夕陽丘

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◆書評 再読:マキアヴェッリ語録(塩野七生)

2006年01月13日 23時55分27秒 | 日記・書評
 何年か前に読んで以来書棚に放置していた,塩野七生さんの「マキアヴェッリ語録」を再読した。

 この本は,著者が記すように完訳でもなく要約でもなく解説でもない,マキャベリの著作の抜粋というスタイルをとっている。この点は「ドラッカー 365の金言」と同様,著者の思想のエッセンスを容易に理解することができるのでありがたい。

 いうまでもなくマキャベリは,ルネサンス期の著名な政治思想家であって,彼の思想は,時としてマキャベリズムとして批判の対象となる。曰く,卑劣な権謀術数であるとして。しかし,そうだろうか? マキャベリの思想は優れて現実的であって,生の人間の有り様から政治思想を見出したに過ぎない。もしそれが卑劣だというならば,人間そのものの有り様が卑劣ということになりうる。

 マキャベリ自身が言っている。「わたしがここに書く目的が,このようなことに関心をもち理解したいと思う人にとって,実際に役立つものを書くことにある以上,想像の世界のことよりも現実に存在する事柄を論ずるほうが,断じて有益であると信ずる。」「人間いかに生きるべきか,ばかりを論じて現実の人間の生きざまを直視しようとしない者は,現に所有するものを保持するどころか,すべてを失い破滅に向かうしかなくなるのだ。」

 マキャベリの思想は,多くの人がそれぞれの目的に向かって活動し交渉する現実の中から形作られた普遍的な人間の技と理解すべきだろう。つまりそれは,客観的な技術としての思想であり,倫理や道徳といった価値に対しては中立的であると理解できるのではないだろうか。そうだとすれば,マキャベリが倫理や道徳を軽視していたと考えることは誤りだとわかる。

 そこから一歩進めれば,むしろ倫理や道徳を重んじる者は,進んでマキャベリの思想を客観的に,つまり技術として会得するべきかも知れない。なぜならば,技術そのものに善悪は無く,善悪はそれを用いる人の心にあるからだ。マキャベリはいう。「善を行おうとしか考えない者は,悪しき者の間にあって破滅せざるを得ない場合が多い」と。もしあなたが善を行いたいと思うならば,マキャベリを通して人間の生の姿を知るべきだ。そうすることで,あなたは善の意思を保持しつつ人の技を知ることができる。


 などと思索に耽ってしまうほど,奥の深い本である。いい本は何度読み返しても意味がある。そのことを実感させてくれる1冊でありました。

塩野七生 著
マキアヴェッリ語録


新潮社

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