~ 風の伝説 ~

プライベートの趣味ブログです♪
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全英オープンゴルフ開幕(7/20~23)

2006-07-21 | News & Diary
全英の歴史
今年の大会で135回目を迎える全英オープン。その歴史はゴルフトーナメント史上最も古く、これに続く開催を行っている全米オープンの106回を大幅に上回る開催数となっている。第1回大会が開催されたのは1860年。コースはスコットランド西海岸にあるプレストウィックGC。この時のチャンピオンに輝いたのはウィリー・パークSr。トム・モリスSrに2打差をつけた勝利だった。このときチャンピオンにその証として贈られたのは“チャンレジベルト”と呼ばれる銀のバックルがついたベルト。これはプレストウィックのメンバーによって寄贈されたものだった。
 1871年の大会未開催の年を挟んで1872年まではプレストウィックでの開催が続き、その後はセントアンドリュース、マッセルバラと合わせた3コースでの開催が行われるようになる。1892年にはこれまでの3コース以外のコースで初めて開催された。場所はミュアフィールド。初めて2日間で4ラウンドの競技が行われることになったのはこの年からだ。
 今年開催されるロイヤルリバプールでの最初の開催は1897年、このときの優勝者はアマチュアのハロルド・ヒルトンだった。その後、同コースでの開催は計10回行われたが歴代の優勝者として名を残している選手の中にはマスターズの創始者としても知られる、1930年のチャンピオン、ボビー・ジョーンズもいる。

 大会開催が無かった1871年以降、開催されない期間が2度あった。第1次世界大戦期間中の1915年から1919年と第2次世界大戦期間中の1940年から1945年だ。戦後に入り、1950年代の大会で顕著な活躍を見せ、欠かすことの出来ない選手はアーノルド・パーマーとジャック・ニクラス。1961年、1962年のパーマーの連勝や1966年のミュアフィールドで初めての優勝を飾り、その後、計3回の優勝を記録した二クラスがこの大会のメジャーとしての価値を高めたといえる。

 その後は1975年の初優勝のトム・ワトソン、1979年初優勝のセベ・バレステロス、1987年に初優勝のニック・ファルドなど時代ごとに“最強”と呼ばれた選手たちの活躍があった。そして現在“最強”の名を引き継いでいるタイガー・ウッズは昨年の大会で2度目のチャンピオンとなり、今年は連覇をかけてロイヤルリバプールに乗り込んでくる。



ロイヤルリバプールG.C.
1878年、当時わずか16歳だったボール(Ball)は、セント・アンドリュースのボブ・マーティン(Bob Martin)と並んで4位タイで全英オープンを終了した。彼は、翌日行われた、4位を争うプレーオフに負けはしたものの、賞金が支払われた。

 賞金はたった1ポンドであったが、ジョン・モリス(John Morris)は若いジョン・ボール(John Ball)に、受け取るように勧めた。この出来事により、7年後にボールが全英アマチュア選手権にエントリーしたいと考えていた際、ボールを悩ませた。ボールは賞金を受け取ってしまった為、理論的には「プロフェッショナル」となってしまっていた。しかしながら、外交的にルールを調整し、ボールはプレー出来る事になった。

 ボールは、同じくホイレイクでプレーしていた、ハロルド・ヒルトン(Harold Hilton)と一緒に、アマチュア・ゴルフに影響を与えた。これは強調し過ぎではない。彼らの間でアマチュアの試合は独占し一時代を築き、プロの試合にも影響を与えた。彼らは二人共、全英オープンで優勝している。

 ジョン・ボールは1888年から1912年の間に、全英アマチュア選手権に8回優勝し、2度2位になった。1890年には全英オープンで優勝したが、これは英国人として、そしてアマチュアとしては初めての快挙であり、全英アマチュア選手権優勝と同じ年に全英オープンに優勝したのも彼が初めてである。

 ハロルド・ヒルトンの記録は、ただ素晴らしいの一言である。彼は全英オープンに2度優勝した。1892年(この年に初めて全英オープンは72ホールで争われた)と、その5年後の2回である。彼は、ジョン・ボールとボビー・ジョーンズの他には只一人の、アマチュアでの優勝者である。

 ヒルトンは、全英アマチュア選手権に4度勝利し、3度2位となった。そして、1911年には、全米アマチュアに優勝したが、その時彼は全英アマチュアの覇者でもあった。彼は、その年に刊行された、月刊ゴルフ雑誌の最初の記者でもある。

 ヒルトンとボールは達人だったが、ジャック・グラハム(Jack Graham)もホイレイクの選手であり、彼も主要な選手として、評判を博した。

 1930年、ボビー・ジョーンズが、同じ年にアメリカ・イギリス両方のアマチュア選手権とオープン選手権を優勝する、2度目の「グランド・スラム」を達成したのは、ホイレイクの地であった。彼はこのすぐ後に、ゴルフ界で征服するものがなくなり、28歳の若さで現役を引退した。

 ホイレイクで今まで、10回の全英オープンが開催された。これらの全英オープンの間に、アーノルド・マッセー(Arnaud Massey)【1907年】、J.H.テイラー(J.H.Taylor)【1914年】、ウォルター・ホーガン(Walter Hagan)【1924年】、フレッド・ダリー(Fred Daly)【1947年】、ピーター・トムソン(Peter Thomson)【1956年】と、ロベルト・デ・ビセンツォ(Roberto de Vicenzo)【1967年】がトロフィーを手にした。

 ホイレイクは、技術と勇気の両方が必要なコースであり、無規律なショットはひどい目に合う。伝統的に優雅で、草分け的なクラブは、現在も国内・国際の大会の会場として使用されており、ホイレイクは、素晴らしいイギリスのコースの一つである。


中継カメラは“セグウェイ”...全英オープンにて

“暑中”と“残暑”についての豆知識

2006-07-21 | News & Diary
暑中と残暑の違い
「暑中」は二十四節気の「小暑(しょうしょ)」と「大暑(たいしょ)」にあたる期間です。

暑中に出すお見舞いの書状なので「暑中見舞い」となります。梅雨が明けた後、夏の土用(立秋前の18または19日間)の期間に送る慣わしがあります。

二十四節気の「大暑」の次の節気は「立秋(りっしゅう)」です。立秋からは暦の上で秋になり、秋になっても残っている暑さなので「残暑」となります。
実際には猛暑が続いていても、立秋以降は暑さの度合いにかかわりなく「残暑見舞い」とします。

2006年の暦では、小暑は7月7日、大暑は7月23日、立秋は8月8日です。夏の土用は7月20日~8月7日です。

暑中見舞いを送る時期は?
<暑中見舞い>
小夏(7月7日頃)~立秋(8月7日頃)の前日までの間。
一般的には、梅雨が明ける大暑(7月22日頃)から立秋までの間に出します。

<残暑見舞い>
立秋を過ぎると、暦の上では秋。従って、残暑見舞いに変わります。
いくら残暑が続いても、出すリミットは8月末迄です。