予防法務の中心的活動であるコンプライアンスについては,2つの考え方があるように思う。それは,コンプライアンスを実践すべき目的は何であるかということに遡る問題なのだが,現実のコンプライアンス活動の外形を定義付ける意義を有していると思われる。
企業法務活動,その中でも特に予防法務にコンプライアンスを関連付けるとき,それは必然的に企業の活動にとって有意でなければならない。企業は,通常,営利を目的としており,従って,利益の増大に資するということが企業の活動にとって有意であるとしてコンプライアンスを実践する1つの目的になる。
もちろん,多くの場合コンプライアンス活動が直接利益を生み出すことは考え難く,むしろ,損害の発生を防ぐというリスクマネージメントを行うことで結果的に利益の増大に「資する」ということになるのだと考えられる。
一般的には,なぜコンプライアンスが必要であるかを語るとき,このような経済的発想を基礎に置くことが多いように感じる。
しかし他方,企業を社会的存在として把握して,企業の社会的責任を果たすためコンプライアンスは行われるべきという考え方もある。コンプライアンスの目的を倫理的ないし道徳的発想に基づいて考える方法である。そこでは,企業の社会性が強調され,コンプライアンスは単に一企業の利益のためではなく社会全体の利益のために行われるべきということになる。
コンプライアンス活動として何をする必要があるのかを考えるとき,このようなそもそもの目的をどのようにとらえるかで,その範囲や内容が大きく異なりうると思う。
例えば,コンプライアンスの目的を倫理的発想に従って考えていくと,必然,反倫理的活動を防止することはコンプライアンス活動としてなすべきことである。しかし,企業の利益という経済的発想に従って考えていくと,たとえ反倫理的活動であっても,それが企業にとって損害を生じさせるおそれがない限りコンプライアンス活動として防止する必要はなくなることになる。
企業法務活動,その中でも特に予防法務にコンプライアンスを関連付けるとき,それは必然的に企業の活動にとって有意でなければならない。企業は,通常,営利を目的としており,従って,利益の増大に資するということが企業の活動にとって有意であるとしてコンプライアンスを実践する1つの目的になる。
もちろん,多くの場合コンプライアンス活動が直接利益を生み出すことは考え難く,むしろ,損害の発生を防ぐというリスクマネージメントを行うことで結果的に利益の増大に「資する」ということになるのだと考えられる。
一般的には,なぜコンプライアンスが必要であるかを語るとき,このような経済的発想を基礎に置くことが多いように感じる。
しかし他方,企業を社会的存在として把握して,企業の社会的責任を果たすためコンプライアンスは行われるべきという考え方もある。コンプライアンスの目的を倫理的ないし道徳的発想に基づいて考える方法である。そこでは,企業の社会性が強調され,コンプライアンスは単に一企業の利益のためではなく社会全体の利益のために行われるべきということになる。
コンプライアンス活動として何をする必要があるのかを考えるとき,このようなそもそもの目的をどのようにとらえるかで,その範囲や内容が大きく異なりうると思う。
例えば,コンプライアンスの目的を倫理的発想に従って考えていくと,必然,反倫理的活動を防止することはコンプライアンス活動としてなすべきことである。しかし,企業の利益という経済的発想に従って考えていくと,たとえ反倫理的活動であっても,それが企業にとって損害を生じさせるおそれがない限りコンプライアンス活動として防止する必要はなくなることになる。