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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

「モラル」: 日本が大きく変化した1980年代前中期

2008年02月01日 03時24分20秒 | ベビーブーマー
[個人史]: 特質 気質 性質 ミッション(使命) / 子ども
※ 個人史記録を急ぐ

<モラルの低下と子どもの環境破壊>
1980年代当時の社会変化について、 その将来への影響を計り知れなかった為の結果が 現在の日本社会の実情であることには間違いがない。
社会モラルの低下が ここまで子どもたちを囲む環境の悪化に繋がるとは 予想(計算)も出来なかった。

<残っていた伝統的モラル>
1980年代前期には、私の職場の中にも 女性とのつきあい方を真剣(真面目)に考える男性社員は多くいた。
ずっと以前から 女性の方が 精神的にも大人だったとはいえ、 男性たちの(こころの)中には 『責任』 が大きな比重を占めていた。 純な男たちが多かったから 「○○さんとキスをした。 結婚する!」 との感覚は、 それを耳にしても特別なものではなかった。
『女性を不幸にしないことへの「責任」』 が、 純な男性たちに深く刻まれていたからだ。

<親が守ったものを否定する『改革・革命』>
日本がバブルに向かう好景気のなかで 萎縮する世代 があった。

(成功者の息子たち): 軍需景気に沸く日本と、世界戦争をも経験した 社会的リーダーたち が、 自分の組織(企業・利権等)を引き継ぐ 息子たち(戦争を知らない世代)だ。

親世代は 戦中の従軍者を社員として一緒に、 学歴は無くとも 一代で大企業に育て上げた実力の持ち主。
戦後は 教育が一番と 息子に高等学歴を身につけさせるが、 息子たちは 人間的/人格的 にもなんとも頼りない。 職場でも同居の自宅でも 何かと カミナリ が落ちてそんな様子を見られてしまう自分の家族に 面目が立たない。

若いときから 「いつかあの 『ガミガミ親父』を見返してやりたい」 という願望ばかりが頭をよぎるのである。

(続)

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03/14 「モラル」: 日本が大きく変化した1980年代(1)『女性軽視』
02/01 「モラル」: 日本が大きく変化した1980年代前中期 ・・・ 本記事
*02/28 [戦争を知らない世代] 初期世代は団塊よりもさかのぼる

<団塊世代退職関連>親から子(ジュニア)世代への権威継承

2007年03月27日 09時54分07秒 | ベビーブーマー
OBらが教授として技術伝承=帝人がテクノカレッジ設立 (時事通信) 3月26日20時1分配信
【記事全文】 *帝人 <3401> は26日、「2007年問題」と呼ばれるベテラン社員の大量退職時期を迎え、知識や技能、技術を伝承し、現場リーダーを育成するための「帝人テクノカレッジ」を4月に設立すると発表した。テクノカレッジは、帝人グループの管理職OBを中心に構成する約20人を「教授」に任命。年約80人の30―40代の現場リーダー候補を教育する。今後5年間で400人を育成する。 
[記事原文]

60歳定年の団塊世代管理職OB が教えると言う 30代~40代 世代とは 自分の子(ジュニア)世代であろう。 まさか 40代の中後半になっても 管理職能力 が身に付かない社員を再教育するなど愚かな事を考えているわけでもあるまいが..。

ネタもあるから記録しておく。

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03/21 <改革(他人頼み)世代> 一歩足踏みの必要性

<改革(他人頼み)世代> 一歩足踏みの必要性

2007年03月21日 23時31分33秒 | ベビーブーマー
改革を唱える世代が 社会のトップにいるからこそ 現在は、慎重になるべきだと云いたい。

数年前から 戦争を知らない世代 が日本社会のトップに座してきた。 戦後日本の社会構造が変化し、高度経済成長への転換期に 新しい概念の日本文化を享受してきた世代である。

残念ながらと言うべきか、彼ら戦争を知らない(初期)世代には 長年乗り越えられない 『カベ』 があった事を忘れてはならない。 戦争を知らない初期世代の 社会的リーダー達は その 『カベ』 を壊す事に人生の大半を費やしてきたとも言える。

だから 『革命』 であり 『改革』 の言葉には 強く共感するのであろう。

だが いまや古参となった彼らリーダーたちが 数年前から ようやくその地位を得てきたときには、自分自身で作り上げた成果(歴史)がなく、 自ら戦い続けてきた 『カベ』 が自分たちに遺した 遺産 を受け継ぐに留まった。

