死んだ男の残したものは
(谷川俊太郎作詩・武満徹作曲)
合唱:東京混声合唱団
指揮:岩城宏之
前回、音盤鑑賞をあまりやっていない(やれていない)ことを書きました。
その後も、短い曲やポップスを拾い聴きしている程度で、20分超の曲などは聴いていません。
「MI・YO・TA」のことに少し触れましたが、武満氏の「うた」のいくつかは、今の自分に、とても聴き易く、昨夜もけっこう聴いていました。
私が持っているのは石川セリ、小室等、それに岩城宏之指揮東京混声合唱団のものだけです。
かつて合唱をしていた時に歌った曲も何曲かあります。
昨日は聴いていて、「死んだ男の残したものは」が、特に胸に迫ってきました。
この曲を初めて聴いたのは1979年か80年、FMで高石友也の歌唱でした。
1965年のとある「反戦集会」に合わせて作られたことは、ずっとあとで知りました。
たくさんの歌い手が歌っていることも、ずっと後で知りました。
小室さんのCD解説によると、≪武満さんは、出来上がった歌を「政治的に歌うのではなく、たとえば“愛染かつら”のうたをうたうように歌ってほしい」と言って関係者にわたしたらしい≫とのことです。
たしかに、そういう経緯を知らなかったら、直ちに「反戦」という言葉は思い浮かばないかも知れません。
しかし、「死んだ・・・・」の繰り返し、「兵士」「銃」「平和」「歴史」などの言葉から、戦争に関して「何か」を静かに訴える詩(曲)であることは明らかでした。
この詩を書いた谷川俊太郎氏は、「詩の意味は散文では説明できない」と言っていた(前述のCD解説の記述より)とのことですし、学校で行われる「詩の授業」についても、「詩の核心部分は“あいまいでぶよぶよしている”」と語ったと言われています。
説明や解釈を求めながら聴くのではなく、語られ(歌われ)ていく言葉と言葉、文と文が作り出す緊張や呼び覚ます情景、感情が、鑑賞のたびに何度も新しく生まれる・・・・詩や歌曲を繰り返し読みたい聴きたい欲求は、そういうことなのかな?と思います。「判る(分かる、解る)」のではなく、「描く」「浸る」「そこに居る」醍醐味とでも言うのかな?
だから、頭の中では辻褄合わせがあやふやでも「死んだ子どものねじれた脚と乾いた涙」が眼前に立ち現われるのです。
ところで、明日は参院選の投票日です。
選挙区と比例区で、それぞれ誰に一票を投じるか???
争点のひとつと言ってよい「憲法改正」の是非と「改正の手順をいかにするか」は、私の大きな判断基準です。
私は昭和32年生まれですから、当然「戦争を知らない子どもたち」世代です。
しかし、父を含めて戦争(戦前・戦中・戦後)を生き抜いてきた、私の知っている人たちの中には「戦争をしてもよい」と思っている人は一人もいませんでした。
「戦争は、絶対にしてはいけない」「どんな理由があっても避けるべきもの」と思っています。
自衛隊については、「もちろん、憲法九条と照らし合わせると、自衛隊はいかにもおかしい。おかしいけれど、そのほうがいい。国防軍にしないほうがいい。」という宮崎駿さんの言葉に納得しています。
スタジオジブリの小冊子『熱風』7月号の特集は「憲法改正」ということで、今、無料ダウンロードができるようになっています。
私も、昨日、プリントアウトして、全文を読みました。大いに共感する内容でした。先に引用した宮崎さんの言葉はその冊子に載っている氏の「憲法を変えるなんてもってのほか」から拝借しました。
主義主張は人それぞれですが、みんな、本当に根源的に願っていることは、実はほとんど同じなのではないかと思っています。
武満さんの曲から話がそれてしまい、なんか中途半端ですが時間切れとなりました。
日本合唱曲全集「風の馬」武満徹作品集 | |
合唱,東京混声合唱団 | |
日本伝統文化振興財団 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます