論だが、毎日朝と夜は必ず、神棚と仏棚にお茶とご飯(おかず)を上げる様にしている。お菓子を買っでも必ず上げる様にしてる。勿論、神や仏を信じてる筈もない。
でも、存在しない神や仏も腹は減るだろうと思いたいからだ。神や仏も我々と同じ生き物だという事。つまり、これも自己満足の為ではある。
これは、カルバン主義のユートピア思想によく似てる。この大ペテン思想は、自分の都合のいい様に解釈する事で、”自己満足”という偽善ではあるが、自由で合理的信仰を育んできた。
戦争で大量殺戮を故意に犯したとしても、神が許してくれると信じ込めば無罪になれる。これほど都合のいい宗教や信仰もない。どうりでアメリカが、僅か200年で”世界の警察”に君臨できた訳だ。
核廃絶を真摯に訴えるローマ教皇も、”聖職者による性的虐待”が世界レベルで深刻な問題となってる事に注意を向けられると、流石に返す言葉がない。
”教皇と言っても生身の人間だぞ!持つモノは持ってんだから仕方ないじゃないか💢”とは、口が裂けても言えない。
信じてきた神父に、侵された子供は何を信じればいいのだろうか?
事実、”隠された被害を法王にも知ってほしい”と、性的被害にあった被害者はカメラの前で訴えた。
日本カトリック司教協議会の内部資料では、国内で延べ21件の性的虐待が、内部調査で報告されている(”スポットライト〜世紀のスクープ”も参照です)。
それでも聖職者は、”信じる者は救われる”と偽善者の詭弁を我々は繰り返すのか?
最近元気ない私ですが、少し元気もらいました。
登場人物はホワイトとブルーとブラック。ホワイトは探偵のブルーにブラックを監視するよう依頼され、ブルーはブラックをひたすら見張り続けます。
やがてブルーはブラックの正体がホワイトで見張られてるのは自分だという事に気づきます。
転んだサンも実は亡霊ブログを装いながら、ネット上の大海に漂うもう一人の自分を監視してるのかもしれませんね。
この作品もブログにしたいですね。
paulさんの推測通り、亡霊ブログとしたのはこの作品が参考になってます。幽霊者と亡霊ブログでお似合いかと(^^♪