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松本清張と「帝銀事件」〜人気小説家の推理は正しかったのか?

2023年04月28日 15時43分04秒 | 読書

 帝銀事件が起きたのは、連合国軍の占領下にあった1948年。帝国銀行・椎名町支店に厚生省技官を名乗る男が現れ、”近くで集団赤痢が発生したので予防薬を飲んで欲しい”と銀行員らに液体を飲ませ12人を殺害。逮捕され、死刑判決を受けた画家・平沢貞通は無実を訴え続けるも、獄中死した。
 実は捜査の当初、警察が追っていたのは軍関係者であった。GHQが警察や報道機関に影響力を持ってた当時、松本清張は丹念かつ緻密な取材で、事件の壮大な闇に分け入っていく。
 そして清張の死から30年、NHKの取材班がたどり着いた知られざる真実とは・・・

 NHKスペシャルでは、未解決事件シリーズ(第9弾)が放送されていた。
 一見すると、”松本清張が正義で検察が悪”という縮図にも思えたが、事はそんなに単純だろうか? 
 勿論、冤罪事件は今には始まった訳でもないが、生身の人間が行う捜査に限界があるのも確かである。
 事実、帝銀事件でも警察や検察の捜査に問題があった事が世の中では派手に強調された結果となったが、実は(こんな戦後の混乱期でも)ちゃんとした捜査が行われていた事も事実である。
 帝銀事件の捜査を担った高木検事のインタビューや、彼からの取り調べを受けた平沢容疑者の告白を見れば、松本清張の憶測が事実とは異なる事もよく理解できる。更に、帝銀事件冤罪の立場による日本映画が取り調べの事実関係を履き違えてる事もよくわかる。


戦後最大の黒い事件簿

 戦後混乱期のGHQの占領下で起きた事件である事から、GHQや旧陸軍の731部隊の関与など、”未だに多くの謎が解明されてない”とされるが、果たしてそうだろうか?
 事実、帝銀事件を帝銀事件だけの視点で見れば、日本人が大好きな様々な陰謀説が次々と溢れ出てきそうだ。
 が、「白鳥事件」と「帝銀事件」をセットにして考えると事件の本質が見えてくる。
 つまり、この2つの事件の共通点は、高木一検事と松本清張という2人の人物が大きく関わっていたという事。
 因みに、白鳥事件とは1952年1月に札幌市で発生した、日本共産党による警察官射殺事件で、日本共産党札幌軍事委員長であった村上国治が主犯格として逮捕され、63年10月に懲役刑が確定した。この時も一般市民から冤罪の声が強まったが、最高裁から棄却された。

 松本清張は(冤罪の立場から)両方の事件とも”GHQの陰謀”と声高に主張。一方で、高木氏は両方の事件とも”単純な強盗殺人”として淡々と扱った。
 事実、白鳥事件にては、清張の見立てが間違いで、高木の方が正しかった事が立証されている。
 私が人気小説家だったら、帝銀事件も松本清張が話を盛ってるだけで、帝銀事件は高木氏が言った通り”単純な強盗殺人を真っ当に捜査した”だけの事件であり、(多少の疑問は残るが)”犯人は平沢”という事に落ち着けるだろうか。

 因みに、逮捕後、自白と否認を何度も繰り返し、更には自殺未遂まで起した平沢容疑者だが、彼が犯行当日、池袋駅から電車で椎名町まで行ったとすれば、アリバイは明らかに成立しない。故に、(松本清張の指摘の様に)”雪だったので歩いて”というのは明らかにおかしい。事実、現場まで池袋から電車に乗れば数分で着く。
 これは、帝銀事件を調べた米国人ジャーナリストでの「帝銀事件の真実」(1987)の著者でもあるW・トリプルレットが指摘してる事でもある。
 こうした松本清張の浪花節的な推理は、日本人には通用しても、論理思考の外国人には通用しないのではないか。

 確かに、NHKスペシャルでも松本清張や平沢容疑者の人物像、それにGHQや旧陸軍の秘密組織ばかりに焦点が当てられ、検察側の正当性や平沢の告白の曖昧さや狂人性や狂言については、大半が省略されている。
 事実、平沢が持っていた大金は銀行で盗られた相当額との事だが、その金の出処は警察も平沢側も立証できていない。NHKもそこを突っ込もうとはしない。
 平沢は、被害総額とほぼ同額を事件直後に偽名で家族宛に預金したが、その金の在り処は最後まで明かさなかった。更に、強奪小切手換金時の偽名の裏書きの筆跡が平沢容疑者のものに酷似していたという鑑定結果と、帝銀事件の生き残りの行員の証言と同じ顎の疵跡が一致した。
 これだけでも平沢容疑者が犯人である事は疑いの余地がない筈だが、NHKでは紹介されてはいない。
 つまり、冤罪事件もこの帝銀事件も、あたかも強引な自白と脆弱な物証のみで死刑判決が出た印象を与えるが、「名張ぶどう酒事件」にしても、状況証拠が犯人である事を明白に示していた。 
 数学的に言えば、99%は100%そのものではないが、100%に限りなく近い。しかし、0%には程遠い。いや、別モノである。つまり、0%が無罪で100%が極刑だとすれば、平沢容疑者は(死刑には該当しなくても)それに近い有罪である。


