【解答乱麻】TOSS代表・向山洋一 会話練習だめ?小学校英語
2008.12.3 08:08
やっとのことで小学校に英語が入ることになった。
世界の主な国々の中で、小学校に英語の授業がないのは日本ぐらいだ。
10年前、上海を訪れ、いくつかの小学校を見学したときの驚きは今もよみがえる。小学2年生から、オールイングリッシュで授業をしていた。IBMのパソコンをつかっていた。
バスから見えた「あの学校を見学したい」という突然の申し込みの結果も同じだった。
30人の日本の教師は青くなった。「教育で負ける」と思ったのだ。「算数の授業」は、日本より2学年分レベルが高かった。小学1年で3000の漢字の「読み」を習得させていた。
その当時、上海で、韓国、日本、中国の高校生が修学旅行で出会った。韓国、中国の高校生は英語で仲良くなっているのに日本の高校生は仲間に入れなかった。「読む、訳す」のこれまでの英語教育の前に「聞く、話す」の英語教育が必要だと痛感した。
私たちは、総合的学習の国際理解の時間を活用して、週に1時間ぐらいの「小学校英会話」の授業を開発してきた。何よりも楽しいこと、子供たちがのりのりになること、しかも日常的な場面で英会話ができることを目指してきた。
週に1時間、1年間で35時間ぐらいの授業で、子供たちは英会話をしゃべるようになった。学校公開もされた。子供たちは、本当に楽しそうだ。
ところが文科省の担当者は、このような英会話の授業をいけないのだという。「スキル学習は外国語活動ではありません」「ダイアローグの学習は外国語活動に入りません」という。
これは、自動車学校で「坂道発進などのスキルを練習してはいけません」、水泳の授業で「クロールの練習をしてはいけません」というようなものだ。
学習指導要領では「外国語を用いて積極的にコミュニケーションを図ることができるようにする」とある。そのため「外国語を用いてのコミュニケーションの楽しさを体験させる」「積極的に外国語を聞いたり話したりすること」などと示されている。
私たちは、この課題を実現しようとしてきた。それが駄目だという。「外国語を聞いたり話したりする」のに、「スキルの学習」や「ダイアローグの学習」をぬきに、どのようにしろというのだろう。
指導要領には「場面」の例も示されている。「自己紹介」「食事」「道案内」「買い物」「あいさつ」「子供の遊び」「行事」などである。これらを「聞く」「話す」ことができるには、その場面特有の会話「ダイアローグ」を練習させる必要がある。
「話す」ことができるには、「くり返しの練習」(スキル)が必要だ。絵、イラスト、写真を示しながらやると、子供たちは熱中して授業に参加をする。
楽しい授業が、全国で指導主事の先生などからつぶされている。この10年間努力してきたことは何だったのかと思っている教師は多い。
「世界の主な国」とはどこか。小学校に英語の授業がないのを憂うセリフの中に登場するこのセリフが私には一番気になった部分である。
上海を訪れたことを引き合いに出しているから中国がまずは念頭にあるのだろう。「教育で負ける」という感想は極めて情緒的なものであるが、そこにきて上海の子供らが小1で3000の漢字の「読み」を習得するというネタを盛り込んでいる。小1で3000とはいやはや驚きではあるが(本当に事実か?)、そもそも漢字の総数が中国と日本とでは雲泥の差があるのだから比べようもないはずだ。
ある修学旅行の話。韓、日、中の高校生が出会ったとき、日本人の高校生はその仲間に入れなかったという。理由は英語だというが、はたしてその分析は正しいのか。立ちすくむ日本人高校生を目の当たりにし、日本の英語教育に疑問を持ったというが、その結論は「「読む、訳す」のこれまでの英語教育の前に「聞く、話す」の英語教育が必要だ」というありきたりのもの。まだ「「読む、訳す」のこれまでの英語教育ではなく「聞く、話す」の英語教育が必要だ」と書いていないだけ不健康ではない。
向山氏は「スキル」に目を向けない文科省の言う外国語会話を批判する。カタカナ語を使うと私などは意味がぼやけてしまう気がするが、要は「英語を教えなさい」という意見だとみていいだろう。歌やダンスばかりでいいのですか?という問いかけだとすると私などはこの点には賛成したい。が、向山氏の言う「スキル」を子供たちに教えるとなれば、それを教えられるだけの「スキル」が指導者側にも備わっていなければならない。「坂道発進などのスキルを練習」させるのであれば、助手席に座っている教官が手取り足取りサイドブレーキの引き方、足の使い方などを教えてやれるスキルが必要だ。「クロールの練習」をさせる時も、それを教える指導スキルが必要だろう。間違えればおぼれ死んでしまう危険すらあるのだからなおさらである。
冒頭部分。世界においてゆかれる日本を強調する形で小学校英語の意義を知らしめようとする言動は勘弁してほしい。小学校に英語がないのは日本だけだという状態を「悪いもの」として決め付け、小学校に英語を入れさえすれば万々歳という意見に見える。
ところで話は少しだけ変わるが、次の文言はどういうことだろうか。
言語を用いてコミュニケーションを図ることの大切さを知ること。
これは新学習指導要領(小学校学習指導要領、第4章 外国語活動 第2 内容)にあらわれた文言である。その解説部分には次のようにある。
社会や経済のグローバル化が急速に進展し,異なる文化の共存や持続可能な発展に向けた国際協力が求められている。また,人材育成面での国際競争も加速している。このような社会にあっては,言語を用いて他者とのコミュニケーションを図っていくことが大切である。
さらに,「1 目標」で述べたように,現代の子どもたちは自分や他者の感情や思いを表現したり,受け止めたりする表現力や理解力に乏しいとされる。児童が豊かな人間関係を築くためには,言語によるコミュニケーション能力を身に付けることが求められる。そこで,外国語活動では,多くの表現を覚えたり,細かい文法事項を理解したりすることよりも,実際に言語を用いてコミュニケーションを図る体験を通して,それらの大切さに気付かせることが重要である。児童に,普段使い慣れていない外国語を使用させることによって,言語を用いてコミュニケーションを図ることの難しさを体験させるとともに,その大切さも実感させることが重要である。
勘弁してはいただけないものだろうか。言っていることの無茶苦茶ぶりに唖然としてしまう。外国語活動を英語活動にし、英語をやるかと思いきや中学の前倒しではないといい、英語活動にもかかわらず多くの表現を覚えるさせるには消極的である。そうかと思えば、コミュニケーションを図ることの難しさを体験させろと言ってみたり、その大切さを実感させろと言ってみたりする。言葉を入れずに言葉の難しさを体験させる。言葉を入れずに言葉の大切さを実感させる。言葉を用いないジェスチャーゲームをしろと言っているのではない。真面目にそれが実現できると考えていそうな感じである。