昔からよく言われるように、「忙」という漢字は「心」を「亡くす」ことを示している。
「いそがしい」とは「心を亡くすこと」だと昔の人は分かっていたんだね。
いかに僕たちが日々の生活の中で「心を失っている」か、手っ取り早く確かめる方法がある。
テレビも音楽も消す。
全てシャットダウンした静けさの中で、じっと目をつぶって座ってみる。
その時、何も考えない。
「空っぽ」になってみる。
どうだろう?
「普通の人」であれば、おそらく5分たりとも「空っぽ」の状態ではいられない。
TVで見た場面が浮かんでくる。
CMのキャッチフレーズが何度も頭の中をリフレインする。
好きな歌のメロディーが鳴り出す。
仕事や会議やプレゼンのことを考え始める。
次の遊びの計画を楽しみ始める。
etc...
このようなココロの状態の中に僕たちは日々いる。
常にココロは「自分以外のモノ」に占拠されてしまっている。
「自分」が不在なんだ。
忙しさの中で、「自分」と向き合う時間を失っているから。
このような状態で、「自分の状態を知っている」と言えるだろうか?
毎日の生活の中で、正しい判断を下すことができるだろうか?
「一番根本的なもの」、つまり「自分」を知らずして日々活動しているならば、
僕たちは虚しい「幻想」を追い求めているだけなのではないだろうか?
taddy
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それも「無」ではなく「亡」、日本語は意味が深いな。
いつもバリに修行に行った時に思うんだよね。
一ヶ月新聞もTVも見ていないのに、一体この平穏はなんだろうって。
仕事も自分自身の為やけど、それは自分の律する為のモノコトであって、自分の根源を見つめてはいないのかもな
考えさせられたよ
>> ねーさん
僕もね、よくボスニア・ヘルツェゴビナの田舎なんかに遊びいくんだけど、ほーんと何もない場所なの。
でも空気はきれいで、自然は美しく、人も素朴。そういう場所に2週間ばかり滞在するんだけど、ねーさんがインドネシアで感じるものと同じように、自然に囲まれた素朴な生活の中で、ココロが平安になっていくんだよね。
それはきっと、人間本来のあり方に近い状態に置かれるんで、余計なものがそぎ落とされていくからだと思う。だから、そういう場所から日本に戻ってくると、いつも思う。
「なんでこんなにモノに溢れてるの?なんでこんなに情報の洪水の中にいるの?」って。
よくよくウォッチしておかないと、これらによって自分もマヒさせられて行くんだなーって痛感。
一度、「外」に出てみると、僕たちがいかに忙しさやモノや情報の波の中で、大切なものを失いつつあるのかってすごく実感できるように思うね。日本のこと大好きだから尚更こういう状況が心苦しいんだな。もともと四季の移り変わりやワビサビといった微妙な部分への感性が鋭い国民だからね。
仕事は言わずもがな大切。だけど、たまに立ち止まって自分を見つめるようにしないと、「自分のためにやってる」って思ってることが、実は「自分を壊している」ことだってこともありえるんだと思うんだよね。「仕事ありき」じゃなくて「自分ありき」だし。だから、僕は記事にも書いたように、「空っぽ」になる時間を一日15-30分作るようにしてます。そうすると見落としてたものが見えてくるし、自分自身に戻ることができるんだよね。
本当に昔の人は流石ですね。
まさしく、今までの自分は心が亡くなってました。電車の中にいても、朝は今日終わらせなきゃいけないことや懸念事項の反芻、帰りも同じことの反芻だったのですが、ここに来るようになって、まったく関係ないことをふわふわと考えて、うとうとしたり、空の色や、木の色が秋色になったことに喜び感じたりできるようになってきたんです。朝起きるのも辛かったのが、帰宅時間の遅さは前となんら変わりないのに、今はお弁当作るほどの余裕ができて、朝情報番組を見るのも楽しくて、とにかくびっくりな変化なのです。
何が変わったって、仕事以外のことを考える時間が前よりちょっと増えただけ。それだけで、心だけでなく、肉体までもがこんなに変わるとは。ここは、私に好きなことを考えるということを与えてくれた。
