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静かな場所

音楽を聴きつつ自分のため家族のために「今、できることをする」日々を重ねていきたいと願っています。

三男のこのごろ(一応「子どもの日」やからね)

2011年05月05日 21時49分39秒 | 家族(こども・しょうがい・学校・介護他)
 今日は「子どもの日」だった。日頃から「我が家は年中『子どもの日』」なんて、エラそうに言っているのだが、それでもやっぱり、今日は「子どもの日」だな。「子ども」と言っても、我が家の三人の子どもたち、上の2人は、もう二十歳を過ぎている。まあ、親から見れば、いつまでも「子ども」ではあるが・・・(特に、二男は、中身も、まだまだ「子ども」、これからもずっと限りなく「子ども」的な成人で在り続けるだろう)

 上の写真は、今夜の三男「りゅう」。「ビデオの海」の中で、手を合わせている。前にも書いたが、他人に何かを要求するときに、このように「合掌」のようなポーズをとることができるようになっている。パンパンと手拍子みたいに繰り返したりもしている。こういう(躾的な)ことは、親はなかなかできない。いや、他の家庭ならできるかも知れないが、我が家ではなかなか難しい。本当に、学校の先生方のおかげである。

 そして、今春から三男は、学校の寄宿舎に入舎している。と言っても、いまのところは毎日ではなく、週に2泊という「慣らし運転」段階。様子を見て泊数を増やしていくつもりだ。
 実は、5月の下旬から三泊に増やすつもりで、そのように計画書も出していたが、クラス替え、担任替え(?)、教室替えなど、何かと変化の多いときに、寄宿舎主体の生活に一気にシフトするのもどうかな?という、ちょっとした不安みたいなものがあったし、「りゅう」の登校時の様子にも微妙な変化が見られたりしたので、「ここは急がず慌てず」で行こうということになった。まだ、しばらくは週二泊のペースで行くことにした。前の薬のときのような失敗をしてはいけないからね。
「りゅう」が寄宿舎泊で家にいない夜は、なんとも静かである。思えば、ずっと前は、こんなのが当たり前だったんだな。ふだんは「やかましい」「うるさい」と、我々を疲れさせる一方の「りゅう」だが、いなければいないで、なんとなく寂しいと言うか、ほんに勝手なものだなぁと我ながら思う。
 あの笑顔、寝顔、そして「裏表」も「駆け引き」も一切無い直な感情表出には、親バカ承知で言うが「癒される」のである。あいつのおかげで、本来は貧しくせせこましい自分の心が随分と広げられ柔らかくされているのである。




 しかしなぁ・・・部屋をどんだけ片付けても、すぐにこの状態にされちまう。





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