自分自身で作り上げた成果が無く、自分を押さえつけていたたがが外れたとき、彼らに出来る事とは かつての古き日本社会に復古させることしか出来なくなっていた。
そして自分の地位を安泰に確立するためには、自分の能力を上回る人物さえをも 支配できる社会形成に 腐心せざるを得なかった。 そしてこのチカラ(権力)は、何としても自分たちの子ども(ジュニア)世代に引き継がなくてはならなかった。

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02/28 [戦争を知らない世代] 初期世代は団塊よりもさかのぼる

[戦争を知らない世代] 初期世代は団塊よりもさかのぼる

2007年02月28日 00時26分28秒 | ベビーブーマー
「戦争が終わって僕らは生まれた、戦争を知らずに僕らは育った...」 とギターをつま弾きながら私もよく歌ったものだ。 おかげで 団塊世代が代頭するように戦後生まれだけが 「戦争を知らない世代」 だと 今日に至るまでずっと勘違いしていた。

昭和16年生まれの人物と一週間ほど時間を使い長い時間話し合った。
地方の有力者の家庭に生れた彼の話によると 戦争中の事は 士官を目指していたという父親から聞かされた話しか知らなかった。 出身地である新潟県の一都市だけは 山本五十六 を輩出したとの事で 米軍によって徹底的に攻撃された様だが 自分たちは 疎開していて 爆撃は経験していないようだと話してくれたのだ。

昭和一桁生まれの私の母は 地方で生まれ育ち、爆撃は受けなかったものの敵国機が上空を通過するときには空襲警報が鳴り渡り 防空壕に避難したとか、夜になっても ランプの光りが外に漏れないよう カバーをかけて明りを灯していたと話してくれるが、昭和二桁に入って生まれた叔父や叔母・親戚たちになると 微妙に当時の事は記憶には無い様子なのである。

そもそも人が明確な記憶をたどれるのはいくつ位までか? 5歳? 6歳?
しかも太平洋戦争開戦前に結婚したという東京・山手生まれの お嬢様育ちのご婦人 でさえ 『終戦間近の空襲の時には地方へ疎開していましたから田舎暮らしでノミには悩まされましたが戦争の悲惨さなどは経験していませんの』 と明るく話してくれた。

従って、戦後世代 だけが 戦争を知らないわけではなく 昭和10年代の中後期の戦中生まれもまた戦争を知らない世代と言えよう。

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団塊世代。再考査メモ(5) - 戦後日本の牽引役?

2006年11月20日 17時15分20秒 | ベビーブーマー
先般、もうすぐ90歳に手が届くというものの、活気があり若々しい雰囲気のご婦人にお会いした。第二次世界大戦前に一子、戦中にもう一子をもうけられたがその”子どもたち(60数歳)”も 気が若いのだ との話からいろいろ伺わせていただいた。

昔の日本の様子を伺うのは非常に楽しい。
<戦後日本の牽引役?>
その中で私が 「団塊の世代は戦後日本を牽引した..」と話すとあっさり 「じょうだんじゃないですよ」と一蹴された。「あの子(団塊)たちが社会に出る前に日本はずいぶん良くなっていました。だって うちの子(戦中生まれ)が大学を出たときでさえとても良かったのですから..」 なのだそうだ。

<ガチャ万>
下のお子さん(戦中生まれ)が 大学に行っていた頃には、愛知県に住んでいたという。
その頃は 『がちゃまん』 という言葉があって、織機を”ガチャ!”と動かすと 一万円が入って来たくらいの景気の良さを表していたという。

<進学率>
戦後の進学率を尋ねてみた。
都市部の子ども達は 進学する子が多かったが、地方出身者はだいたい 中卒 で働きに出たから(愛知でも)ずいぶん地方の人が多かった。と、話された。

戦後日本の復興と好景気を 築いてきたのは 地方を中心にした 中卒などの 低学歴の安い労働力 であったのだろうと確信できた。

(以上、伺った話の一部を記す)

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団塊世代。再考査メモ(4) - バブル期前夜

2006年11月15日 17時51分48秒 | ベビーブーマー
< 家庭と職場環境の変化 >
家庭での 夕ご飯は家族一緒が定番だった日本社会 に起こった 「住宅取得ブーム」 の陰で、職場の労働環境にも変化が起こっていった。

