LHFトーク"GONDLA"

LHFの二人のだらだらトーク。

たむらぱん「ノウニウノウン」

2009年07月18日 | 過去の記事
たむらぱんの『ノウニウノウン』を買った。最近は金銭的な理由でCDを買ってなくて、そもそもこのCDもまったく買う予定なんて無かった。でも偶然youtubeかなんかで聴いた『ちゃりんこ』が数日間脳内でくるくる回ってしまい、「これは買わなきゃいけないのか!」と思ってアマゾンをチェックすると、まだ「初回版」が残っている。気づいたら「レジへGO」ボタンを押していた。

さて、CDが届いて早速iPodに入れて聴いてみる。1曲目の『ジェットコースター』。ここからもう「たむらぱん」の世界は始まっていた。ピアノの踊るようなイントロからリズムの上で遊ぶようなAメロ。そしてキャッチーなサビ。ずばり当たりだ。そこから『ちょうどいいとこにいたい』『ゼロ』『ちゃりんこ』とシングルカットされていた見事なまでのポップな曲が続く。と、まあ言ってもここまでは大体予想通りだった。このポップセンスに惹かれてCDを購入したのだ。それが素晴らしいことくらい分かってる。しかし5曲目の『十人十色』でたむらぱんはおれに攻撃を仕掛けてきた。怪しげなリフレインに乗って歌われる「今夜この街で生まれた混沌や葛藤がシケモクの形のようだ/不安不安な気持ちはラム色に透き通れ」という歌詞。それはポップの向こう側にあった灰色の真実のようだった。おれは見誤っていたみたいだ。彼女はただのポップシンガーじゃない。光は眩しいほどに輝いているが、光は同時に影も生み出すのだ。その“影”の部分を無視しないで歌ってくれる。「曇りならデートだって中止にならないじゃない/真ん中くらいがちょうどいい」。この歌詞を歌える歌手なのだ。もうこの時点でおれはこの歌い手に心を奪われていた。

さて、アルバムを一周聴き終えたところで、やはりアルバムの中で目立つのはシングルカットされているようなキャッチーなメロディの曲だった。ここで少し不安になる。確かにキャッチーなメロディは文字通り人の心を“キャッチ”する。しかし往々にしてそういう曲は心を“ホールド”することができないことが多い。最初聴いたときには良いと思っていたメロディも、それだけでは飽きてしまうことが多いのだ。“キャッチ”して“ホールド”して、初めてそれは上質な“ポップ”になる。

そんな中で何回も何回も繰り返しアルバムを聴いてみる。すると徐々にシングルカットされた曲が落ち着きを見せてくる。何回も擦っているうちにキャッチーな曲におれが慣れてくる。しかし同時に後方からまくって来る曲がある。それが後半の方に配置された『チョップ』『恋は四角』だ。この後半の最後のヤマである『ライ・クア・バード』の前に配置された2曲。この2曲が存在感を放ち始める。『ライ・クア・バード』のサビに「この夜が朝に溶けるまで/君に寄り添って二人でいたい」という歌詞があるが、この直前の少し暗い2曲が「この夜」を表現しているように聴こえてくる。

1曲目で走りだした“ジェットコースター”は途中“夜を迎えて朝に溶ける”。そして最後に“放射状に広がって”いき、日常に溶ける。このアルバムで終始歌われてるのは「“今日”と“明日”の関係」だ。「今日は辛い、でも今日は明日に繋がっている。その明日は、もしかしたら楽しいかもしれない…まあわかんねえけど」。そのようなことがアルバムを通して歌われてるような気がする。このアルバム「ノウニウノウン」の名前の由来は「know knew known」だそうだ。「我を知る」をテーマに歌われた13曲のたむらぱんは“晴れのち曇りのち晴れ”で聴く人の心に雨を降らせる。その雨の温かみに触れてみるのもいいんじゃないか。うん、たむらぱん良いです。