平沢容疑者の大きな謎

 帝銀事件の謎と言うより、平沢貞道の謎として眺めた方が、この事件の本質を見抜く事が可能になる。
 そこでウィキを参考に、平沢容疑者の曖昧な供述を注意深く考察していく。
 平沢は1948年8月21日に逮捕後、警視庁での送致前の取調べで一旦は(幻の)自白をした。が、送致後の検事による取調べでは否認し、後に自白→再度の否認と、二転三転する。

①幻の自白
 8月23日夜、東京に到着して最初の取調べで、平沢は謎の大金の入手先について次々と嘘を並べたてたが、(全てを調べ尽くしてた)担当刑事には全て通用しなかった。平沢は観念し、”何とも恐れ入りました。申訳ありません。帝銀の犯行は私であります。御手数かけて申訳ありませんでした・・・詳細は後に述べさして頂きたい”と自白。しかし、その直後に居木井らが外され、送致後に高木一検事が直接に取り調べるという前例のない事態になった為、”幻の自白”となった。
②自殺未遂
 8月25日早朝、平沢は留置場内で、ガラスペンで左手静脈を突き刺す。
③送致後に否認
 高木一による取調べを受けた平沢は、当初、帝銀事件及び2つの未遂事件に自分が犯人である事を否認した。が、自分が偽名で預金した謎の大金の出所は高木に説明できなかった。
 8月29日、高木は別件の「日本堂事件」について尋問を始める。平沢は銀座の日本堂時計店の詐欺未遂事件の犯行を否認。しかし、9月1日、日本堂事件について動かぬ証拠をつきつけられた平沢は、自分が犯人(未遂)と認め、”どうか自殺させて下さい。日本堂の事でとても生きていられませぬから今迄何にもかも嘘を云って来て申訳ありませぬ”と述べた。

④2度目の自白
 9月23日、高木は犯人の顔を見たという警察官Iに平沢の顔を見せた。Iは”間違いありませぬ”と高木に耳打ちする。この日から平沢は少しずつ帝国銀行での犯行の自白を始めた
 一度は否認した平沢だが、9月27日に再び自分の犯行だと認めた。
 因みに、UPI通信社の特派員らが、自白した平沢への約1時間に渡る独占インタビューを行った。平沢は英語で”警察は自分を礼儀正しく扱い、自白を引き出そうとして拷問的手段を用いる様な事もなかった”と強調し、検事の高木一を”彼はハイエストクラス・ジェントルマンであり、私は高木検事を心の友と思ってるぐらいであります”と賞賛した。
 事実、平沢の精神鑑定書によれば、”平沢の精神状態は全部自白した後には前と比べて明らかに平静となり、熟睡してる事が認められる”とある。
 10月8日、平沢の身柄を小菅の拘置所へ移管。平沢は移送中の車の中で、同乗した捜査本部の鈴木清に対し、”私は捕ったお陰で真人間になる事が出来ました。自分の手に掛かって死んだ12名の帝銀の犠牲者に仏画を描いて差し上げ、冥福を祈り、お詫びしたいと思います”と述べ、心から改悛した様子を見せた。
 鈴木は旧軍関係者捜査班の主任だったが、ここで平沢が真犯人だと確信する。

 10月8日と9日に、高木の上司であった検事の出射義夫が小菅の拘置所に赴き、全てを白紙に戻すつもりで取調べを行い、調書を取る。
 ”高木君は無理な調べをしたかね”
 ”高木さんは紳士です。私の友達です。留置中に進駐軍の人が来て、調べに無理はないかと言ったので、高木さんはゼントルマンだと言ってやりました”

 その出射氏も、平沢の事を”普通なら、犯した罪業に恐れ戦くか、または(冤罪であれば)七転八倒の思いがあって当然なのに、何らの感動を示さない。実に不思議な男だ”と回顧している。
 出射氏の著書「検事の控室」(1986)の中では、神ならぬ法曹が目の前の人間が犯人か冤罪かを見極める本質的な難しさを述べ、”私が問題にしたいのは、人を裁く事が如何に難しい仕事であるかという事である・・・判決は所詮は人間のわざなのである”と正直に語っている。   
 10月12日、平沢容疑者は殺人罪で起訴される。