1960年代の高度成長期と、その余波を受けた1970年代初頭にも ”モーレツ社員”は一部の職場にはいたが、日本全体からみると まだまだ少数派であった。

1970年代半ばにもなると徐々に 『持ち家願望』 は、マンションより割高な 戸建て住宅を求め、高額な住宅ローンを抱えるようになって行った。 同様に 持ち家取得願望はさらに低い所得層ににも浸透して行き、その結果、女房殿たちは 「残業して稼いで来い」 とその夫の尻を叩き出したのである。(残業収入を考慮したローンが組まれていった)

つまり団塊の夫たちに 『生活残業』 が発生し始めたのだ。※しかしそれでも好景気だから、会社も残業を許していた。●もちろんサービス残業などあり得ない。

会社での残業は徐々に固定化して行き、多くの職場では 就業時間が過ぎても 明りが灯るオフィスが増えて行った。
同時に、多くの家庭の中には 夜遅くなっても父(夫)の姿のない 母子家庭もどき が進んでいったのである。

(続)

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団塊世代。再考査メモ(3) バブル期前夜(序章)

2006年11月08日 21時59分59秒 | ベビーブーマー
【 家庭と教育 】
戦後一貫して発展を続けて来た日本であるが、バブル期を境にして大きく変わったと考えている。

経済バブルが日本を変えたのではなく、この時期の世代交代が大きく影響しているものと考えている。どこに 変化 が起こったのかを考えてみたい。

<都内における家庭の様子>
私が 地方から東京に出てきたのが 1970年代の前中期なのだが、このころはまだ職場等での残業などは少なかったのではないかと思う。真の好景気とは残業無しでも生活に支障が無い時代である。
子供のいる家庭では、父親の帰宅を待って 夕食をともにする家庭は ごく普通にあったものだ。
※ 新聞奨学生だった私が (都内で)夕刊を配達していても、仕事から帰ったお父さんがステテコ姿でお茶を飲みながらくつろいでいる姿はごく自然に見かけていた。

第一次オイルショック(1973年晩秋~)の影響で国内物価が急上昇(便乗値上げ続く)。 沈静化に向かってもまだ 物価は高止まりのままだった。首都圏の新聞代は1100円から一気に1700円に上がったのだ。(新聞奨学生だった私はどれほど客から文句を言われた事か..)
※参考メモ:
中日新聞を親会社とする『東京新聞』は首都圏における値上げを見送り、販売部数を伸ばした。これに怒った読売新聞(当時新聞協会会長)は中日新聞本社のある中部地区で ”中部読売新聞”の値下げを断行。新聞本社同士の争いが、所有球団においても影響し、因縁の巨人・中日戦争が始まったのだった。
・・・・
オイルショックのさなかでも、田中角栄進める『日本列島改造論』の勢いは留まる事を知らなかった。(我々新聞奨学生らにとっても日本社会の『躍進』の雰囲気を感じさせていた)

<住宅ブームの再燃>
景気の安定化とともに、再び住宅(取得)ブーム が巻き起こった。首都圏近県の山々はさらに造成され順次住宅が建設されていった。
地方に飛ばされて からの私の担当は山の中であったが、みるみる造成が進んでいったので新聞配達が大変だった。

(続)

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団塊世代。再考査メモ(2) 再教育の影響か

2006年10月30日 11時21分43秒 | ベビーブーマー
財界、政界、官僚 等々日本の各界において 団塊世代が最年長者 と位置したいま、団塊の親世代の教育 がその影響を表しだしているのかも知れない。

20年ほど前の日本のバブル期には、日本の戦後復興を担った人々はまだ現役世代であった。
老害 』 という言葉さえ有り、当時55歳定年制を表明した本田宗一郎氏の言葉は斬新だと受け入れられたほどだ。
だが結局、日本のバブル不況が致命的になってからようやく、各界のリーダー達は、自分の子、すなわち 団塊世代にその地位を譲って行った。
・・・・・
話題の年代を戻し、日本のバブル期と呼ばれた時期、
戦後の模索する民主化教育で育ち(最高学府で学び)、すでに中間管理職となっていた団塊世代の若きリーダー達は戦争を知っている世代から見ると 軟弱 だった。企業経営を始め 各界のリーダーとしての指導力不足を痛感されていた。

しっかりした(自立した)人間に育てるためにも、『軍事教練』だったか、軍のような厳しい規律の環境の中で 再教育 しなければならないとの社会風潮が起こった。
団塊の親 世代はもちろん、戦後復興を担った世代の切実な思いだった。それだから団塊の親世代はいつまでも現役を離れなかった。

