LHFトーク"GONDLA"

LHFの二人のだらだらトーク。

シネマハスラー スカイクロラ評

2009年07月10日 | 過去の記事
そんで、ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフルから、シネマハスラーという映画評論コーナー。それのスカイ・クロラの回を聴いた。基本的におれはスカイ・クロラを観終わった後、「押井守すごいの作ったな…」と思った。そんな中でこの人の批評を聴いて、またスカイ・クロラが観たくなってしまった。

まあ、基本的に宇多丸さんはスカイ・クロラという作品を酷評している。前作のイノセンスを例にして、宇多丸氏は押井守の作品を、「ありもしないものを問題にして、それについて語ってる」と評している。そして近作スカイ・クロラについての批評もおおむねそのことについて語っていた。

宇多丸氏はこの作品の設定のひとつである“ショーとしての戦争”の部分に触れている。あれを宇多丸氏は「押井監督はメディアを通してしか戦争を感じることのできない一般人の欺瞞性を描いている」と語っていたが、おれはそうは思わなかった。そもそもあの世界の中で一般人は主人公たちキルドレに対して「可哀想」という感情は抱いていないはず。戦争を請け負う会社によって、そもそも一般人が楽しむために戦争が用意されてるあの世界で、一般人の嘘くさい同情なんてものはそこにはない。という意味ではこの時点で宇多丸氏とおれはこの作品に対して同じ感想を抱いていないということだ。

そしてもう一つに「主人公たちが歳を取らないこと」にも言葉を発している。「歳を取らない、つまり“死ぬことができない”ことに若者は悩んでいない。むしろ“老いて死ぬこと”に若者は悩んでいるのではないか」と、まあこんな感じ。これに関してもおれは全く違うことを感じていて。他の人は分からないけど、少なくてもおれはこの“歳を取らない”という設定を現代の若者にリンクさせることは可能だと思えた。宇多丸さんはこのことについて言ってなかったけど、キルドレは“歳を取らない”のと同時に“大人になることを拒否した”という設定がある。これはニートなどと呼ばれている現代の若者そのものではないのか。その中でバーの店員に「気をつけてね」と言われた主人公が「何に?」と言うシーンがすべてを物語っているように思えた。つまり“現代の若者は死さえリアルではないのだ”と。“死ぬ”ことは恐くても、“生きられない”ことにはどこかで恐怖は感じていないのだ。それを踏まえると、宇多丸氏が「歳を取らないで永遠に生きられたら最高じゃん。みんなそう思ってるって」って言っても、そうは思えない。「生きてどうするの?」現代の若者はきっとそう思っていると、押井監督は感じたのだ。

宇多丸さんは最後に、「結局この“ショーとしての戦争”という枠組み自体を問いていく作品にしなければいけない」と言っていたが、おれはこう思った。これはそんな不合理な枠組みの中で、どうしようもなく生きなければいけない少年たちの話だ。だから彼らは死ぬことに恐怖を感じていないし、主人公が最後に取った行動が一種の答えになっているし、「君は生きろ。何かが変わるまで」という台詞にも説明がつく。

押井監督は若者たちに「僕は人生というマラソンをもう一周してしまった。確かに生きるのは辛い。でも、それも案外悪くないものだよ」と語っていた。この場合監督が言っている“マラソン”とは、校庭をぐるぐる回るタイプのマラソンだ。スタートとゴールが一致するような。彼に言わせれば人生というのは、そのように閉じ込められたところをぐるぐる回るものなのかもしれない。しかし、主人公はティーチャに戦いを挑んだ。そう、人生の中ではそういうことも可能なのだ。その中で我々はいつも同じ道を通っても、違うところを踏んで帰ることができるのだ。

うん、なんかシネマハスラーについての感想より、スカイ・クロラについての感想になってしまった。まあでもいいや。スカイ・クロラ、良いと思うんです。


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2 コメント

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スカイクロラ (てて)
2009-07-10 23:49:53
僕はこの映画についてそう語る北ちゃんが好き。
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Unknown (Unknown)
2020-10-07 09:25:26
歌丸の揚げ足とりたいだけやん
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