だから、taddyさん初め、ここに立寄る人みんなが気持ちよく生きれたらいいな、と思うんです。←【この発言。。。管理人か!?って感じですね(;゜д゜)これはtaddyさんのセリフでした(笑)】
人それぞれでしょうが、今の私には何も考えないというよりかは「本当に自分の考えたいことを考える時間」があればいいのかな、と思います。
(そう、何も考えないといえば、なぜか分かりませんが、仏壇の前であの「チーン」を鳴らすときのみ私はいつも「何も考えない」状態になることができます。正味1分。あれはすっきりする…すっきりするとかいって、罰当たりかしら (。・x・)ゝ)
>> ○chiさん
○chiさん、最初にここに寄ってくれたとき、ゾンビ状態でしたもんね(^_^)
でも、hacoさんやサス姉、RIEぽんなんかとコミュニケーションしているうちに、ポジティブな方向に180度変わっていくのをつぶさに見ていて、僕も自分のことのように嬉しいです。
これだけでもこのblogを始めてよかったなーと思います。そもそも僕がblogを始めるきっかけ作ってくれた親友のTAKにも感謝だなぁ。前はblogに全然興味なかったもんなぁ。
こうやってみなさんとホンネトークして交わっていくことで、いかに人対人の関係が大切なものかということを改めて教えられている気がします。
自分が長ったらしい文を書くせいもあるけど、数行コメントにおわらない腹割った付き合いがblogの上だけでも出来るなんて感謝ですよー。
これからもよろしゅーに m( _ )m
(メディテーション)
あっスッキリ。
そういえば、学生時代、毎授業の始まりに
黙想タイムなるものがあったのを思い出したー!
昔はばかばかしぃって思ってたけど…。
私も自分とこのブログで書いたけど
たまに一人になって、頭を休ませる事って必要だよね。
忙しいとその波におぼれちゃうから。
大抵みんなおぼれてることに気がつかないんだけどね。
私は肋骨4本折って自宅療養してた時に
それまでの忙しさから解放されて色々考えたもんです。
あとは、みんなに支えられて生きてるんだなって改めて気付かさせられた。
ここに集うみんな。
あったかいね(^^)
最近めっきり心が穏やかだもん。
(でもキレキャラ)
>> 三女
オラオラぁー。なに寝ぼけかましとんじゃー。
月にかわっておしおきよ♪ ぴしっ。
> 最近めっきり心が穏やかだもん。
I see.
taddyさんのフェロモンにやられたんだね。
>忙しいとその波におぼれちゃうから。
>大抵みんなおぼれてることに気がつかないんだけど
>ね。
ほんとそうなんだよねー。
おぼれてるのにおぼれてるのに気付かない。
流されてると、そうなっちゃうよね。
だから、自分から自主的に「おぼれない時間」をつくらないといけないと思うのです。一日のうちで自分に立ち返る時間を習慣付けることだな。
僕も昔は流されっぱなしだし、今でも気をゆるめると流され続けるけど、自分自身に戻ることを覚えたことで、みじめにならないでポジティブに生きて行けることができるようになったことに感謝やなぁー。
↓
>>taddyさんのフェロモンにやられたんだね
にぃやん。
もうとっくに帰宅してもーたので、レス見れん。
金曜までおあずけだぜぃ。
最近三女はblog と tennisにおぼれ気味(笑)
正直なとこ、にぃやんのblogは好きだよ~♪
>> 三女
「ちっ」ですって?
ちょっと屋上に来なさい。
> 正直なとこ、にぃやんのblogは好きだよ~♪
よしよし。
「正直なとこ」って、何か隠さないといけないことのような言いぐさが若干気になるところだが、I'll forgive you♪
tennisに溺れ過ぎて、「右腕でか女」になったり「黄色い動くものを見ると興奮する乙女」になったりしないよーにねん♪
>> りえさん
お!お久しぶりでごあす。
おかえりなさいませませm( _ )m
>情報の中で自分を見つけるのもいいけど、最終的に
>は自分の根本的な内なる部分は持っていたいです
>ね。
ホントにそうだと思いますね。
自分の根本的な部分はいつもしっかり見つめてないといけないように思ってます。そして、自分を見つめられない人は、結局は相手の人間をも見つめられない、ひいては周囲の一人一人の人間をも見つめられないんだと思うんですよね。「内なる部分」で見つめる場所は、自分のそれであっても、周囲のそれであっても同じ場所ですから。