当時の中間管理職や一部新入社員らは、自衛隊の仮入隊(?)で訓練されたり、『地獄の特訓』などというものすごい訓練セミナーの新聞広告が紙面を賑わせていた。

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団塊世代。再考査メモ(1)

2006年10月26日 15時14分46秒 | ベビーブーマー
(もう一度考えてみる)

日本の終戦後、昭和20年を切り取ると 団塊の親世代が見えてくる。
昭和20年という数字自体がキリが良いので判りやすいが、おおむね、明治40年~大正末が 親世代に該当するだろう。
 ・・・・
[補足]日本の戦後復興を担ったのは、
団塊の親世代のみならず、戦災孤児や地方の 若年層(10代前半) を含む世代。すなわち、
明治~大正 ~昭和10年代初頭 に生まれた人々となるだろうか?
 ・・・・
団塊の親世代年齢は重要な意味合いを持つ。
戦勝国米国(GHQ)の指導下で、
日本が民主国家になる以前の日本。すなわち(旧)君主政治(大日本帝国)時代に係わる人物が含まれるのである。

戦前日本には、
政府や官僚、その取り巻きである財閥などの少数の特権階級市民のほか、大多数である一般民衆の『格差階層』が存在していたし、
地方の農村にさえ、大地主と農地さえ持たない小作人 が存在した。

この日本の特権階級層が持つ組織・財産が米国によって解体され、民衆や地方の小作人達にも配分されるのである。
大打撃を受けたのは誰であろう?

【 団塊世代 】
民主国家という新しい時代を迎えた日本では、
インテリ層]戦前・戦中の権力層はもちろん、戦後の混乱で財を得た人々を含め、財政的に余裕のある家庭または教育の重要性を認識できた家庭は、自分の子らに対する高度教育を目指した。この子たちが 団塊世代のインテリ(大学)層 である。
社会に出て行くのは、1968年(昭43)~1973年(昭48)頃くらいか?

対して、
労働者層]地方を中心に、一般市民の子たちは 義務教育を終える(15歳位)とすぐに
団塊の親世代と共に戦後復興を支えた昭和一桁世代の働く社会に参画して行った。 団塊世代の労働者層 となる。
社会に出て行くのは 1962年(昭37)~1967年(昭42)頃となるだろうか。


【 年齢速算表 】
・団塊の親世代: 昭xx年: xx +1 ~ +16(歳)
・若年復興世代: 昭xx年: xx -12 ~ -0(歳)
・団塊世代年齢: 昭xx年: xx -21 ~ -16(歳)
※面倒か...。

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団塊世代。その構造を理解する(6)

2006年10月06日 16時25分48秒 | ベビーブーマー
正直に云えば、団塊世代は職場内において「叩かれ役」の社会就業にさらされて来たのではないか?と思っている。

【 中学卒の団塊層 】
戦後20年近く経っても、地方の中学卒業者は「金(きん)のたまご」と大手企業に尊ばれていた。
従って 中学卒の団塊層 、つまり10代半ば(中卒)で社会に出た人々は非常に多いと思う。
20歳~60歳の幅広な年代が中枢を成す社会(職場)に10代半ばで加わるのだ。長い時期を『ひよっこ(未熟者)』として下働き時代が長かったものと理解できる。
まして当時は、
『きんのたまご』と呼ばれていたのは劣悪な労働環境下で働く低賃金労働者である。企業にとってはまさに『金(カネ)の成るタマゴ』である。
(私の高校始めの頃にも、20代半ばで身体を壊し帰ってきた遠戚に会ったことがある)

【高校卒の団塊層】
都市部には多いのであろうが、地方では少なかった 高校卒の団塊層 は、成人年齢にも近く社会に出ても優遇はされたであろう。商売を始める者も少なくなかったはずである。

【大学卒の団塊層】
10代半ばで社会に出た級友も多いのである。その7年後。成人年齢(20歳)も過ぎ、かつての同級生らは一人立ちしている企業社会に新人として加わっても同僚らの助け無しには仕事にならない。
やっかみも加わって 大学卒の団塊層 が、多くの場所で冷遇されたのは理解ができる。
一方で 学歴を賞賛され有頂天になれるのに、他方、職場の実務では高卒の諸先輩らから踏みつけられ、現場作業では中卒の先輩らから軽んじられる。

初期の団塊世代にとっては『惨憺たる状況にあった』と聞いても容易に理解もできるだろう。

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⑦ 団塊世代。その構造を理解する(7) - (準備中)