偽装マンションの話が毎日ニュースをにぎわせている。
この事件から学ぶ教訓がたくさんあると思う。
利益追求を最優先するばかりに起こった今回の事件。
誰が真の「犯人」かはまだ分からない。
だけど、その代償は、偽装して得るはずだった「利益」を凌駕し、はるかに高いものとなってしまった。
自己破産宣告をした会社もある。
「傲欲は身を滅ぼす」という教訓がここにある。
欲は人を盲目にする。
また、世界最高レベルを誇る日本の建築技術への信頼に傷をつけてしまった。
一度傷付いた信頼は、回復するのが難しい。
今回のような事件。
初めておこることじゃないと思う。
「偽装」から生まれる過ちは、いろんな業界で繰り返されている。
そして、このことはビジネスの世界の中だけのことじゃない。
この教訓は普遍的なもの。
僕たちの日々の生活の中にあてはまるもの。
ビジネスだって、日々の生活の延長線上にあるものだから。
人生、日々勉強。
周囲でおこることを他人事としてとらえている限り、自分は成長しない。
そして僕たちの住む社会も成長しない。
毎日世界の中で起こることから、メッセージを汲み取らなきゃなと思った。
taddy
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今のこの世の中の発展も人間の欲から発展したものって思う。
プラスに作用する欲とマイナスに作用する欲。欲を自分の成長に繋げることができればって結構思ったりもするけど・・・、やっぱり欲は難しいかも。
ビジネスの世界に身を置いていると、多かれ少なかれあることですよね。
そこで、自分や会社の判断基準がしっかりしていないと流されてしまうのかもしれません。
「軸をぶらすな」と私の上司は言います。
そして、それは組織の中で上に行けば行くほど強固なものでなくてはいけないと思います。
形だけのコンプライアンスも多いですよね。
形だけのルールを守るために本末転倒になっていることも多い。
悲しい事です。
今日は休肝日でした♪
世界で起こっている事件からメッセージを汲み取る姿勢は尊敬します。
私腹を肥やそうと偽ってばかりいたら、外見ばっかり塗り固められて中身はスッカラカンになってしまいますね。物事の本質を見失ってはダメってことですね。ありがとうございます。いつも刺激になる記事を読ませてもらってます。
おっしゃる通り、『周囲でおこることを他人事としてとらえている限り、自分は成長しない』って、ズッシリ心にきました!
今回の私のリハビリ結果がまさにそうだからです。(^^;;;
自分はトレーニングをやっているつもりでも結果がついてこなかった=つもりだけで、実際は誘惑も多かったし、多少過信もあったのだと思います。
根拠がないのに『私は大丈夫』と、どこかできっと感じていたと思います!
今回のテーマとずれたコメントかもしれません。すみません。(^^;;;
今日は『反省』というより『危機感』でいっぱいですぅ。(苦笑)
背水の陣の気持ちでやらないと、ヤバイです。自業自得ですが。。。(大汗)
>> mineさん
ども!
そう、mineさんのコメントにある通り、「欲」によおって、世の中って発展してきてますよね。だから、僕は「欲」自体が悪いものじゃないと思ってます。
問題は人間がその「欲」をどのように扱うか。
どのようにコントロールするか。
人って、一度手に入れるともっともっと欲しくなるもんです。だから、強欲に流されず、自分が本来与えられているもので満足すべきです。そうしないと、今回の事件のように、結局は自己破滅の道を歩んでしまうだけなんだろうなと思います。
このバランスをとるのが、確かに難しいですよね。
あとはその人が一人の人間としていかに「大人な」対応をとれるかだと思います。
>> ラムさん
たしかに形だけのコンプライアンスになっている企業って多いですね。コンプライアンスの流れを見てみても、欧米じゃそれが当たり前だからとか、特にエンロンの事件後、急に国内でもコンプライアンスを作ることが「流行って」きてるように思います。
だけど、ただ作って、「うちはコンプライアンスをきちんと社内で持っている会社です」と言ってるだけのとこが多いですよね。周知徹底の努力がまだまだです。もちろん、トップダウンだけでなく、社員側の意識改革も必要ですよね。
「軸をぶらすな」という言葉、良いなーと思いました。いろんなことが魅力的に思えて、利益をあげるためにいろんなものに手を出したくなるけど、軸、言い換えれば、アイデンティティと言えると思います、をずらしてしまっては、あちこちをさまよう根なし草になってしまって、自分をトラブルの中に引きずり込んでいくんでしょうね。
昨日は休肝日ということで安心しましたよっ♪
>> りえさん
コメントありがとうございます。
周囲でおこっている出来事って、自分とまったく無関係のことじゃなく、やはり「教訓」として与えられている「しるし」だと思いますね。
それを見て「へー、そんなことがあったんだ」で終わるか、「このことは、こういうことを示しているんだな」とメッセージを受け取れるか、ココロの持ち用で同じことを受け取ってもまったく違うものとなりますよね。人間として成長していくなら、後者が不可欠だと思います。
おそらく感じ取ることは人によって違うと思いますが、それはそれでOK。「その人にとっての」メッセージですから。
欲に流されて、自分の本質がからっぽになってしまっては本末転倒ですね。
「愚か者。世界を手に入れても自分を失ってしまっては、どんな得があるというのか?」という言葉があるんですが、僕、大好きです。
>> k-manさん
コメント、ありがとうございます。
k-manさん、ホントにココロが透明な人だなーと思います(^_^) 透明じゃないと、自分の欠点を見つめることができませんからね。
多くの人は自分の弱いところを見つめたくないので、厚い泥で自分のココロを塗り立てて、弱い部分を見ないで進んで行こうとしています。だけど、それでは本当の進歩はいつまで経ってもありません。
日本にもすばらしいことわざがありますよね。
「他山の石」。
人のふりを見て自分のふりを直せってことですよね。
僕たちって個人個人で生きているのと同時に、この世界を構成している一つの細胞のようなものなので、決して周囲の関係とは切り離されることはないと思います。だから、周囲で起こることを自分のこととしてとらえないと、いつまでも進歩しないと思ってます。
「人を欺く嘘」というのは人間に「欲」がある限り、どこの世界にもある病やと思うねんな。
だからといって「嘘」があると最初から思ってしまってはそこで終わりのように思うねんな。
「嘘」をつかせる「何か」に負けたらあかんのやろなぁとは思うねんなぁ。
ホムパ楽しかったんやろなぁ
お札が貼ってあって覗けへんかったわ~、むかつくぅ~