LanguageStyle

■「日本人と英語」を考えてゆくブログ

和訳からの流れ

2008年12月10日 | 放言

 テスト2日目。試験監督は2コマ。採点を行いながらの監督。

 指導について考える時間は普段からとっているが、試験週間は特に考える。昨日は和訳課題について考えてみた。その実践版を今日作成。このようなプリントになった※1。授業で私が訳す日本語をディクテーションすることなどそもそも求めていないのだ。きちんと自分の訳を作ってくる。その上で文法上の説明を聞き、ノートにて整理する。その後は徹底した音読につなげてゆく。一連の流れを生徒たちには確立してもらいたい。

 本日、『やっぱり英作文―英語の語順をマスターする』、『愉しみながらの英作文』がアマゾンより届く。中古で購入したので送料の方が高くつく。後者のほうはなかなかいい感じ。古本だけに中にはびっしりと書き込みが。きれいな筆記体ですべてのページの問題が解かれている。このような本を買うとなんだか得した感がある。頑張っている人がいることに少しだけ感動。本の内容はすべてが中学レベルだが、英作文の取っ掛かりとしては使えそうである。最近、「読む」ことを通して文法を意識させるよりも、「書く」ことを通じて意識させたほうが効果的なのではないかという思いを持っている。「読む」となれば単語の意味が分かれば大体の言いたいことが「理解できる」状態になることはしばしばある。そこでは改めて英語と日本語の言語的差異に目が向けられることはないか、きわめて起こりにくい状態となる。一方、書くこととなればどうしても英語の並べ方に目が向けられる。英語の語順と日本語の語順の差異を否でも意識せざるを得ないような状況に生徒を追いやることができるのではないかと期待している。

 さて、話は前者の本に進む。前者の本の内容に少々違和感を持った。それは文型判断である。別にどうでもいいと思われる方もいるだろうが、callやnameを動詞で用いたときに出来上がる文を第4文型のSVOOだと判断する根拠は何か。著者に伺ってみたい。だいたいどの教科書でもcallやnameが作り出すのは第5文型のSVOCであるとなっているはずだ。「誰々を何々と呼ぶ/名づける」における誰々をIO(間接目的語)とし、何々をDO(直接目的語)と判断している著者の考えには納得できない。第五文型をとる動詞は授与動詞が基本でありcallやnameとは明らかに性質を異にする、と思ってきたがこれは間違いか。どなたかご教授ください。

 明日のテスト監督は1コマ、の予定。


※1こちらからダウンロードしてみてください。何かとご指摘いただければ幸いです。なお、ダウンロード期間は本日より7日間とさせていただきます。

経済界の声はコエエ

2008年12月10日 | 放言

 すべての単語の意味が分かったとき、英文が正しく読めるか。この場合、「単語の意味が分かる」とは「日本語に置き換えられる」と同義である。このような疑問を発したのが誰だったのか、記憶が頼りない。確か渡部昇一氏だったような気がする。

 リーディングの授業。予習をどうするか。リーディングの授業において和訳以外にすることはたくさんあるだろう、という批判はもっともである。和訳のみの授業でいいはずがない。しかし、和訳以外にもこれもあれもといろいろな性格の指導を取り入れることには冷静でいたいと思う。あれこれと追いかけるあまり焦点がぼやける可能性がある。「二兎追う者は一兎も得ず」を心に誓いぐっとこらえる。

 生徒の和訳をどうするか。予習段階でリーディング教材の日本語訳を求めるわけだが、授業では生徒が作ってきた和訳を確認することもなく、一人ずつ指名して和訳させてきた。しかし今、これではイカンだろうと思っている。予習で和訳を求めるならば、生徒がやってきたその予習のすべてをきちんと評価してやる必要があるだろうと思えてきた。いや、というよりもむしろ「予習が生徒の仕事」であるならば、「その予習を評価することは教師の仕事」なのではないかと思えてきたのである。やらせっぱなしに反省しなければならない。

 そこで今後取り組もうと思っているのは生徒の作ってきた和訳のすべてに目を通してそれを点数評価して返すというもの。この点数はもちろん成績には入れないが、生徒のやる気には繋がるのではないかと期待する。教科書の一文一文にまずは番号を振り、一文ごとに生徒には和訳を求める。授業の前日までに和訳の提出を求め、私がそれにすべて目を通す。生徒が作ってきた和訳を評価することによって生徒と対話ができればと思う。

 今日は広島市内にて私学向け「新学習指導要領」についての研修会があった。私はそれに参加。名古屋大の先生が講師で来られ、いろいろなお話をいただいた。今回の研修会について学校に提出する書類として明日以降、まとめなければならないが、慶應シンポの際に江利川氏が発表なさった内容と重なる部分があり、財界の影響力の大きさを改めて認識させられた。非正規雇用の増大と教育問題が深い部分でつながりを見せていることなどは明日はわが身として考えさせられた。ニートはともかくとしても、フリーターや派遣の増大によって生み出される社会問題もさることながら、積極的にそういった非正規雇用を増やすように求める政策を恥ずかしげもなく披露する経済界の無責任さにあきれ果ててしまった。ただ、彼らには彼らの論理があるのだろうから「話し合い」で解決をしていかなければならない。が、このような状況を許すのは日本人だからという部分があるのだろうなとも感じた。

 帰りは広島駅近くの福屋にて本の物色。安河内氏の著書を何冊か手にし、英語科費で購入することを提案してみようかと思う。とはいっても時間がなかったのでチラッとしか見ていない。チラ見で英語科費を使うのも後ろめたさを感じるのでやはり自費購入が適当か。あとはオバマ特集もチラ見。『感動する英語!』(近江 誠)は良書だと思うが、オバマ演説だけを聴く気には今のところなれないので購入は延期。

 ところで中学では英語科教室というものを聞いたことはあるが、高校では今のところまだない。そこで授業をやるやらないにかかわらず、英語科の教室があれば何かと便利だろうなと思ったりする。そこに音源を聞く機会などを適当な数だけそろえておけば、音源を用いた課題が出せる。授業の幅も広がりそうな「気」がする。まだ今のところ「気」だけであるが。