⑤再度の否認
 12月10日の裁判開始の直前、平沢は自白を撤回し、帝銀事件および2件の未遂事件について無実を主張し、再び否認に転じた。
 彼は”・・・やっと催眠術から醒めたのです”と述べている。裁判の開始後も平沢は否認を続け、死刑確定後も自分は冤罪であると主張した。
 因みに、平沢の弁護人の山田義夫は、小菅拘置所に移管されてから1週間目の平沢の様子を次のように述べた。
 最初に平沢は”私は犯人でありません”と言った。その後、”それにしても細かい事を答えるぢやないか”という私に、”教えられれば何でも答えられます”と言う。次いで”しかし私は今は結構楽しいのですよ。夜になると仏様が毎晩来て歌の遊びをするのです。私はもう現し身でなくて仏身なのです。だから頼まれれば何にでもなります。帝銀犯人にでも何にでもなりますよ”と言った。
 その瞬間たちまち彼は犯人になったらしい。眼を光らせ”私は帝銀犯人だ”と言った。”さっきの話と大分違うようだが”と言う私に、”いいえ私がやりました、荏原も椎名町もやったんです”と断言した。
 その怪しい無気味な彼の目付きから、私は彼は狂っていると直観した・・・


最後に

 以上、長々と平沢容疑者の狂言とも思える供述を紹介しましたが、これだけでも彼が犯人であるのは明白な気もしますが、彼がやったとされる100%明確な証拠がある訳でもない。
 結果的には推定有罪の形となったが、冤罪を疑うのであればキリがない。
 因みに、平沢は過去に銀行相手の詐欺事件を4回起こし、出所不明の現金を持っていたのが有罪判決の決め手ともされる。
 一方で、虚言癖や記憶障害をもたらすコルサコフ症候群(狂犬病予防接種の副作用)にかかっており、”自白は虚言ではないか”との指摘もあるが、平沢は狂犬となった飼い犬を殺した後から”既に狂人になっていた”と指摘する声もある。

 ただ不思議なのは、松本清張が何ら疑う事もなく、平沢容疑者を”犯人ではない”と断定した所にある。松本は平沢の負の側面には何にも触れずに、無罪を主張し続けた。これは平沢が獄中で無罪を主張し続けたのとよく似ている。
 画家と作家の違いはあれど、お互いに日本を代表する歴史的な芸術家である。論より情けではないが、尊敬と無念もあったろうか。しかし、軽薄過ぎたと思えなくもない。
 更に、松本清張は平沢の出所不明の現金を”春画などで得たもの”と推理してるが、これにも明らかに無理がある。冤罪においても、死刑制度反対の立場から主張したもので、”平沢が犯人ではない”という論理的な考察がある訳でもない。自著「小説帝銀事件」と”小説”が頭に付くのも、その曖昧で主観的な推理のせいでもあろうか。
 自分と同じ人種を”死刑如きで葬り去られて溜まるか”っていう憤りもあっただろう。
 故に、大衆を扇動できる大きな影響力を持つ松本清張ならではの、小説家としての運命を賭けた最大のパフォーマンスでもあったのかもしれない。

 そういう意味では、松本も平沢と同じく謎の多い人種と言えなくもない。



4 コメント

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犯罪と判決 (UNICORN)
2023-04-28 20:41:09
”判決は所詮は人間のわざなのである”のなら
犯罪も人間のわざなのである。
罪を犯した者を裁くという行為はしばし矛盾を招くが、人が罪を犯す確率に比べればずっと低いであろう。
罪を犯すのは簡単だが、その罪人を裁くのは難しいというのも、少し矛盾してる様に思えた。
もしそれが真実なら、罪を犯した方が有利となるではないか。

数学と同じで
難題を提起する側は、その難題を解く側よりもずっと有利である。
結局、出射氏は当り前の事を言ってるに過ぎない。故に、当り前の様に殺人事件として取り調べ、当り前の様に判決を下した高木氏は真っ当な正義を下したと言える。 
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Unknown (1948219suisen)
2023-04-28 21:59:52
今回の記事も力作ですね。

読ませてもらって、私は和歌山カレー事件を思い出しました。

死刑判決の出た林真須美は現在も冤罪を主張していますね。実際決定的な証拠がないとも言われていますし…。
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UNICORNさん (象が転んだ)
2023-04-29 04:27:05
確かに
冤罪を言うんであればキリがない。
しかし、冤罪が起きてるのも事実で、現実に冤罪は起きています。
冤罪か?冤罪でないか?
ここら辺の境界線が微妙なんですが
どこかで思い切り線を引かないといけない。
容疑者は冤罪をチラつかせ、罪から逃れようとするし、検察側は自白を元に動かぬ証拠を突きつけようとする。
ただ、平沢容疑者の場合は、他にも未遂事件の罪が立証されており、状況証拠とは言え、犯人である確率は100%とは言えなくとも、それに近いんですよね。
難しいと言えば、それまでなんですが、単に難しいという事だけで逃げて欲しくない気もします。
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ビコさん (象が転んだ)
2023-04-29 04:32:39
私思うんですが・・
最近は冤罪という免罪符を使って極刑を逃れる、極悪非道の犯罪者が多い様な気がします。
つまり、冤罪を主張すれば、大衆やメディアの支持が得られる。
基本的にはですが、大衆は極悪犯罪者よりも知能が低い(多分)から簡単に騙される。
平沢容疑者も一旦は自白したものの、冤罪を主張し続けますが、正直言って”時既に遅し”でした。
バカが狂うと殺人鬼になるの典型かもですが、「和歌山カレー事件」の容疑者の女も狂ってるような目をしてましたよね。
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