LHFトーク"GONDLA"

LHFの二人のだらだらトーク。

すべらなーい話

2009年06月30日 | 過去の記事
すべらない話がやってましたね。すごく面白かったです。もうゴールデンでやるのが当たり前になってきて。あの芸能人いっぱいいるのも、慣れてはいないけどあきらめられるくらいにはなってきたかな。まあおれはリアルタイムで見てないんだけど。なんつーの?あれで観たの。管的なやつ。あなたの管的なやつ。youの管?youのチューブ?うん、そんなやつ。

「すべらない話」ももう長くなってきましたね。何回目なのかは知らない。でももう「すべらない話」を知らない人がいないくらいに「すべらない話」が世間に知れ渡って。たぶんそのことで「すべらない話」が一般化しようとしているような気がする。「すべらない話」がすごく「すべらない話っぽい話」になってるんだよね。話の構成なんかみんな一緒みたいなものだし。だからその中で一個自分なりの“何か”を乗っけていかないとダメな気がする。もはやただの「すべらない話」じゃ使ってもらえない。

例えばケンドーコバヤシのタイガージェットシンの話なんてもろにケンコバ用の話だもんね。あれは話が面白いっていうより途中の「ハッ!…ハッ!…」が面白いんだろうし。他の人がやっても面白くないでしょう。松村なんかも話よりモノマネが中央にあるし。勝俣の話もあれが哀川翔とギバちゃんの話じゃなかったら面白かったのかって。プレイヤーが増えてきて「すべらない話」はそういう広がりを見せてる。そうなると松ちゃんの話が批判の対象になりやすいのは、あの人がキャラに頼っていないからなのかな。

そんでこの番組を観るにあたって「あいつの話はすべってた」とか言う人いるけど、その観かたは面白くないだろ。そもそもあの中で話がすべるはずがないんだ。オチが弱けりゃ周りがさりげなくツッコんでくれるし、分かりにくければ分かりやすい説明みたいなコメントする人もいるし。第一あのいっぱい集まった芸能人があれだけ誘い笑いみたいなことしてれば、もうあの“密閉空間”ですべる話なんか存在しないだろう。ゴールデンにするにあたって視聴者を置いてけぼりにするのが恐いから、ああいう仕掛けをして「面白いもの」だと錯覚させちゃえば、もういいんだって。だから「すべった、すべってない」の観かたは全く持って間違ってると言える。もう“共犯者”になるしかないんだって。それが一番平和な気がするし、自分もある程度楽しめるしね。

ただちょっとプレイヤーが多いのはどうにかならないのか。そりゃまあいろんな“話”が聴けるっていうのもいいかもしれないけどさ。二回目とか三回目とかそういう面白さもあるでしょう?やっぱりリスキーなのかな。まあ芸人自体もラクだろうし。それも“工夫”の一つか。まあ「深夜の方が面白かった」っていう意見とかあるけど、それは違うよね。だってもう別の番組だもん。「ゴールデン」がついてるんだから「ゴールデン」なりの楽しみ方しないといけないんだよ。「ゴールデン」に深夜のそれを求めても、それはこっちが間違ってると思う。

まあ「ゴールデン」としては十分面白いし、いっぱい笑った。あ、そういえば。自分で「すべる話なんてない」とは言ったが、それでも一つはっきり言えることがある。ニコラスペタスはすべってた。


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