純喫茶磯辺。「たみおのしあわせ」に続いて、二作連続で麻生久美子が出演している作品を観た。「たみおのしあわせ」では、父と子の物語の中で、婚約者としてその間に入ってくる役だったが、今作では父と娘の物語を父親の恋の相手として間に入ってくる役だった。その点では二つの作品は似ているのかもしれない。両作品ともに、親子の物語を描いているのと同時に、麻生久美子によってその親子の関係性を考えさせられる作品だからだ。
ストーリーはこんな感じ。見るからにダメそうな父親の磯辺裕次郎(宮迫博之)は娘の咲子(仲里依紗)と二人で暮らす。ある日、裕次郎は親の死により遺産を手にし、仕事をしなくなってしまう。その中でいきなり考えも無しに「純喫茶磯辺」という喫茶店を始めようと言い出す。最初はイヤイヤ付き合っていた娘の咲子だが、喫茶店で起こる様々なおかしなできこと、おかしな客、そして一番おかしいアルバイトの素子(麻生久美子)を通して、父親が「ただダメなだけじゃない」ということを知った…と思いきや、やっぱ結局ダメなやつじゃねえか。まあでもそれでいいんじゃねえのー、みたいな感じ。
まあ最初は麻生久美子が出ているので観ようと思った作品だった。もちろん麻生久美子はすごくよかったし、麻生久美子じゃなきゃあの役はできなそうとも思った。でもそれ以上に抜群の存在感を出していたのが仲里依紗。イライラしているときのしかめっ面やら、はにかんだ笑いやら、目線やら、細かい演技がとてつもなく上手いと思った。ハチワンダイバーも何回か観たことあったけど、あのときもほぼ二重人格的なキャラを演じきっていたし。ちょっと今後が気になる女優だと思う。
まあ映画としてはすごく“狭い”映画だと思う。基本的に出てくる人間は宮迫と仲里依紗と麻生久美子だけだし、舞台はほとんどが純喫茶磯辺とその周り。その中で娘が父親に抱く“気恥ずかしい親子愛”的なものを、素子(麻生久美子)というある種の障害が現れたときに気づいていくという映画だった。確かにストーリーに広がりはないけど、その“狭さ”が映画をとてもシンプルにしていて良かったと思う。そしてストーリーがシンプルな故に、3人の高い演技力が引き立ったことにも繋がったんじゃないかな。
おれが特に良かったと思うのは、ラストで変に「いい話」にしなかったところ。「ダメな父親だけど本当は色々大変なんだ…」と思わせたまま終わらせることもできたはず。でもチャリの二人乗りは注意されちゃうし、娘が泣いてるのに何も考えずに「泣いてんの?」って聞いちゃう。そんな父親を最後までとことんダメなまま描いたのはけっこう好き。やっぱ「“ダメ”なことってそこまでダメじゃない」って言ってるみたい。うん、その通り。ダメだけど、それでいいって思えるのは素敵だ。
あとちょっと思ったのは、エンドロールで宮迫が一番上に流れたこと。え、ってことはこの映画の主人公って宮迫なの? って思った。普通に考えると一番主人公っぽいのは娘の咲子だっただけに少し考えてしまう。いや、深い意味はないのかもしれないけど、もし宮迫が主人公だったってことになると、仲里依紗は脇役? うーん、そんなわけないんだけどなー。まあいいか。
おれはどこかで「何も起こらない」映画が好きなのかもしれない。この映画に出てくる人間たちは、映画が終わっても彼らの日常は続いていく。店ももうないし、遺産もそろそろ底をつくだろう。そうしたら父親はまた働かなければいけないだろうし、娘は再びそんな父親を支えていかなければならない。それは映画が始まったときと状況はなんも変わっていない。しかし、娘の咲子が見る景色は少し表情を変えているだろう。それは父親に対する気持ちも同じ。今まで思わなかったことを思うだろうし、気づけなかったことに気づくだろう。そんな「何も起こらない」けど「何かが変わっている」映画が好きだ。うん、『純喫茶磯辺』良かったです。
ストーリーはこんな感じ。見るからにダメそうな父親の磯辺裕次郎(宮迫博之)は娘の咲子(仲里依紗)と二人で暮らす。ある日、裕次郎は親の死により遺産を手にし、仕事をしなくなってしまう。その中でいきなり考えも無しに「純喫茶磯辺」という喫茶店を始めようと言い出す。最初はイヤイヤ付き合っていた娘の咲子だが、喫茶店で起こる様々なおかしなできこと、おかしな客、そして一番おかしいアルバイトの素子(麻生久美子)を通して、父親が「ただダメなだけじゃない」ということを知った…と思いきや、やっぱ結局ダメなやつじゃねえか。まあでもそれでいいんじゃねえのー、みたいな感じ。
まあ最初は麻生久美子が出ているので観ようと思った作品だった。もちろん麻生久美子はすごくよかったし、麻生久美子じゃなきゃあの役はできなそうとも思った。でもそれ以上に抜群の存在感を出していたのが仲里依紗。イライラしているときのしかめっ面やら、はにかんだ笑いやら、目線やら、細かい演技がとてつもなく上手いと思った。ハチワンダイバーも何回か観たことあったけど、あのときもほぼ二重人格的なキャラを演じきっていたし。ちょっと今後が気になる女優だと思う。
まあ映画としてはすごく“狭い”映画だと思う。基本的に出てくる人間は宮迫と仲里依紗と麻生久美子だけだし、舞台はほとんどが純喫茶磯辺とその周り。その中で娘が父親に抱く“気恥ずかしい親子愛”的なものを、素子(麻生久美子)というある種の障害が現れたときに気づいていくという映画だった。確かにストーリーに広がりはないけど、その“狭さ”が映画をとてもシンプルにしていて良かったと思う。そしてストーリーがシンプルな故に、3人の高い演技力が引き立ったことにも繋がったんじゃないかな。
おれが特に良かったと思うのは、ラストで変に「いい話」にしなかったところ。「ダメな父親だけど本当は色々大変なんだ…」と思わせたまま終わらせることもできたはず。でもチャリの二人乗りは注意されちゃうし、娘が泣いてるのに何も考えずに「泣いてんの?」って聞いちゃう。そんな父親を最後までとことんダメなまま描いたのはけっこう好き。やっぱ「“ダメ”なことってそこまでダメじゃない」って言ってるみたい。うん、その通り。ダメだけど、それでいいって思えるのは素敵だ。
あとちょっと思ったのは、エンドロールで宮迫が一番上に流れたこと。え、ってことはこの映画の主人公って宮迫なの? って思った。普通に考えると一番主人公っぽいのは娘の咲子だっただけに少し考えてしまう。いや、深い意味はないのかもしれないけど、もし宮迫が主人公だったってことになると、仲里依紗は脇役? うーん、そんなわけないんだけどなー。まあいいか。
おれはどこかで「何も起こらない」映画が好きなのかもしれない。この映画に出てくる人間たちは、映画が終わっても彼らの日常は続いていく。店ももうないし、遺産もそろそろ底をつくだろう。そうしたら父親はまた働かなければいけないだろうし、娘は再びそんな父親を支えていかなければならない。それは映画が始まったときと状況はなんも変わっていない。しかし、娘の咲子が見る景色は少し表情を変えているだろう。それは父親に対する気持ちも同じ。今まで思わなかったことを思うだろうし、気づけなかったことに気づくだろう。そんな「何も起こらない」けど「何かが変わっている」映画が好きだ。うん、『純喫茶磯辺』良かったです。